宣戦布告も無く始まったのが「ベトナム戦争」であり、
15年も続いた戦争ゆえ、複雑、難解で、あの戦争は
一体何だったのか説明が難しいです。
ベトナム戦争系の映画は何本も見ましたが、泥沼化し
た戦争、アメリカが敗戦した戦争、戦争の悲惨さ、
ぐらいで、よほどの戦争マニア、歴史好きじゃ無け
れば「ベトナム戦争」が何なのか分かりません。
そこで、無知で、無学な僕が、多少、誤解や間違いも
あると思いますが、簡単に開戦から終戦まで書きます。
まず、この「ベトナム戦争」とは、小国の内戦に、大国
が介入し「北ベトナム」VS「フランス」が、いつの間に
か「ソ連」VS「アメリカ」の冷戦期代理戦争に発展しました。
フランス軍がベトナムを侵略し、南ベトナムを制圧した頃、
北ベトナム軍にソ連軍が加担し、相次いで、北ベトナム軍に
中国、北朝鮮が加担し「共産連合」が出来ました。
ソ連は、アジア全土に共産主義を広める狙いがありました。
ここで、北ベトナム、南ベトナムが二分化し、南ベトナム軍
であるフランス軍は北ベトナムの勢力にかなわず、撤退しまし
た。
そこで、南ベトナム軍には、韓国、タイ、フィリピン、
オーストラリア、ニュージーランド、スペイン、パラグアイ、
ニカラグア、アメリカが反共産連合が出来ました。アメリカ
に敗戦した日本は、資金面で南ベトナム軍に援助しました。
南ベトナム軍の主軸、アメリカは、共産主義の拡大を防ぐ大器
名文がありましたが、アメリカ政府は、軍事産業と濃密な関係
にあり、アメリカ経済や、他国からの資金集めや、軍事産業
からの政治資金徴収の為という要素もありました。
北ベトナム連合軍は、地下道や、ジャングルや、ゲリラ戦を
巧みに使い、南ベトナム連合軍はかく乱されまくり、北ベトナム
連合軍の作戦や数や武力を把握出来ないまま、闇雲に戦いました。
ケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン大統領に代わり、ルール
無用な戦争に成りました。北ベトナム連合軍は、民間人が偵察兵
や暗殺兵になったりで、南ベトナム連合軍は、実態が掴めず、
アメリカは遂に、報復爆撃行為を行い、無差別爆撃、村の壊滅、
枯葉剤攻撃、民間人大量虐殺、強姦、ライフライン崩壊など、
非人道的行為を行いました。
そういった、アメリカ軍の攻撃が、世界中のメディアで大々的に
報じられ、ミュージシャン、画家、作家、コメディアンなど有名
人が、こぞって反戦運動を行いました。反戦運動は、アメリカの
若者ヒッピーを中心に拡大、激化し、収拾がつかなくなり、
ジョンソン大統領から、ニクソン大統領に変わり、アメリカ軍は
ベトナム戦争から撤退しました。
南ベトナム連合軍の主軸アメリカを失った事で、南ベトナム連合軍は
崩壊し、東南アジアは共産主義へと染まっていきました。
南ベトナム連合軍の軍人、政府人は10万人、10年間監禁され、
北ベトナム連合軍の再教育カリキュラムを受けさせされました。
また、アメリカの帰還兵は、命がけで戦ったのに、アメリカ国民
から非難と差別を受け、戦時中の地獄絵図で精神を病み、精神病、
自殺、麻薬常習者が増え、ベトナム戦争以後、アメリカで麻薬が
蔓延しました。
1995年にベトナムとアメリカは和解をし、
2000年に両国の通商協定を結び、今はアメリカとベトナム
は密な貿易国です。
簡単に書いたので、漏れている事項は山ほどあります。
僕が、興味深く思ったのは、この戦乱期に、アメリカは、長期化
する事を見込み、南ベトナムに、バー、ディスコ、遊技場、高級
ホテルなどを次々立てました。泥沼化した戦争の最中、そういった
リフレッシュ、エンジョイする施設を作るのは、さすがアメリカ
です。
アメリカの敗戦した大きな要因は、長期戦を見込み武力、兵力を
小出しにしました。最初から、50万の兵、100万の兵で攻め
込めば制圧出来たはずなのに、兵が壊滅化したら、次の兵を送り
込み、また壊滅化したら、次、と、ちびちび兵を送ったのが間
違いです。確かに、情報不足ゆえ、先鋭部隊に戦況を送っても
らい、状況を把握して、作戦を練っていたのでしょうが、それが
大きな犠牲に繋がりました。
15年も続いた戦争ゆえ、複雑、難解で、あの戦争は
一体何だったのか説明が難しいです。
ベトナム戦争系の映画は何本も見ましたが、泥沼化し
た戦争、アメリカが敗戦した戦争、戦争の悲惨さ、
ぐらいで、よほどの戦争マニア、歴史好きじゃ無け
れば「ベトナム戦争」が何なのか分かりません。
そこで、無知で、無学な僕が、多少、誤解や間違いも
あると思いますが、簡単に開戦から終戦まで書きます。
まず、この「ベトナム戦争」とは、小国の内戦に、大国
が介入し「北ベトナム」VS「フランス」が、いつの間に
か「ソ連」VS「アメリカ」の冷戦期代理戦争に発展しました。
フランス軍がベトナムを侵略し、南ベトナムを制圧した頃、
北ベトナム軍にソ連軍が加担し、相次いで、北ベトナム軍に
中国、北朝鮮が加担し「共産連合」が出来ました。
ソ連は、アジア全土に共産主義を広める狙いがありました。
ここで、北ベトナム、南ベトナムが二分化し、南ベトナム軍
であるフランス軍は北ベトナムの勢力にかなわず、撤退しまし
た。
そこで、南ベトナム軍には、韓国、タイ、フィリピン、
オーストラリア、ニュージーランド、スペイン、パラグアイ、
ニカラグア、アメリカが反共産連合が出来ました。アメリカ
に敗戦した日本は、資金面で南ベトナム軍に援助しました。
南ベトナム軍の主軸、アメリカは、共産主義の拡大を防ぐ大器
名文がありましたが、アメリカ政府は、軍事産業と濃密な関係
にあり、アメリカ経済や、他国からの資金集めや、軍事産業
からの政治資金徴収の為という要素もありました。
北ベトナム連合軍は、地下道や、ジャングルや、ゲリラ戦を
巧みに使い、南ベトナム連合軍はかく乱されまくり、北ベトナム
連合軍の作戦や数や武力を把握出来ないまま、闇雲に戦いました。
ケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン大統領に代わり、ルール
無用な戦争に成りました。北ベトナム連合軍は、民間人が偵察兵
や暗殺兵になったりで、南ベトナム連合軍は、実態が掴めず、
アメリカは遂に、報復爆撃行為を行い、無差別爆撃、村の壊滅、
枯葉剤攻撃、民間人大量虐殺、強姦、ライフライン崩壊など、
非人道的行為を行いました。
そういった、アメリカ軍の攻撃が、世界中のメディアで大々的に
報じられ、ミュージシャン、画家、作家、コメディアンなど有名
人が、こぞって反戦運動を行いました。反戦運動は、アメリカの
若者ヒッピーを中心に拡大、激化し、収拾がつかなくなり、
ジョンソン大統領から、ニクソン大統領に変わり、アメリカ軍は
ベトナム戦争から撤退しました。
南ベトナム連合軍の主軸アメリカを失った事で、南ベトナム連合軍は
崩壊し、東南アジアは共産主義へと染まっていきました。
南ベトナム連合軍の軍人、政府人は10万人、10年間監禁され、
北ベトナム連合軍の再教育カリキュラムを受けさせされました。
また、アメリカの帰還兵は、命がけで戦ったのに、アメリカ国民
から非難と差別を受け、戦時中の地獄絵図で精神を病み、精神病、
自殺、麻薬常習者が増え、ベトナム戦争以後、アメリカで麻薬が
蔓延しました。
1995年にベトナムとアメリカは和解をし、
2000年に両国の通商協定を結び、今はアメリカとベトナム
は密な貿易国です。
簡単に書いたので、漏れている事項は山ほどあります。
僕が、興味深く思ったのは、この戦乱期に、アメリカは、長期化
する事を見込み、南ベトナムに、バー、ディスコ、遊技場、高級
ホテルなどを次々立てました。泥沼化した戦争の最中、そういった
リフレッシュ、エンジョイする施設を作るのは、さすがアメリカ
です。
アメリカの敗戦した大きな要因は、長期戦を見込み武力、兵力を
小出しにしました。最初から、50万の兵、100万の兵で攻め
込めば制圧出来たはずなのに、兵が壊滅化したら、次の兵を送り
込み、また壊滅化したら、次、と、ちびちび兵を送ったのが間
違いです。確かに、情報不足ゆえ、先鋭部隊に戦況を送っても
らい、状況を把握して、作戦を練っていたのでしょうが、それが
大きな犠牲に繋がりました。