なんだりかんだり

電動車いすで街に繰り出して感じたことを気軽に書きます。

あれから5年

2016年03月09日 15時58分56秒 | 日記
もう直ぐ、3月11日がやってきます。「東日本大震災」あれから5年が経とうとしてます。私の住んでいる多賀城市は、海から2キロ以上も離れている街中です。それでも2メートルの津波がやってきました。市の中心部は壊滅的な被害に遭いました。電気、水道、ガスが停止したのはもちろんですが、幹線道路は一週間の通行止めになる惨状でした。私の家は高台にあり、崩壊は免れました。エレベーターがこわれていたので、下に降りることも出来ず、私自身が、街中の被害を知るのは電気が通じてTVが点いてからです。多賀城市の被害は「都市型津波」と呼ばれ、非常に珍しいケースだったみたいです。報道もずっと後からなされ、現場にいた人以外はわからなかったと言うのが、本当のところでした。5年経った今は、大体のことはわかるようになり、遅まきながらいろいろな検証がなされてます。直後の外部から遮断されていた3日間、文字通り生きるのに必死だった一週間、その後ご近所の方から受けた親切、自転車を二時間も漕いで食料を届けてくれた介護者には、言葉に尽くせぬほど感謝しています。

そして、40日近く自宅にいるしかなかった私をSNSの友人たちのコメントが外とのつながりを感じさせてくれました。文字だけの付き合いなのに、電気が点いてから「生きてます」と呟いたら、すごく友人たちが喜んでくれて、会ったこともない方達なのに支援物資を送ってくれました。涙が出るほど嬉しかった。あの時初めて本名を名乗り合いましたね。

私の場合は、ライフラインや交通網が回復して元の生活に戻れていますが、仮設住宅にいて、生活の目処が立っていない方がたくさんいます。福島の原発事故で避難を余儀なくされた方は、まだまだ苦しみの中にいらっしゃいます。全体的な「復興」はまだ道半ばなのです。