なんだりかんだり

電動車いすで街に繰り出して感じたことを気軽に書きます。

水曜夜七時の想い出

2024年03月13日 06時29分00秒 | 日記


(フリー素材で検索してネットから拝借しました)

3月8日に報道で知ったのだが、『ドラゴンボール』の著者、鳥山明さんが3月1日に永眠なさった。私より若干年上であるが、訃報を納得出来る年齢ではない(人が亡くなることは悲しく、幾つであっても納得はできないけれど、言わんとすることをくみとって頂きたい)

亡き父は無類の漫画、アニメ好きだった。昭和の頃は、水曜夜7時といえばアニメで、「カルピス」とか「ハウス食品」など家族で楽しむものの会社が「一社提供」していた。我が父は海上保安庁の巡視船に乗船勤務していたため、食事時間を船と同じにしていた。朝7時、昼11時半、夜16時半で、夜食が19時半だった。『ドラゴンボール』は、最初30分番組だったと思う。とにかく、羊羹や大福などを食べながら家族団らんで「悟空」をみていた。最初の頃は悟空も子供で、尻尾があり、舞台も「天下一武道会」であり、ユーモアたっぷりだった。「スーパーサイア人」
辺りまでは付いていけたが、「超」だか「極」だかがついて、戦闘色が強くなると、みるのをやめた。アニメの主題歌は今も好きでスマホに入れて聴いたり、歌ったりしているが‥。とにかく我が家が一番元気で穏やかだった時期の団らんアイテムだったな。その頃はTVは家に1台しかなく、リビングではなく「茶の間」で、和やかに時には喧嘩しながらTVをみていたわ。チャンネル権は圧倒的に父親が持っており、職場で部下たちに混じってお金を出し合って数冊の漫画雑誌を買って読んでいたらしい父は、アニメの話の先を自慢げに語るから娘としては少々ウザかったことを懐かしく思い出している。父は「悟空の幼少期」が一番好きだった。

鳥山 明先生のご冥福を心よりお祈りいたします。安らかにお眠り下さい(合掌)


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