7月30日から8月1日迄、父方の親戚の家に行ってきました。女川町なんですが、津波で自宅が流され、避難所⇒仮設⇒自宅建設⇒取り壊し⇒貸家⇒自宅新築と、震災以降に引越しを繰り返した叔母達。というのも100歳を超えるおばあさんが同居していて、仮設暮らしが難しかったからです。なかなか進まない地域計画にしびれを切らして、自分の土地に最初の家を建てましたが、かさ上げの途中だからと、町役場からクレームが入り取り壊して借家暮らしに戻りました。そして今年の6月にめでたく新居が完成し、引越しました。それで私と母を招待してくれたというわけです。従姉妹の車で送り迎えをしてもらいました。
女川町は道路は立派になってましたが、まだまだ工事中のところが多かった。若者を呼び戻そうと小洒落た個人商店がポツポツあるが、常日頃の買い物はコンビニで、週末の買い物は、石巻の巨大なイオンモールでという感じでした。従姉妹は車があるから大丈夫でしょうが、高齢者や障害者はどうしているのでしょう?昔からのコミニティーは崩壊しているから、新たな関係作りが課題みたいです。叔母や従姉妹の話から地元の人しかからない貴重な話が聞けました。震災は5年も前なのにまるで昨日のことのように話してました。
従姉妹の好意で、父の実家があった女川町竹浦(たけのうら)にも行ってきました。昔の面影はどこにもありません。整備された岸壁と船と青い海があり、工事用の重機とダイバーがいました。ダイバーは何かを捜索してるのかと感心していたら、竹浦は今、絶好のダイバースポットらしく、この人たちはレジャーのダイバー達らしいです。
震災前はホヤ貝を韓国に輸出していた女川の町、現在も若手を中心にホヤ貝の養殖をはじめているんですが、大口の取引先である韓国が輸入を禁止しているので、せっかく育てたものを破棄してるらしいです。悲しいですね。
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