古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

高鴨神社

2016年10月13日 | 神社・仏閣
2016年6月18日、奈良県御所市鴨神にある高鴨神社へ。葛城山麓バイパスを南下し国道24号線に合流するために山を下る少し手前。前回の高天彦神社よりも標高は低いが金剛山東麓から奈良盆地を見下ろす眺望はなかなかのもの。

主祭神は、阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)。ほかに、事代主命、阿治須岐速雄命、下照姫命、天稚彦命を配祀する。以下に公式サイトにある由緒をそのまま記載。

 この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神としていつきまつった社の一つであります。
『延喜式』神名帳には「高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひこねのみこと)神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預かる名神大社で、最高の社格をもつ神社でありました。清和天皇貞観元(859)年正月には、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の御神階にあった本社の御祭神もともに従一位に叙せられましたが、それほどの由緒をもつ古社であります。
 弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになりましたが、ともに鴨一族の神社であります。
 このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。
 『日本書紀』によると、八咫烏(やたがらす)が、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されています。そして神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられました。
 この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展しましたが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によって滅亡しました。
 こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活躍は神話の中で大きく物語られています。高天原から皇室の御祖先である瓊々杵(ににぎ)尊がこの国土に降臨される天孫降臨の説話は、日本神話のピークでありますが、その中で本社の御祭神である味耜高彦根(あじすきたかひこね)神・下照比売(したてるひめ)神・天稚彦(あめわかひこ)、さらに下鴨社の事代主(ことしろぬし)神が、国造りの大業に参劃されています。
 御本殿には味耜高彦根神を主神とし、その前に下照比売神と天稚命の二神が配祀され、西神社には母神の多紀理毘売(たぎりびめ)命が祀られています。古くは味耜高彦根神と下照比売神の二柱をまつり、後に神話の影響を受けて下照比売の夫とされた天稚彦、また母神とされた多紀理毘売を加え、四柱の御祭神となったものと考えられます。
 現在の御本殿は室町時代の三間社流造の建物で、国の重要文化財に指定されています。なお東神社は皇大神・住吉神・春日神をお祀りしています。


後半部分はまるで歴史家が自説を唱えているような由緒である。私はこの由緒とは違う考えであるが、それは別の機会に書きたい。

一の鳥居。緑の木々に朱が鮮やかに映える。


祭神の説明。背景の写真が何とも厳か。


一の鳥居をくぐった左手、池に浮かぶ能舞台。


参道の先に二の鳥居。


拝殿。


拝殿裏手に本殿。


一の鳥居の横には神仏習合の名残りの梵鐘。鳴らすことがあるのだろうか。



このあと紹介する鴨都波神社、葛木御歳神社とあわせて鴨三社といい、高鴨神社を上鴨社(高鴨社)、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼んでいる。





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高天彦神社

2016年10月12日 | 神社・仏閣
学生時代から何十回と行ったことのある(正しくは車で通りすぎただけ)の奈良県の葛城地方。奥さんの高校の同窓会が開かれた2016年6月18日、車で送っていったついでに神社・古墳めぐりをしてきた。高天彦神社、高鴨神社鴨都波神社葛木御歳神社葛城一言主神社宮山古墳(既出)、孝昭天皇陵、孝安天皇陵。順に紹介していきます。

今回は奈良県御所市北窪にある高天彦神社(たかまひこじんじゃ)。
Wikipediaによると、式内社(名神大社)で、旧社格は村社。祭神は、高皇産霊神、市杵嶋姫命、菅原道真公。『延喜式』神名帳での祭神は1座。元々は当地の地主神の「高天彦」を祀ったものと推測される。社名・神名の「高天(たかま)」は一帯の地名でもあり、神話に見える高天原の伝承地とする説が古くからあるほか、高皇産霊神の神名の転訛が由来とする説、高皇産霊神の別名が「高天彦神」とする説、「高間」すなわち金剛山中腹の平地を意味するとする説がある。『万葉集』では、「葛城の高間」と詠まれた歌が知られる(巻7 1337番)。『延喜式』神名帳では宇智郡に高天岸野神社・高天山佐太雄神社が見え、いずれも五條市の金剛山中腹の神社に比定されることから、「高天彦神」を金剛山の神霊そのものとする説もある。

参道。車で登るかなり急な坂の脇にさらに急な坂道がある。


参道を登り切ったところ。ここまで車で来れるのだけど、最後はこの木立の中を歩くのがいい。


社殿。参った時にはこの社殿後背の白雲岳(白雲峰、標高694メートル)が御神体だとは知らなかった。
 


高天原。金剛山地中腹のこのあたり一帯は奈良盆地の南部、葛城地方を見下ろす所。太陽が近くて神々しい。
 
 


「葛城の高間」と詠まれた万葉集の巻7・1337番。


車で登るに連れて太陽に近づいていくのがわかる。本殿前の並木道の手前の駐車場に車を停めて参拝と周辺の散策。山沿いのわずかな平地、高天原があったと言われたあたりを、手に届きそうな太陽の光を背に受けて歩いていると、天から神々が降りてきてこの地に住んで大和の国を治めたんだ、と信じてしまいそうになる。





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