2019年1月、例によってワンコの散歩を兼ねて奈良県北葛城郡広陵町にある新山古墳(しんやまこふん)へ行ってきました。
新山古墳は馬見古墳群の東南端、高田川の左岸に面する丘陵の端に位置する前方後方墳で4世紀中半から末の築造とされています。大和では珍しい前方後方墳で全長が126mあり、そこそこの規模の古墳です。第25代武烈天皇陵の候補と考えられ、宮内庁によって「大塚陵墓参考地」として管理されています。 明治18年に土地の所有者がそこに古墳があるとは知らずに植樹をしようと穴を掘ったところ、後方部にあった竪穴式石室につきあたり、34面もの銅鏡ほか多数の副葬品が出土したとのことですが、その大半は宮内庁で管理されるようになりました。なかでも西晋(265年~315年)のものと思われる金銅製の帯金具は古墳の年代決定における重要な副葬品とされています。
高田川越しに古墳の南東方向から。
川を渡って近づくと周濠の名残りと思われる池があるのがわかります。
古墳の北側は小さな公園になっていますが、古墳の後方部とほぼ一体となった小山です。
フェンスの向こう側が後方部です。
少し離れて北側を撮ると、ここにも周濠の名残りと思われる池があります。
後方部の北東の角。陵墓参考地の碑と立て札が立っています。
後方部の北西の角。住宅がそこまで迫っています。
この住宅地の開発に伴って1980年、81年と正式な調査が行われました。この住宅地は「みささぎ台」と言います。
前方部の南東の角。
北側の公園にたつ説明板。
すぐ近くにある喫茶店「陵」。右端です。
おそらく土地の所有者、あるいはその関係者が経営されていると思われます。
「陵」の2階には新山古墳からの出土品が展示されていて、自由に見学をさせてもらえるそうです。 色が抜けていますが、そう書いてあります。
ワンコの散歩の途中だったので見学を断念しましたが、陵墓参考地からの出土品を所有しているということは、土地の所有者で明治18年の発掘に関係した人、あるいはそのご家族の方なのでしょう。
宮内庁はこの新山古墳を武烈天皇陵の参考地とする一方で、奈良県香芝市今泉にある傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)を武烈天皇陵に治定しています。また、蒲生君平が「山陵志」において武烈天皇陵とした築山古墳(磐園陵墓参考地)はここから南に1キロほどのところにあります。 古墳の規模や豊富な副葬品から考えると、天皇陵であってもおかしくないのですが、やはり前方後方墳というのが引っ掛かりますね。