2022年10月29日、古代史仲間の先輩の大学の同級生の皆さんとともに纒向を歩いてきました。当日は絶好の行楽日和、爽やかな秋晴れのもとで心地よい1日を過ごしました。8月頃に先輩から相談があって、プラン作りをお手伝いし、さらにはガイドブックを作成して皆さんに差し上げました。
今回の参加メンバーは私と先輩、あとは先輩の同級生5名(女性4名、男性1名)の計7名となりました。朝9時過ぎにJR三輪駅に集合し、まずは纒向遺跡の情報をインプットするために桜井市立埋蔵文化財センターに向かいました。
学芸員さんに説明をお願いしたところ、快く引き受けていただき、20分ほどの解説を皆で聴きました。
1時間ほど滞在したあと、大神神社に向かいます。大鳥居をくぐって参道を歩いて10分ほどで到着。二の鳥居の先に延びる砂利道の参道はひんやりとして気持ちのよい空間でした。境内脇の階段横に立っていた石標をみて、大神神社が史跡に指定されていることを初めて知りました。
大神神社は三輪山がご神体のために本殿がありませんが、立派な拝殿が建っています。休日ともなると参拝の方々で賑わうのでなかなか人が写り込まないように写真を撮るのは難しいのですが、たまたま誰もいない一瞬があったのはラッキーでした。
参拝後は少し時間が早いめのランチです。以前に先輩と来た時に行ったお店のそうめんが美味しかったので、今回もそのお店を予約してくれていました。今回はにゅうめんと柿の葉寿司のセットをいただきました。
食後は再び境内に戻って山辺の道に入り、三輪山の山麓をまわり込むように20分ほど歩くと檜原神社に到着です。ここでは地元のボランティアガイドさんが説明をしてくれました。境内の正面、奈良盆地の向こうに見える二上山の雄岳と雌岳の間に夕陽が沈む様子を写真に収めようと、その日になると境内に三脚が立ち並ぶのだと言います。みんなが一斉に神様にお尻を向けるんだと思うとそっちの光景を見たくなります。
参拝後は境内前にある茶店で休憩です。いつもの古代史旅なら時間を惜しんで次から次へと遺跡や神社を巡るのですが、この日のようにのんびり、ゆったりと過ごすのもいいなあ、と思いました。
ひとしきり休憩した後は急な坂道を下ってホケノ山古墳に向かいます。途中、道路沿いを流れる巻向川の水の透明度に一同で感激です。振り返るとすぐそこにそびえる三輪山から流れ出る山水なので、人の手で汚されていないまさに清流と言えます。そのまま飲めそうです。そんな清流を眺めながら歩いていると、ホケノ山古墳への曲がり角を行き過ぎてしまいました。
ホケノ山古墳では皆で墳丘からの眺望を楽しみました。目の前には次に行く箸墓古墳、振り返ると三輪山が見え、周囲をよく見ると古墳だらけです。埋蔵文化財センターで学芸員さんから聴いたことを思い出しながら古代を感じてきました。
ホケノ山古墳から箸墓古墳はすぐそこです。古墳の南側の道路右手、すぐにでも登っていけそうな墳丘を見上げながら拝所まで歩きます。
ちょうど前方部の南側の角を右に曲がると拝所が見えます。今回訪ねた中では、卑弥呼の墓とも言われるこの箸墓古墳がいちばん関心が高かった様子です。
拝所の左手の土手を上ると古墳の北側に出ます。古墳の南側と北側でまったく景色が異なるのが面白いですね。
交通量の多い箸中の交差点を渡ったところにある「日本一たい焼き」というお店で再びの休憩です。一度食べてみたいと思っていたのでここに立ち寄ってもらったのは有難かったです。しっぽの先まであんこが詰まっているので、しっぽから食べてくださいと言われ、そのようにすると確かにその通りでした。
さて、そろそろツアーの終盤です。予定では最後の目的地になる纒向遺跡の中心地、辻地区の居館域に向かいます。ここは何年か前に綺麗に整備されて大型の建物が並ぶ様子をイメージできるように柱が復元されましたが、個人的には整備前の原っぱの状態のほうが好きでした。
あらてめてこの場所に立ってみて、巻向山や三輪山、3~4棟の大型建物、すぐ目の前の他田天照御魂神社の位置関係などから、ここはおそらく太陽神祭祀が行われた場所なんだろうな、ということを感じました。それで、最後に予定になかった他田天照御魂神社へ行くことにしました。
第30代敏達天皇の宮である訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや)があった場所とされ、さらには敏達天皇が設置した日祀部が置かれた場所ともされています。ちょうど伊勢神宮や天照大神を勉強したところなので、いろいろと考えて感じることができました。
さて、以上でこの日のツアーは終了です。ケガもなく無事に終われて何よりでした。JR巻向駅で解散し、私と先輩を除く皆さんが奈良方面への電車に乗って帰られました。今回の企画、果たして満足してもらえたのでしょうか。天気がよくて心地よい汗をかいて、会話が弾んだことは間違いないので、それだけでもホッとしました。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
今回の参加メンバーは私と先輩、あとは先輩の同級生5名(女性4名、男性1名)の計7名となりました。朝9時過ぎにJR三輪駅に集合し、まずは纒向遺跡の情報をインプットするために桜井市立埋蔵文化財センターに向かいました。
学芸員さんに説明をお願いしたところ、快く引き受けていただき、20分ほどの解説を皆で聴きました。
1時間ほど滞在したあと、大神神社に向かいます。大鳥居をくぐって参道を歩いて10分ほどで到着。二の鳥居の先に延びる砂利道の参道はひんやりとして気持ちのよい空間でした。境内脇の階段横に立っていた石標をみて、大神神社が史跡に指定されていることを初めて知りました。
大神神社は三輪山がご神体のために本殿がありませんが、立派な拝殿が建っています。休日ともなると参拝の方々で賑わうのでなかなか人が写り込まないように写真を撮るのは難しいのですが、たまたま誰もいない一瞬があったのはラッキーでした。
参拝後は少し時間が早いめのランチです。以前に先輩と来た時に行ったお店のそうめんが美味しかったので、今回もそのお店を予約してくれていました。今回はにゅうめんと柿の葉寿司のセットをいただきました。
食後は再び境内に戻って山辺の道に入り、三輪山の山麓をまわり込むように20分ほど歩くと檜原神社に到着です。ここでは地元のボランティアガイドさんが説明をしてくれました。境内の正面、奈良盆地の向こうに見える二上山の雄岳と雌岳の間に夕陽が沈む様子を写真に収めようと、その日になると境内に三脚が立ち並ぶのだと言います。みんなが一斉に神様にお尻を向けるんだと思うとそっちの光景を見たくなります。
参拝後は境内前にある茶店で休憩です。いつもの古代史旅なら時間を惜しんで次から次へと遺跡や神社を巡るのですが、この日のようにのんびり、ゆったりと過ごすのもいいなあ、と思いました。
ひとしきり休憩した後は急な坂道を下ってホケノ山古墳に向かいます。途中、道路沿いを流れる巻向川の水の透明度に一同で感激です。振り返るとすぐそこにそびえる三輪山から流れ出る山水なので、人の手で汚されていないまさに清流と言えます。そのまま飲めそうです。そんな清流を眺めながら歩いていると、ホケノ山古墳への曲がり角を行き過ぎてしまいました。
ホケノ山古墳では皆で墳丘からの眺望を楽しみました。目の前には次に行く箸墓古墳、振り返ると三輪山が見え、周囲をよく見ると古墳だらけです。埋蔵文化財センターで学芸員さんから聴いたことを思い出しながら古代を感じてきました。
ホケノ山古墳から箸墓古墳はすぐそこです。古墳の南側の道路右手、すぐにでも登っていけそうな墳丘を見上げながら拝所まで歩きます。
ちょうど前方部の南側の角を右に曲がると拝所が見えます。今回訪ねた中では、卑弥呼の墓とも言われるこの箸墓古墳がいちばん関心が高かった様子です。
拝所の左手の土手を上ると古墳の北側に出ます。古墳の南側と北側でまったく景色が異なるのが面白いですね。
交通量の多い箸中の交差点を渡ったところにある「日本一たい焼き」というお店で再びの休憩です。一度食べてみたいと思っていたのでここに立ち寄ってもらったのは有難かったです。しっぽの先まであんこが詰まっているので、しっぽから食べてくださいと言われ、そのようにすると確かにその通りでした。
さて、そろそろツアーの終盤です。予定では最後の目的地になる纒向遺跡の中心地、辻地区の居館域に向かいます。ここは何年か前に綺麗に整備されて大型の建物が並ぶ様子をイメージできるように柱が復元されましたが、個人的には整備前の原っぱの状態のほうが好きでした。
あらてめてこの場所に立ってみて、巻向山や三輪山、3~4棟の大型建物、すぐ目の前の他田天照御魂神社の位置関係などから、ここはおそらく太陽神祭祀が行われた場所なんだろうな、ということを感じました。それで、最後に予定になかった他田天照御魂神社へ行くことにしました。
第30代敏達天皇の宮である訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや)があった場所とされ、さらには敏達天皇が設置した日祀部が置かれた場所ともされています。ちょうど伊勢神宮や天照大神を勉強したところなので、いろいろと考えて感じることができました。
さて、以上でこの日のツアーは終了です。ケガもなく無事に終われて何よりでした。JR巻向駅で解散し、私と先輩を除く皆さんが奈良方面への電車に乗って帰られました。今回の企画、果たして満足してもらえたのでしょうか。天気がよくて心地よい汗をかいて、会話が弾んだことは間違いないので、それだけでもホッとしました。
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