2018年11月、大阪府高槻市にある今城塚古墳と併設する高槻市立今城塚古代歴史館へ行きました。この今城塚古墳は第26代継体天皇陵と考えられている全長190mの前方後円墳です。宮内庁は近くの茨木市にある太田茶臼山古墳を継体陵に治定していますが、築造時期から考えると今城塚古墳の方が有力とされています。
いつも通り、古墳を見る前に歴史館を見学することにしました。
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2018年6月に起こった大阪北部地震によって展示資料に大きな被害がありました。これらの資料は修復作業中とのことです。
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この歴史館の展示はなかなか見応えがありました。常設展示室の最初の部屋は主としてこの地域の古墳群(三島古墳群)や古墳から出土した遺物を中心に展示が構成され、三島の地が古代から有力者が治める繁栄の地であったことを主張しています。展示資料は基本的に全て実物で、ほとんどの資料はケースに入れずに露出展示されています。解説も写真を多用したわかりやすいものでした。
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一番見たかったのがこれ、安満宮山古墳から出た青龍三年の年号が鋳出された鏡。
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中国の年号が入った鏡、いわゆる紀年銘鏡は日本で十数例しか出ていません。そのうちのひとつがここにあります。青龍三年は西暦で言うと235年。邪馬台国の卑弥呼が魏から親魏倭王の称号とともに銅鏡百枚を下賜されたのが239年(景初三年)なので、この鏡は邪馬台国論争に一石を投じることとなりました。青龍三年銘鏡は丹後の大田南5号墳からも出ていて、丹後とここ三島の地が何らかのつながりがあったと考えられます。
覗きこむように見ていたら突然後ろからボランティアガイドのおばさんが声をかけてきました。どの資料についても詳しい説明をしてくれます。専門家顔負けの詳しさです。聞くと歴史が大好きとのことで、好きが高じてボランティアガイドになり、一生懸命覚えたということでした。
これは円筒埴輪が吉備の特殊器台に由来することを説明する展示。
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ここで目から鱗の説明を聞きました。特殊器台には弧帯文という文様がつけられているのですが、文様のない部分がちょうど○とか△の形になっていて孔があけられています。これがやがて文様がなくなって○とか△の孔だけが残って円筒埴輪になった、というのです。なるほど、そういうことなのか。
三島地域の古墳の分布と築造の推移を表した図。
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これは是非撮っておいてください、とガイドのおばさん。たしかにわかりやすい図です。
継体陵と考えられている今城塚古墳には6,000本の円筒埴輪が、さらに宮内庁が継体陵に治定する太田茶臼山古墳には7,000本の円筒埴輪が並べられていたと考えられています。これら多数の円筒埴輪は両古墳からほぼ等距離のところにある新池埴輪製作遺跡で製作されました。
新池埴輪製作遺跡の埴輪窯のはぎとり標本。
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新池埴輪製作遺跡では18基の窯が見つかりました。円筒埴輪だけでなく様々な形象埴輪が製作されています。この遺跡は新池ハニワ工場公園として整備されています。行こうと思っていたのですが時間がなくて別の機会にすることにしました。
隣の部屋では石室の実物大模型を中心に今城塚古墳に関する資料が展示されています。
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ガイドのおばさんは帰りのバスの時間が迫っているとのことでここまで。代わって、年齢は70歳前後、でもお爺さんというには失礼にあたるほど元気な男性ガイドさんがご年配のふたりの女性に説明しているところに入れてもらいました。
さらに隣の部屋へ進むと今城塚古墳の副葬品や埴輪が展示されています。
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熊本県宇土市から運ばれたとされる阿蘇ピンク岩を削り出した家形石棺。
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今城塚古墳が継体陵だとすると大田茶臼山古墳の被葬者はいったい誰なのか。ガイドのおじさんはまくしたてるように早口で説明を始めました。たいへん興味深い内容で勉強になりました。
今城塚古墳は継体陵として有名ですが、それ以上に注目を集めたのが平成9年からの発掘で見つかった埴輪祭祀場です。出土した形象埴輪の数や埴輪祭祀場の規模としては日本最大ということです。
その埴輪祭祀場から出た埴輪の数々。
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発見されたその場所に復元されているのをあとで見ることになるのですが、圧巻でした。
最後のコーナーは阿武山古墳です。昭和9年、京都大学の地震観測施設建設の際に偶然発見された古墳で、なんと藤原鎌足の墓ではないかと考えられています。漆で固めた夾紵棺(きょうちょかん)からは美しい錦の残片や玉枕、金糸などの豪華な品々が発見され、金糸から復元されるのは大職冠であるとされています。X線写真の解析で判明した被葬者の死亡状況などからも鎌足説が強くなっています。また「多武峯略記」に、鎌足は山階(山科)に埋葬された後、安威山を経て、大和の多武峯へ葬られたという記事にもその根拠があるとされています。
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見学者がいたので斜めからの撮影となりました。
ロビーでは「昭和9年の記憶」と題して阿武山古墳に関するメディアの記事や写真などが展示されていました。
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企画展示室では企画展「藤原鎌足と阿武山古墳」が開催されていました。
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左が常設展示室、右が企画展示室です。
常設展示図録もよくできていました。
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このあと、歴史館からすぐ近くの今城塚古墳を見学しました。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
いつも通り、古墳を見る前に歴史館を見学することにしました。
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2018年6月に起こった大阪北部地震によって展示資料に大きな被害がありました。これらの資料は修復作業中とのことです。
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この歴史館の展示はなかなか見応えがありました。常設展示室の最初の部屋は主としてこの地域の古墳群(三島古墳群)や古墳から出土した遺物を中心に展示が構成され、三島の地が古代から有力者が治める繁栄の地であったことを主張しています。展示資料は基本的に全て実物で、ほとんどの資料はケースに入れずに露出展示されています。解説も写真を多用したわかりやすいものでした。
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一番見たかったのがこれ、安満宮山古墳から出た青龍三年の年号が鋳出された鏡。
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中国の年号が入った鏡、いわゆる紀年銘鏡は日本で十数例しか出ていません。そのうちのひとつがここにあります。青龍三年は西暦で言うと235年。邪馬台国の卑弥呼が魏から親魏倭王の称号とともに銅鏡百枚を下賜されたのが239年(景初三年)なので、この鏡は邪馬台国論争に一石を投じることとなりました。青龍三年銘鏡は丹後の大田南5号墳からも出ていて、丹後とここ三島の地が何らかのつながりがあったと考えられます。
覗きこむように見ていたら突然後ろからボランティアガイドのおばさんが声をかけてきました。どの資料についても詳しい説明をしてくれます。専門家顔負けの詳しさです。聞くと歴史が大好きとのことで、好きが高じてボランティアガイドになり、一生懸命覚えたということでした。
これは円筒埴輪が吉備の特殊器台に由来することを説明する展示。
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ここで目から鱗の説明を聞きました。特殊器台には弧帯文という文様がつけられているのですが、文様のない部分がちょうど○とか△の形になっていて孔があけられています。これがやがて文様がなくなって○とか△の孔だけが残って円筒埴輪になった、というのです。なるほど、そういうことなのか。
三島地域の古墳の分布と築造の推移を表した図。
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これは是非撮っておいてください、とガイドのおばさん。たしかにわかりやすい図です。
継体陵と考えられている今城塚古墳には6,000本の円筒埴輪が、さらに宮内庁が継体陵に治定する太田茶臼山古墳には7,000本の円筒埴輪が並べられていたと考えられています。これら多数の円筒埴輪は両古墳からほぼ等距離のところにある新池埴輪製作遺跡で製作されました。
新池埴輪製作遺跡の埴輪窯のはぎとり標本。
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新池埴輪製作遺跡では18基の窯が見つかりました。円筒埴輪だけでなく様々な形象埴輪が製作されています。この遺跡は新池ハニワ工場公園として整備されています。行こうと思っていたのですが時間がなくて別の機会にすることにしました。
隣の部屋では石室の実物大模型を中心に今城塚古墳に関する資料が展示されています。
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ガイドのおばさんは帰りのバスの時間が迫っているとのことでここまで。代わって、年齢は70歳前後、でもお爺さんというには失礼にあたるほど元気な男性ガイドさんがご年配のふたりの女性に説明しているところに入れてもらいました。
さらに隣の部屋へ進むと今城塚古墳の副葬品や埴輪が展示されています。
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熊本県宇土市から運ばれたとされる阿蘇ピンク岩を削り出した家形石棺。
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今城塚古墳が継体陵だとすると大田茶臼山古墳の被葬者はいったい誰なのか。ガイドのおじさんはまくしたてるように早口で説明を始めました。たいへん興味深い内容で勉強になりました。
今城塚古墳は継体陵として有名ですが、それ以上に注目を集めたのが平成9年からの発掘で見つかった埴輪祭祀場です。出土した形象埴輪の数や埴輪祭祀場の規模としては日本最大ということです。
その埴輪祭祀場から出た埴輪の数々。
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発見されたその場所に復元されているのをあとで見ることになるのですが、圧巻でした。
最後のコーナーは阿武山古墳です。昭和9年、京都大学の地震観測施設建設の際に偶然発見された古墳で、なんと藤原鎌足の墓ではないかと考えられています。漆で固めた夾紵棺(きょうちょかん)からは美しい錦の残片や玉枕、金糸などの豪華な品々が発見され、金糸から復元されるのは大職冠であるとされています。X線写真の解析で判明した被葬者の死亡状況などからも鎌足説が強くなっています。また「多武峯略記」に、鎌足は山階(山科)に埋葬された後、安威山を経て、大和の多武峯へ葬られたという記事にもその根拠があるとされています。
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見学者がいたので斜めからの撮影となりました。
ロビーでは「昭和9年の記憶」と題して阿武山古墳に関するメディアの記事や写真などが展示されていました。
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企画展示室では企画展「藤原鎌足と阿武山古墳」が開催されていました。
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左が常設展示室、右が企画展示室です。
常設展示図録もよくできていました。
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このあと、歴史館からすぐ近くの今城塚古墳を見学しました。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
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小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |
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