2022年11月15日、8日目の朝は今ひとつスッキリしない空模様。前夜の就寝が遅かったので朝の目覚めも遅くなり、公園でワンコと散歩したあとに出発したのが9時20分。この日は下関の唐戸市場でご飯を食べて周辺を散策、関門海峡や関門橋の眺望を楽しもうと計画していました。
老の山公園を下って唐戸市場までは15分ほどですが、できるだけ近く、できるだけ安い駐車場と思って周辺を走りながら悩んだ結果、下関グランドホテル横にあるファミリーマートの駐車場になっているタイムズにしました。唐戸市場へ行ってみると時間が遅かったからか、ほとんどのお店が片付けに入ってました。残念。
周辺を少し散策した後、ランチを取ろうと戻りました。ご飯を食べるお店はカモンワーフというショッピングモール内にいくつもあったのですが、どれも決め手に欠け、悩んだ結果「ふぐの河久」という小さなお店に決定。ふぐの雑炊と唐揚げ定食をいただきました。
ランチ前の散策で、このあたりには旧い建築物がいくつかあることがわかっていたので、食後に順に見学して回ることにしました。まず「旧下関英国領事館」のティールームでお茶を飲もうと思っていってみると、なんと休館日。これは残念でした。
次の「旧秋田商会ビル」へ行ってみると、なんとなんと、ここも休館日。なんてこった。
となりのビルは1900年竣工、築120年以上の「下関南部町郵便局」で、現役の郵便局としては最古の局舎とのこと。実際に業務をしている建物に入ってみると、片隅に写真やパネルなどが展示されています。職員の方に許可をもらって見学していると、なんと局長さんがこられて説明をしてくれました。
さらに、建物の裏にまわると中庭があり、扉を開けるとレトロなレストラン風の隠し部屋(?)が。昔は業務で使用していたそうですが、今は改装して中庭も含めてイベントやパーティーなどの用途で貸し出しをしているそうです。
下関市南部町は赤い円筒型の郵便ポストを考案した俵谷高七という人が住んでいた町で、下関が郵便に深いかかわりのある町だということを初めて知りました。ちなみにこの俵谷高七は切手やハガキの自動販売機も発明したとのことです。
局長さんはしゃべくりが上手で、まるで漫談を聞いているように楽しい時間を過ごすことができました。局長の福島さん、ありがとうございました。お礼に局長さんがデザインの一部を担当した切手シートを購入しました。
郵便局の次はすぐ近く、大きなフグの銅像がある亀山八幡宮へ。下関にこんな立派な八幡さんがあるのは何故、と思って由緒を見ると、平安時代に宇佐八幡宮の神様を京都の石清水八幡宮に勧請する途中、この地に停泊した際にご神託があったので、ここに八幡宮を建てたということでした。ということは、石清水八幡宮よりも古い八幡さんということになります。
高台に建つ境内からは関門橋や関門海峡の向こう側の門司の町が見渡せます。
カモンワーフに戻って、波止場の方に行ってみました。小さな灯台があって、その先には唐戸市場、さらには関門橋が見えます。水族館ではイルカショーをやっているようで、出番のないイルカを外から見ることができました。これは画期的な仕掛けです。
この日は始動が遅かったにもかかわらず盛り沢山な一日です。次は関門海峡を上から眺めようと火の山公園に向かいます。ここは明治時代に関門海峡を通過しようとする外国船を砲撃するための砲台が築かれた場所で、砲台跡の見学もなかなか楽しかった。
公園の端っこまで行くと瀬戸内海が広がっていました。思いもよらず長居をしたので太陽が傾き始めています。
山を下りたあとは少し戻って日清講和記念館へ。日清戦争後の講和会議が開かれた春帆楼の隣に建てられた記念館で、当時の資料や写真、再現された会議室などが展示されています。閉館ギリギリだったものの見学できてよかった。
次はすぐとなりにある赤間神宮へ。壇ノ浦の戦いでわずか8歳という年齢にして命を失った第81代安徳天皇を祀る神社です。8歳という年齢もさることながら、平氏滅亡にあたって入水させられたことがあまりに痛ましい。そんな幼い天皇を祀るからか、なんだかかわいい神社でした。すぐとなりにはその安徳天皇の御陵がありました。
この日の最後はその壇ノ浦です。関門橋を見上げる場所に「みもすそ川公園」という小さな公園があり、安徳天皇入水の場所を示す碑のほか、さまざまな碑や像が建てられています。
幕末に長州藩が装備した大砲(長州砲)も並べられていました。それと、真下から見上げる関門橋は迫力抜群でした。
これにて終了。この日は半径数キロメートル圏内を移動しただけでしたが、下関を堪能。また来たいと思わせてくれる町でした。さて、こんなに遅くまで下関に滞在すると思ってなかったので、このあたりのお風呂を考えておらず、急きょ探して見つけたのがすぐ近くの「満珠荘」というホテルの日帰り入浴。夜の関門海峡や関門橋を見ながらお湯に浸かることができるいいお風呂でした。
入浴後は東に向かって走ります。この日はお昼からフルに動いて晩ご飯を食べ損ねていたので、途中、どこかに入ろうと思って探しながら走ったのですが、どこも決め手がなく、スーパーセンターのトライアルでお寿司を買って車中食することにしました。
車中泊場所に決めた「道の駅きららあじす」は事前の調べでは、騒がしい、夜中までうるさいなどの情報があり、あまり評判がよくなかったのですが、時間的にここしかなかったので何もないことを祈りながら車中食と車中泊しました。
8日目のこの日の走行距離は73.3キロ。このうち50キロは最後の道の駅までの走行だったので、ほんとに動かない1日だったということになります。
(つづく)
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
老の山公園を下って唐戸市場までは15分ほどですが、できるだけ近く、できるだけ安い駐車場と思って周辺を走りながら悩んだ結果、下関グランドホテル横にあるファミリーマートの駐車場になっているタイムズにしました。唐戸市場へ行ってみると時間が遅かったからか、ほとんどのお店が片付けに入ってました。残念。
周辺を少し散策した後、ランチを取ろうと戻りました。ご飯を食べるお店はカモンワーフというショッピングモール内にいくつもあったのですが、どれも決め手に欠け、悩んだ結果「ふぐの河久」という小さなお店に決定。ふぐの雑炊と唐揚げ定食をいただきました。
ランチ前の散策で、このあたりには旧い建築物がいくつかあることがわかっていたので、食後に順に見学して回ることにしました。まず「旧下関英国領事館」のティールームでお茶を飲もうと思っていってみると、なんと休館日。これは残念でした。
次の「旧秋田商会ビル」へ行ってみると、なんとなんと、ここも休館日。なんてこった。
となりのビルは1900年竣工、築120年以上の「下関南部町郵便局」で、現役の郵便局としては最古の局舎とのこと。実際に業務をしている建物に入ってみると、片隅に写真やパネルなどが展示されています。職員の方に許可をもらって見学していると、なんと局長さんがこられて説明をしてくれました。
さらに、建物の裏にまわると中庭があり、扉を開けるとレトロなレストラン風の隠し部屋(?)が。昔は業務で使用していたそうですが、今は改装して中庭も含めてイベントやパーティーなどの用途で貸し出しをしているそうです。
下関市南部町は赤い円筒型の郵便ポストを考案した俵谷高七という人が住んでいた町で、下関が郵便に深いかかわりのある町だということを初めて知りました。ちなみにこの俵谷高七は切手やハガキの自動販売機も発明したとのことです。
局長さんはしゃべくりが上手で、まるで漫談を聞いているように楽しい時間を過ごすことができました。局長の福島さん、ありがとうございました。お礼に局長さんがデザインの一部を担当した切手シートを購入しました。
郵便局の次はすぐ近く、大きなフグの銅像がある亀山八幡宮へ。下関にこんな立派な八幡さんがあるのは何故、と思って由緒を見ると、平安時代に宇佐八幡宮の神様を京都の石清水八幡宮に勧請する途中、この地に停泊した際にご神託があったので、ここに八幡宮を建てたということでした。ということは、石清水八幡宮よりも古い八幡さんということになります。
高台に建つ境内からは関門橋や関門海峡の向こう側の門司の町が見渡せます。
カモンワーフに戻って、波止場の方に行ってみました。小さな灯台があって、その先には唐戸市場、さらには関門橋が見えます。水族館ではイルカショーをやっているようで、出番のないイルカを外から見ることができました。これは画期的な仕掛けです。
この日は始動が遅かったにもかかわらず盛り沢山な一日です。次は関門海峡を上から眺めようと火の山公園に向かいます。ここは明治時代に関門海峡を通過しようとする外国船を砲撃するための砲台が築かれた場所で、砲台跡の見学もなかなか楽しかった。
公園の端っこまで行くと瀬戸内海が広がっていました。思いもよらず長居をしたので太陽が傾き始めています。
山を下りたあとは少し戻って日清講和記念館へ。日清戦争後の講和会議が開かれた春帆楼の隣に建てられた記念館で、当時の資料や写真、再現された会議室などが展示されています。閉館ギリギリだったものの見学できてよかった。
次はすぐとなりにある赤間神宮へ。壇ノ浦の戦いでわずか8歳という年齢にして命を失った第81代安徳天皇を祀る神社です。8歳という年齢もさることながら、平氏滅亡にあたって入水させられたことがあまりに痛ましい。そんな幼い天皇を祀るからか、なんだかかわいい神社でした。すぐとなりにはその安徳天皇の御陵がありました。
この日の最後はその壇ノ浦です。関門橋を見上げる場所に「みもすそ川公園」という小さな公園があり、安徳天皇入水の場所を示す碑のほか、さまざまな碑や像が建てられています。
幕末に長州藩が装備した大砲(長州砲)も並べられていました。それと、真下から見上げる関門橋は迫力抜群でした。
これにて終了。この日は半径数キロメートル圏内を移動しただけでしたが、下関を堪能。また来たいと思わせてくれる町でした。さて、こんなに遅くまで下関に滞在すると思ってなかったので、このあたりのお風呂を考えておらず、急きょ探して見つけたのがすぐ近くの「満珠荘」というホテルの日帰り入浴。夜の関門海峡や関門橋を見ながらお湯に浸かることができるいいお風呂でした。
入浴後は東に向かって走ります。この日はお昼からフルに動いて晩ご飯を食べ損ねていたので、途中、どこかに入ろうと思って探しながら走ったのですが、どこも決め手がなく、スーパーセンターのトライアルでお寿司を買って車中食することにしました。
車中泊場所に決めた「道の駅きららあじす」は事前の調べでは、騒がしい、夜中までうるさいなどの情報があり、あまり評判がよくなかったのですが、時間的にここしかなかったので何もないことを祈りながら車中食と車中泊しました。
8日目のこの日の走行距離は73.3キロ。このうち50キロは最後の道の駅までの走行だったので、ほんとに動かない1日だったということになります。
(つづく)
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