古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

ニゴレ古墳(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.6)

2017年03月18日 | 実地踏査・古代史旅
 奈具岡遺跡の次はニゴレ古墳。ここは当初の予定には入っておらず、奈具岡遺跡のあと遠所遺跡に向かったのであるが、遠所遺跡の手前に突如現われたので立ち寄った。墳丘には簡単に登ることができたが、上部は少し急斜面になっており朝方の雨のために足元がぬかるんで少し危険な状況だった。下から見た感じでは円墳かと思ったが、登ってよく見るとどうやら円形ではないし四角でもない。前方後円墳の後円部かとも思ったが前方部が確認できない。尾根の端を切り出しただけの古墳だろうと思いつつ、墳丘を降りて案内板を見ると「不整形墳」となっていた。不整形墳とは初めてみた言葉だが、形を特定できない場合に使うのだろう。しかしこの古墳は感覚的には円墳である。築造時期は古墳時代中期、5世紀中葉とされる。
 案内板の説明には「離湖(網野町)と竹野川流域(弥栄町)を結ぶ交通路を見おろす丘陵部先端に位置します」とある。これまた赤坂今井墳丘墓、大田南古墳群と同様の特徴だ。丹後では弥生時代後期から古墳時代前期、中期と丘陵上に墓が築かれる習慣が続けられている。

古墳への登り口。


墳丘上の様子。


京丹後市教育委員会の案内板。


 ここからは舟型埴輪とほぼ完全な形の鉄製甲冑が出土。舟は外海を航行できる準構造船を模したものであることから、被葬者として日本海を舞台に交易活動をしていた海洋族のリーダーがイメージされる。また、すぐ近くに製鉄コンビナートである遠所遺跡があることから、同時にこのコンビナートを経営するリーダーでもあったのではないか。したがって交易品は鉄製武器を中心とした様々な鉄製品であったと考えられる。このリーダーが亡くなったとき、海洋族を象徴する舟型埴輪と、彼らの富の象徴である鉄製品の中でももっとも高価な甲冑を被葬者に捧げるために埋葬したのではないだろうか。
 舟型埴輪・甲冑とも、よく似たものが宮崎の西都原古墳から出土している。私は古代の日向は海洋族である隼人とつながる一族が治める国であったと考えており、ここに日向と丹後のつながりが見出せることに興味を覚えている。


 そして次はすぐ近くの遠所遺跡へ。ここでまたアクシデント。
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