古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

江田神社(宮崎実地踏査の旅 No.1)

2018年08月10日 | 実地踏査・古代史旅
 7月20日、前日の宮崎出張の機会を利用して丸一日かけて各地を巡ってきました。もちろん、宿泊は自費で当日は有給休暇です。
 今回行った所は、江田神社、新田原古墳群、都萬神社、西都原古墳群と西都原考古博物館、生目古墳群と生目の杜遊古館、宮崎神宮の6ヶ所で、順に紹介したいと思います。実は西都原古墳群は3回目、生目古墳群も2回目となります。この日は金曜日だったので、次の土曜日も使ってもう少し足を伸ばして鵜戸神宮などにも行ってみたかったのですが、そろそろ大学のレポートの仕上げにかからないと、という気持ちから今回は1日だけにしました。
 前日の夕方に宮崎での業務を終え、その夜は宮崎駅近くのビジネスホテルに宿泊。地方へ行くと駅近のホテルでも安いので助かります。

チェックインを済ませて夕食に出かけた際のショット。宮崎は南国です。


 翌朝は8時に予約していたレンタカー屋さんに到着し、軽四を借りて実地踏査をスタートさせました。前回の薩摩半島実地踏査では普通車で大変な目に合ったので今回は軽四です。最初の目的地はシーガイアのすぐ近くにある江田神社。

一の鳥居から二の鳥居。




 江田神社は 宮崎市阿波岐原町産母に位置し、祭神として伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)を祀ります。「阿波岐原(あわきはら)」という地名は古事記、日本書紀に登場します。古事記では「火の神を生んで亡くなったイザナミに会うために黄泉の国を訪れたイザナギは、見てはならぬと言われたイザナミの変わり果てた姿を見て、恐れおののいて命からがら逃げて帰ってきたときに、穢れを祓おうと『筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原』へ行って禊ぎをした」とあります。日本書紀でも同様の記述があるのですが、本文ではなく一書(あるふみ)に「筑紫日向小戸橘之檍原」と出てきます。阿波岐原=檍原です。その阿波岐原に伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る江田神社が鎮座するのです。

由緒。


社殿。


社殿に向かって左側に植えられているご神木の招霊木(おがたまのき)。


こちらは社殿に向かう参道の途中にある楠。江原啓之氏が「とてもパワーがある木」だと言ったことから注目を集め最近になってご神木となったそう。

木の下にある大きなコブを撫でると強力なパワーが得られるらしい。

本殿左手から森へ入っていく小道。江田神社から歩いて数分のところにある「御池」、別名「みそぎ池」に向かう道です。


これが御池。



雰囲気はある。ただ、江田神社や御池があるのは古代には樹海が広がっていたと思われる市民の森の中、すぐ近くにはバブルの象徴とも言えるシーガイア、ダンロップフェニックスが行われるフェニックスカントリーがあって、古代と現代のギャップが大きい。

 さて、これはあらゆる神事の前に唱える祓詞(はらえことば)。日本人なら誰もが一度は耳にしたことがある、とは言い過ぎかな。「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す」 冒頭の「かけまくもかしこき」と最後の「かしこみぃかしこみぃもおすぅ」は耳に残ってるけど、その間に阿波岐原の話が入っているとは知らなかった。そういう背景があって、ここ江田神社のある阿波岐原は「禊ぎ発祥の地」とか「祝詞発祥の地」と呼ばれているとのことです。


途中にあった古代の駅の跡を示す案内板。


これは参道わきの駐車場にたつ「みそぎの碑」。

伊弉諾尊の禊で生まれたのが、天照大神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、月読尊(つくよみのみこと)の三貴神(みはしらのうずのみこ)。8本の角がはえているように見えるのは私だけかな、これが伊弉諾尊で中に三柱の神が並んでいます。でも、この碑は見たくなかったな。

ついでに紹介。御池の近くにあるみそぎ御殿。これはよくわからない怪しげな神社でした。江田神社とは関係がないらしい。境内は撮影禁止となっていました。




 朝一番に清々しい気持ちで参拝したせいか、本当に伊弉諾尊が禊をしたように感じてしまった。名残惜しい気持ちを抑えて次の目的地、新田原古墳群に向かいました。
 
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