古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

天理参考館

2025年02月17日 | 実地踏査・古代史旅
富雄丸山古墳から天理市内へやってきました。杣之内古墳群を巡るにあたってまずは情報収集を、と思って天理大学附属の天理参考館へ行きました。行かなければ、と思い続けていた博物館です。とにかくこの天理教の建物が立派すぎて、天理市内を車で走るといつも圧倒されます。天理教の協会本部ほか各施設は布留遺跡の上に展開されているのはよく知られているところ。古墳時代前期の標式土器となった布留式土器が大量に出土した布留遺跡があとかたもなくなったのは少し残念ですが、この博物館がそれを後世に伝える役割をしっかりと果たしてほしいと思うのは私だけでしょうか。



この博物館、想像していた以上に展示が充実していました。とくに1階の「世界の生活文化」の展示資料の充実ぶりに驚かされました。アイヌ、朝鮮半島、東南アジア諸国など、これだけの資料をそろえている博物館は私の知る限りでは少なくとも関西ではここだけではないでしょうか。

とはいえ、私たちの興味は3階に展示される古代日本の資料です。3階は「世界の考古美術」として、日本、朝鮮半島、中国、オリエントの考古資料が展示されています。その中からとくに興味をひいたものをいくつか紹介します。

日本の展示からは「伝富雄丸山古墳出土」とされる3面の三角縁神獣鏡。墳頂の主体部から出たとされていますが、あくまで「伝」です。


次に鉄剣の環頭部分。単龍と双龍が同時に確認できました。


滋賀県の大岩山から出た銅鐸。大岩山からは全部で24個の銅鐸が出ていますが、そのうちの1個、「3号鐸」と呼ばれるものです。


朝鮮半島の資料としてはこれ。塼室墓と呼ばれる塼(せん)=レンガで造られた墓室から出た銘文墓塼。いわゆる墓誌にあたるものだと思いますが、ここには3世紀から5世紀初めの8点が展示されていました。


中国の資料としては、殷・周時代、あるいは春秋・戦国時代に作られた青銅器。この時代にこれだけ様々なものが青銅で作られていたのは驚きです。日本はまだ弥生時代の前期で、器物はすべて土製でした。大陸の先進性を見せつけられる展示です。




それから、3階展示室の外に展示されていた布留遺跡の資料。まさに本場、地元の遺跡であるものの、残念ながら思っていたほどの内容ではありませんでした。


また、このあとまわる杣之内古墳群に関する展示を期待していたのですが、残念ながらそれはありませんでした。帰りに受付で、西山古墳に駐車場があるのか、墳丘に登れるのか、など聞いてみましたが、見学用の駐車場というのはない、古墳周辺は私有地なので、、、何だか奥歯にものが挟まった言い方で要領を得ませんでした。それで言われたとおりに車を置いて歩いて行ってみると、、、

(つづく)

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