hinajiro なんちゃって Critic

本や映画について好きなように書いています。映画についてはネタばれ大いにありですのでご注意。本は洋書が中心です。

Lovely Bones 読後感想 その1

2010年03月08日 | 洋書
 読み終わっての第一声は、想像していたストーリーと全然違った、ということ。映画のトレイラーなどからは、家族の再生をメインのテーマとしながら、殺人事件の真相を明らかにし、解決に向かっていくサスペンスもののイメージがあったからだ。
 今日は全体を通しての感想ではなく、気になった点のみについて書いていこうと思う。
 
 こういった内容の本を読むとき、主人公または登場人物に共感できるような本を好むか。それとも登場人物とは距離を置いて、あくまで客観的に読み進めるか。
 作家はどの読者層を対象にこの作品を書いたのだろうか。
 母親が娘の死にcopeできず、13歳の娘と3歳の息子を残し家を出て行く。
 「Changeling」のアンジェリーナ・ジョリーのセリフではないが「My child is my life」、所属先は School playground な私を含む層にはこの作品の中の母親の行動には共感できないのではないか。それとも「私にはできないけれど」と潜在的な願望を実行できる彼女に好意的になるだろうか。子供と一緒に過ごす時間がもっと欲しいと願っている働く女性はどうだろうか。父親の立場だったら。
 もし私だったら・・・・私だったら・・・・
 子供を失うことを想像しようとすると、自動的に頭と心の動きがストップして考えられないことに気づいた。自分の立場に置き換えることを避けながら、一般的なパターンを想像してみる。
 その場に留まったとして、異常なくらい生きている子に執着してしまうかもしれない。一分一秒たりとて目を離したくない。すべてに干渉し過保護になる。そうして子供を潰してしまうかもしれない。または、その場にいながら殺されてしまった子をその子に重ねてしまう、思い出してしまうことがイヤで、生きている子供から目を逸らしてしまうかもしれない。子供にとってそれほどの仕打ちもないだろう。そう考えるとこの作品中の母親の行動を否定することもできない。この子供たちは外の人間の協力も得ながらも何とか自分の足で立ち続けているから。
 共感できないといいつつ、ここまで考えている私のような者がいる限り、作者の狙いどころ(読者対象)は「この辺」で、成功しているのかもしれない。
 

 二つ目に興味をそそられたのは、残された子供たちが「父親寄り」の立場に徹しているところだ。8年間も置き去りにされたら、当たり前、という気もするが、実際のところ、現実社会でもフィクションの世界でも「母親にはかなわない」的な考えが一般的ではないだろうか。
 「My sister's Keeper」の作者 Jodi Picoult のいくつかの作品でより顕著だったと思うのだが、「子供のことを一番に考えているのはほかの誰でもない母親の私よ!」という態度。自分と夫である父親の間に優劣をつけている感じ。または、日本人の男性作家の作品では、何度も子宮まで持ち出して「母親絶対主義」(私にしてみれば女性に対する激しい妄想)を唱えているものもある。
 子供たちの父親を気遣う態度が静かながらよく書かれていると思うが、できれば父親の心情をもっと丁寧に描写してあれば良かったかと思う。

 明日に続く。
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