『アエネイスミッション』[Aeneas Mission ]

建国の使命を抱くアエネイスのフアストミッションは自軍団自民族引き連れて炎上壊滅するトロイからの脱出である。

[一択!建国の大地へ] 番外編  貝類は人類にとって捕獲しやすい海からの贈り物であった。

2021-03-18 09:08:21 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 人類にとって貝類は、捕獲しやすい海からの贈り物であった。日本においても世界各国の海に面した地域に貝殻の塚ができるくらいにシーフードとして食された食材である。
 古代のローマでも貝類がシーフードとして大いに食された。ガリア地域を含むローマ帝国領土内の遺跡の発掘現場からシーフードが大の好物であったことが確認されている。
 各所の遺跡からカキ、ムール貝、アサリ、ハマグリ、帆立て貝、あらゆる貝をシーフードとした貝の貝殻が発見されている。また、遺跡からの発掘されるものにカニ甲殻が多かったらしい。
 漁らは捕獲したカキをはじめ貝類を大きめのアンフオラ(壺、甕類)に海水を満たし、その中に貝類やカニを入れて、海岸から遠く離れたところへも運んだ。
 そのような海からの遠隔の地の遺跡からも貝殻やカニの甲殻が発掘されている。

 イタリアの古代の海岸域では、カキが捕獲され、ローマの古代人はカキが大好きであったらしい。
 生カキに粉末クミン(地中海沿岸地方が原産せり科の1年草)、コショー、ラヴェージ(西洋せり科の薬草)、パセリ、ミント、ハチミツ、酢、ガルム(魚醤)、白ワインでソースを作って、そのソースでをカキを食した。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人は豚肉が好みであったらしい!

2021-03-17 06:34:33 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマ人は豚肉が好みであったらしい。
 古代のローマ人は『豚肉は肉の中でも味が繊細である』と言って好んで豚肉を食べたらしい。

 プリニウスという人物が記した『博物誌』(紀元前1世紀頃に書かれたらしい)の記載によれば、『豚肉以外の肉には1種類の味しかしないが、豚肉には50種に及ぶ味のバリエーションがある』と書いている。

 ローマ時代のガリア地方の古代のゴミ捨て場の遺跡から発掘された骨の考古学的分析によれば全体の50パーセントが豚の骨であり、残りが牛、子牛、子羊、山羊の骨であったといわれている。

 フランスのフランシュコンテ地域圏のジュラ県(フランスの東部の地域でスイスに接している。ジュラ県のジュラはジュラ山脈にちなむ)の発掘からは、肉を天日で干して塩で味付け、燻製にしていたことが解っている。

 ローマでは、紀元1世紀~2世紀頃にかけて、地中海から沢山収穫できる魚の料理に加えて、さらに肉を好み、肉を基本にした食事が進展したらしい。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代人が食用に使った油

2021-03-16 10:03:16 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 地中海地方の古代人は、オリーブオイルを食用に使っていた。この地方でオリーブオイルを使い始めたのはクレタ島の住人らしい。
 紀元前3500年ころのものと思われるオリーブオイルを貯蔵したアンフオラ(古代ギリシア時代の壺)が発見されている。
 聖書に頻繁に途上するカナンの地(現パレスチナ)、カナン人が紀元前4500年ころにオリーブオイルを搾ったといわれいる。

 古代ローマでは、不作の年に備えて公共の貯蔵庫を設けて、祝賀の時に市民にふるまったらしい。
 オリーブのよく育つ環境はワイン用のブドウが育つ環境とよく似ているからといわれている。

 グリーンオイルと呼ばれたオリーブオイルがローマ人に好まれた。
 枝から摘み取ったばかりの熟した新鮮なオリーブの実を醸造して、繊細な風味のオリーブオイルを食用に使うことができたのである。
 オリーブの実の収穫は、オリーブの種類と山地の標高によっての色づき過程で10月から2月にかけて行われ、風味豊かなオリーブオイルが食用とされた。
 オリーブオイルは、風土や製造方法によって生産者の嗜好で色や味に個性が出るといわれている。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代人は甘さを知っていた!(2)

2021-03-15 05:13:18 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代人のハチミツ採集方法は、自然界にある蜂の巣を探しだし、それを集めて、砕き、ハチミツを搾り、採集したのである。
 世界各地に生を営んでいる古代人のハチミツ採集方法は、この方法であったらしい。
 この方法のいくつかの場面が古代に描かれたであろう洞窟の壁画に描かれている。
 この壁画が描かれた時代は、紀元前15000年ころである。

 このように古い時代から蜂は人類とともにあった。
 古代メソポタミア文明においても蜂を飼いならし、ハチミツを採取していたらしいことがカッパドキアの遺跡から出て来ているそうである。

 人類と蜂とのつながりは、太古の時代からである。
 旧約聖書の『出エジプト記』には、神が約束した地『カナンの地』を『乳と密の流れる地』と呼び、人々のあこがれを喚起している。
 北アメリカの先住民族インデアンの伝説に『初めの人間たちは、野生の密と果実を食べて飢えを知らなかった』という伝説があるそうである。

 このようにして人類と蜂が密接につながり古代人は、『甘い』を知っていたのである。 古代人は甘さを知っていた!完

[一択!建国の大地へ] 番外編   古代人は甘さを知っていた。(1)

2021-03-12 09:26:53 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代人は、甘さを知っていた。それは果実が有している天然の甘味であった。
 しかし、太古の昔、ハチミツは大気中から露のようにもたらされる神の恵みと信じていたらしい。

 人類は自分たちよりはるかに小さな蜂が花に一瞬とまっただけでその体を通して甘味を持った液体が生まれる。彼らは感動したであろうと想像される。
 黄金色に輝き、甘くおいしい液体が経験則から感じ取った栄養価が高く、薬効があって保存のきく、蜂がもたらす液体を神が食するものとあがめた。
 
 ギリシアでは、神話の最高神ゼウスがクレタ島の洞窟の中でヤギの乳と蜂のもたらす液体で育まれたとの伝承がある。
 このゼウスの孫にあたるアポロンの息子のひとりアリスタイオスが人々にこの甘味なる液体をつくりだす蜂の飼育を教示したと神話に語られているという。
 アリスタイオスは世に生きている先人を通じて蜂の飼い方をを知り、巣箱を創り蜂を養う技術を発明して世に広めたと伝承されているらしい。
 養蜂の技術が太古のこの時代に始まったと考えられている

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代人はどんなパンを食べていたのだろうか?(3)

2021-03-11 06:23:17 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 この時代においてスペルト小麦は、まさに医者いらずの主食材であった。ローマ時代の初期のローマには内科関係の医師が少なかったらしい。このスペルト小麦とハチミツが食されて、その影響が大なりといわれている。

 また、このスペルト小麦は、麦穂の構成上収穫高が少なく、ローマ時代の後半にはだんだん普通の小麦にとってかわられていくのである。

 このスペルト小麦は、栄養素に富んでおり必須たんぱく質やミネラル類の含有量が多く、また、生育の利点(やせた土地でもよく育ち、寒さや病害に強く、生育に肥料や除草剤も必要としない)が多く、現在見なおされている。
 また、この小麦ででつくられたパンは、フエトル化合物質がもたらす風味の豊かさ、自然抗酸化物質と働く要素も有しており、その優位性に注目されている。尚、グリコ―ゲン値が低く糖尿病患者にいいパンであるといわれている。
 そのうえ、でんぷん中の違ったレベルのたんぱく質で普通のパンに比べて分解がゆっくり進むとも言われている。(細密な分析結果ではないので正確ではありません) 完

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代人はどんなパンを食べていただろうか?(2)

2021-03-10 07:16:14 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代人がパンに使った小麦は、北部ヨーロッパのガリア地方で収穫されたスペルト小麦(別名ガリアの小麦)といわれる小麦である。(ガリア地方ーー現在のフランス、ベルギー、スイス、ドイツ、オランダの国の一部である。カエサルが著した『ガリア戦記』の舞台である)

 このスペルト小麦は紀元前6000年代の頃には、ヨーロッパ北部、当時ガリアと呼ばれた地方ですでに人間の手によって栽培されていたのである。現代栽培されている小麦の原種にあたる古代穀物であったのである。

 このスペルト小麦は、土中深くに根を張り、乾燥したやせた土地でもよく育ち、悪天候にも耐えて収穫された。この古代小麦は強健な植物で穀粒が硬い外皮によって昆虫類からも内部穀粒が守られ農薬等の必要もなく栽培されていたのである。

 この小麦の特質は、とても栄養価の高い小麦であったのである。穀粒の栄養価の分布も我々が現在食しているパンに使う小麦の栄養素分布が表皮と胚芽に含まれているのに対し、スペルと小麦の栄養素は、穀粒内部にあることである。故に製粉することによって栄養素が失われることなく食べる人の身体に摂ってもらえるように提供できる特質を有する小麦であることであったのである。

[一択!建国の大地へ] 番外編   古代人はどんな『パン』食べていただろうか?(1)

2021-03-09 08:58:11 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 私は古代の物語を書いていながら、時たまふと考える。ギリシア、西アジア、ローマ、この地域に住んでいた古代人が、日常どのような『パン』を食べていただろうかと考える。
 これについて書きます。手前勝手の考察で書きます。読んでください。

 紀元前6000年ころの古代メソポタミアでは、小麦が畑地で栽培されています。彼らの食事は小麦を粥状に煮て食べていたのをあるとき焼いて食べたことから始まったらしい。発酵の知恵などない時代である。
 それから、小麦をくだいて水でこねせんべいのようなパン、はたまた現在のクレープのようなパン食べたらしい。
 それが時代が下って紀元前3000年ころのエジプトでほんの偶然から、焼いたパンの中身がやわらかい『発酵パン』が誕生したことが解っています。
 どうもほったらかしにしてあったブドウ液の発酵が『発酵パン』の出現に力を貸したらしいといわれている。

 本格的に『発酵パン』が焼かれるようになるのは紀元前1000年~500年頃である。ギリシアにおいて発酵パンにワインが使われ始めたのである。
 また日常の主食パンにバター、牛乳、ハチミツ、果実などを加えたリッチなパンも作られ始めている。

 紀元前300年ころには共和制のローマでは職人によるパンの量産化が始まり、製パン技術の原型及び設備が確立して、ヨーロッパ全土に普及し始めるのもこのころである。

 明日のブログは、パンに使われた小麦について書きます。

 

[一択!建国の大地へ] ご案内申し上げます。  オオッ!おもしろい!読みはじめたら、やめられない!

2021-03-05 08:35:09 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
   アエネアス軍団対ポリメストル、ラミドトス援軍軍団、雌雄を決する死闘の決戦が展開する
   アエネアスが敵軍団を制圧する、ポリメストル領主 暁の戦場に死す。

   アエネアス、ポリメストル領主の砦を押収する
   交誼結びしエノス砦の領主に砦を引き渡す。

   戦い終えてアエネアスは、自軍団の戦死者を手厚く葬る
   彼らに奉献する競技大会を開催する
   浜衆、村の衆らと共に親睦の宴を催行した。

   アエネアス軍団 海賊の一掃を発起する、サロマの浜を襲う海賊と一戦に及ぶ
   これを殲滅する、浜衆、村の衆らが喜び安堵する。
   
   アエネアス、エノスを駐留地と定め、砦と一族の宿舎の建設に着手した。

   [一択!建国の大地へ] Vol.6 サモトラケ島の海賊一掃と駐留砦の建設の巻
   何卒、アマゾンキンドル電子書籍をおたのしみいただければ幸いです。

                           著者  山田秀雄

[一択!建国の大地へ] Vol.7 エノス浜に駐留、アーモンドの群生地を探索の巻 を出版いたしました!

2021-03-04 08:52:21 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
   炎上壊滅するトロイ城市を脱出してエーゲ海を北上するアエネアス軍団。
   上陸を阻むポリメストルの軍団を制してトラキアのエノスの浜に上陸を果たす。

   軍団を統率するアエネアスはエノスの浜に一時の駐留を決断する。
   軍団駐留のための砦と一族が暮らす宿舎を浜の一郭に建設する。
   エノスの浜の東のはずれ、北には草木が繁茂する沃野の大地、
   南にはエーゲ海を美晴かす風光明媚の地に軍団の砦、一族の宿舎が完成する。
   アエネアスは軍団の駐留と一族の暮らしのカタチを設計する。

   彼は考える、浜に先住の者らとの共生、自給自足、営みのあり方、生計のための収入について脳漿を搾った。
   戦って奪う戦利だけではなく、平和裏に生計を営む方策を探った。

   目論見を探る、自然からの収穫に着目する、アーモンドとオリーブである。
   アエネアスは、エノス浜を取り締まっているトリタス浜頭に相談を持ちかける。

   トリタスが話にのってくる、一隊を組んで山野をさまよう、
   山野の一郭に広大ともいえるアーモンドの樹木の群生地を発見する。

   おもしろさにあふれた読み物としています。何卒、アマゾンキンドル電子書籍をお読みいただければ幸いです。
                                            著者  山田秀雄