あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

心の扉は内から開く

2009-07-06 18:00:11 | 日記

多摩川の橋

苔むした橋もいいかもしれません。

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今日の万葉集

家なれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る 有馬皇子

解説など不要だと思います。
でも、旅人は赴任途中という解釈もありますし
逃避行とも読めます。
それらの解釈については専門のサイトがありますのでご覧ください。
私は、逃避行のように思えてならないのです。

この作を読んで、握り飯を思い浮かべました。
当時のご飯は、今のものとは違っていたのでしょうね。

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今週の山頭火

サイダーの泡立ちて消ゆ夏の月

夏が来た。気持ちのいい響きである。卓にある一本のサイダーの栓を抜く
シュワーッツと白い気泡をたてて、泡はまっすぐのぼっていった。そして、消えた。あとはもとのままの青いサイダー液が少しこぼれて残った。
外には、いつか月が出ている。しずかな夏の夜である。
いつになくゆったりした気分で、夏の夜を過ごしている。こんなゆとりをもったのは本当に何年ぶりのことだろか。(明治44年)

この日記を読むとどことなく絵本を読んでいるような気分になります。
不思議ですね。語句が明瞭で簡潔。
このような正面から語る山頭火もいいですね。
何か、俳句とは違って屈折がない。

それは作られた年代によるのですね。

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夕べの風

知ったかぶりはしない。
右手でしたことを左手に伝えない。
臆病くらいでちょうどいい。
最近、注意していること。

年をとるとこらえ性がなくなるものです。




旅人のこころにも似よ椎の花  芭蕉

2009-07-06 05:43:30 | 日記

多摩川の渓流

遊歩道が作られています。
ところどころ民家すれすれの路もあり
その路に紫陽花のトンネルを作っています。
シラン、トケイソウ、百合、グラジョラス
無計画に咲いています。
それがいいですね。
そのどうでもいような花が咲いているのを写真にしたいですね。

この写真は渓流の危ないところに設置された橋?
このようなものを何と呼ぶのでしょうか。
まあ、これも「橋の見える風景」にしましょうか?

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許六が木曽路におもむく時

旅人のこころにも似よ椎の花  芭蕉

侘しい旅の中に、旅の情を見出して却ってよろこんでいる旅人の気持ちにもふさわしく、道筋の椎の木もその目立たぬ侘しげな花を咲かせよの意

詫びの世界と言われれば、そうなのでしょう。それにしても、そこまで読み込むことを求められても素人にはちょっときついですね。このような観念の操作により、句を読ませようとするのは当時の流行だったのでしょうね。絵画なども寓意を込めた作品が多かったのでしょうね。そんな気がします。

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朝の風

枯れ葉が舞い上がり
風船が空に昇って行くとき
風があることを知る。

あらゆることはそのようにしてしか気づかない。