多摩川の橋
苔むした橋もいいかもしれません。
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今日の万葉集
家なれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る 有馬皇子
解説など不要だと思います。
でも、旅人は赴任途中という解釈もありますし
逃避行とも読めます。
それらの解釈については専門のサイトがありますのでご覧ください。
私は、逃避行のように思えてならないのです。
この作を読んで、握り飯を思い浮かべました。
当時のご飯は、今のものとは違っていたのでしょうね。
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今週の山頭火
サイダーの泡立ちて消ゆ夏の月
夏が来た。気持ちのいい響きである。卓にある一本のサイダーの栓を抜く
シュワーッツと白い気泡をたてて、泡はまっすぐのぼっていった。そして、消えた。あとはもとのままの青いサイダー液が少しこぼれて残った。
外には、いつか月が出ている。しずかな夏の夜である。
いつになくゆったりした気分で、夏の夜を過ごしている。こんなゆとりをもったのは本当に何年ぶりのことだろか。(明治44年)
この日記を読むとどことなく絵本を読んでいるような気分になります。
不思議ですね。語句が明瞭で簡潔。
このような正面から語る山頭火もいいですね。
何か、俳句とは違って屈折がない。
それは作られた年代によるのですね。
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夕べの風
知ったかぶりはしない。
右手でしたことを左手に伝えない。
臆病くらいでちょうどいい。
最近、注意していること。
年をとるとこらえ性がなくなるものです。