昭和記念公園の桔梗
秋の七草(山上憶良選ということで)
朝顔と称されている
桔梗
日本人が好む色合い
儚げな姿がいいですね。
白の八重も流行しているとか
・・・・・・・
御知らせ
御知らせというほどのことではないのですが
いくつかのブログ内容がごちゃごちゃになってしまい
読者のみなさんには大変迷惑をかけました。
そんなことで、内容を一部入れ替えをします。
でも、いつものようにあっちにいったりこっちにきたり
変換ミスをそのままにしたり
途中で文章がきれたり
そんなことが多いと思いますが
ご容赦ください。
「あきオジの風景」は俳句・短歌を主とします。
芭蕉、蕪村、一茶、山頭火、放哉、方代などがここにきます。
http://blog.goo.ne.jp/hiramekarei
「あきおじのつぶやき」はドラマ、映画関係を主にします。
池波正太郎、寅さんシリーズ、倉本聡などがここにきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/akiojinotubuyaki
「朝日のように爽やかに」は
写真と一行書きを主にします。
このスタイルは初めてなのですが、ちょっと頑張りたいと思います。
写真日記ということになるでしょうか。更新は例の如く不定期です。
http://blogs.yahoo.co.jp/akiojinotubuyaki
「あきおじのひとりごと」は
旧約聖書、法句経を主にし、万葉集そして西行をのせます。
内容が重たいので更新は不定期です。
http://blogs.yahoo.co.jp/hiramekareisanma
リンクのしかたが分かりません。
よろしくお願いします。
・・・・・・・
今日の芭蕉
秋風のふけども青し栗のいが 芭蕉
解説に頼らず、普通に読める。それが選句のしかた。
俳句ファンでもなければ
教養でもなく
ただ、口づさむことで嬉しい
季節を感じることができる。
そんなことです。
・・・・・・・・
今日の山頭火
枯草に寝ころぶやからだ一つ
いろいろあったことしも、どうやら暮れてゆこうとしている落ち着こうと試みたが、落ち着けず、旅に出た。
少しずつ年齢を感ずるようになった。それでも旅は、わたしらしい姿である。
枯草の上に身をゆだねる。草の匂いがただよってくる。自分の身ひとつ。誰もいない。誰にもたよらない。これからも自分の足で、自分の道を歩いて行くだけである。そう思うと、妙に落ち着きをとりもどしている。(昭和5年)
この放浪癖というか、旅への憧れは、独特の世界のように思います。定住民族には移動は異質ですからね。
「砂の器」(松本清張著)に少年が登場します。恩人を殺害する犯人ですが、幼いこと孤児となった主人公は警察官夫婦に拾われ、面倒を見てもらうのですが、その家を飛び出すのです。生き別れになった父親に会いたい一心ですが、放浪癖もあったのです。目的や経路が定められている旅、その目的もなく、予定もないのが法朗だとすれば、似て非なるものですね。
山頭火の句には出てこないこのあたりの背景を読むと面白いですね。とりあえず、「書を捨て街に出よう」ではなく「書を捨て旅に出よう」にしたいですね。
・・・・・・・・・・・・・
今日の万葉集
春草の繁き我が恋ひ 大海の岸に寄る浪の 千重につもりぬ
春の草の生え茂ったように、胸一面に恋がはびこって、まるで大海の浪のように幾重にも積もったことだ。
このような作を読んでいると、万葉人の政治むきにはあれこれあったとしても、庶民の生活はおおらかで、それなりの安定があったのだろうなと思ったりしました。
・・・・・・・・
朝のつぶやき
そこそこでいい
あれもこれも
一番になることもないし
むきになることもない
どんなこともいっときのこと
いつか、その季節は過ぎるのだから
秋の七草(山上憶良選ということで)
朝顔と称されている
桔梗
日本人が好む色合い
儚げな姿がいいですね。
白の八重も流行しているとか
・・・・・・・
御知らせ
御知らせというほどのことではないのですが
いくつかのブログ内容がごちゃごちゃになってしまい
読者のみなさんには大変迷惑をかけました。
そんなことで、内容を一部入れ替えをします。
でも、いつものようにあっちにいったりこっちにきたり
変換ミスをそのままにしたり
途中で文章がきれたり
そんなことが多いと思いますが
ご容赦ください。
「あきオジの風景」は俳句・短歌を主とします。
芭蕉、蕪村、一茶、山頭火、放哉、方代などがここにきます。
http://blog.goo.ne.jp/hiramekarei
「あきおじのつぶやき」はドラマ、映画関係を主にします。
池波正太郎、寅さんシリーズ、倉本聡などがここにきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/akiojinotubuyaki
「朝日のように爽やかに」は
写真と一行書きを主にします。
このスタイルは初めてなのですが、ちょっと頑張りたいと思います。
写真日記ということになるでしょうか。更新は例の如く不定期です。
http://blogs.yahoo.co.jp/akiojinotubuyaki
「あきおじのひとりごと」は
旧約聖書、法句経を主にし、万葉集そして西行をのせます。
内容が重たいので更新は不定期です。
http://blogs.yahoo.co.jp/hiramekareisanma
リンクのしかたが分かりません。
よろしくお願いします。
・・・・・・・
今日の芭蕉
秋風のふけども青し栗のいが 芭蕉
解説に頼らず、普通に読める。それが選句のしかた。
俳句ファンでもなければ
教養でもなく
ただ、口づさむことで嬉しい
季節を感じることができる。
そんなことです。
・・・・・・・・
今日の山頭火
枯草に寝ころぶやからだ一つ
いろいろあったことしも、どうやら暮れてゆこうとしている落ち着こうと試みたが、落ち着けず、旅に出た。
少しずつ年齢を感ずるようになった。それでも旅は、わたしらしい姿である。
枯草の上に身をゆだねる。草の匂いがただよってくる。自分の身ひとつ。誰もいない。誰にもたよらない。これからも自分の足で、自分の道を歩いて行くだけである。そう思うと、妙に落ち着きをとりもどしている。(昭和5年)
この放浪癖というか、旅への憧れは、独特の世界のように思います。定住民族には移動は異質ですからね。
「砂の器」(松本清張著)に少年が登場します。恩人を殺害する犯人ですが、幼いこと孤児となった主人公は警察官夫婦に拾われ、面倒を見てもらうのですが、その家を飛び出すのです。生き別れになった父親に会いたい一心ですが、放浪癖もあったのです。目的や経路が定められている旅、その目的もなく、予定もないのが法朗だとすれば、似て非なるものですね。
山頭火の句には出てこないこのあたりの背景を読むと面白いですね。とりあえず、「書を捨て街に出よう」ではなく「書を捨て旅に出よう」にしたいですね。
・・・・・・・・・・・・・
今日の万葉集
春草の繁き我が恋ひ 大海の岸に寄る浪の 千重につもりぬ
春の草の生え茂ったように、胸一面に恋がはびこって、まるで大海の浪のように幾重にも積もったことだ。
このような作を読んでいると、万葉人の政治むきにはあれこれあったとしても、庶民の生活はおおらかで、それなりの安定があったのだろうなと思ったりしました。
・・・・・・・・
朝のつぶやき
そこそこでいい
あれもこれも
一番になることもないし
むきになることもない
どんなこともいっときのこと
いつか、その季節は過ぎるのだから