あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

鋭角に四方を示す白き蓮  あきオジ

2010-07-25 21:30:30 | 日記
何の意味もないのですが
とりあえず句にしました。

たくさん作れば、何となくその気になれるかと・・・

でも多ければいいというものではないのですね。
残念!

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世の中は自分に都合のいいような論理で
説明しようとするひとで溢れている。

それぞれの正論が商品になっている。
そんな感想ですね。

ひょっとして自分もその一人かもしれません。
でも、残念ながら商品価値がありませんから
何の参考にもなりません。

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向日葵に目を奪われて秋近し  あこオジ

2010-07-25 21:24:33 | 日記
紫陽花がどうなったのかやきもきしていたのに
今は百合が咲いたと騒ぎ

そしてプールに向かい子どもたちとともに
話題は向日葵です。

このように夢中になっているうちに
いつしか、一年が終わる。
そして、次の展開がある。

輪廻というのはこんなことなのかもしれません。

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ひやひやと壁を踏まえて昼寝哉  芭蕉

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猛暑なり蓮一輪が受けてたち  あきオジ

2010-07-25 20:24:43 | 日記
昭和記念公園では蓮の展示会でした。
200種類以上あるそうです。
有名なのが大賀ハス
2000年以上前の種を発見して
育てた有名な花ですね。

あちこちに記念として植えられているようですが
ここまで広まるとは大賀博士も想像できなかったでしょう。

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世の夏や湖水にうかぶ波の上  芭蕉 

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向日葵は暑さを引き受け凛と立つ  あkオジ

2010-07-25 20:12:03 | 日記
向日葵のときには向日葵
百合のときは百合

それをそのまま表現すればいい。
技巧的になれば
本来の姿が見えなくなってしまうのです。

技巧的にならなくてもいい。地でいきましょう。
そんなことを感じた日でした。
ときには、そんなことも思うのです。

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家に帰って
「剣客商売」
「鬼平犯科帳」
「イ・サン」を見ていました。

しみじみと時代劇を見るのもいいですね。
単なる暇つぶしではない
深いものがあります。
池波正太郎にはまっています。

藤沢周平の「悲しみを背負う」
それもいいですが
乗り越えて立ち上がる池波正太郎の
ときとして悪童であり
洒脱な雰囲気がまたいいですね。

世の中、楽しいことは探せばいくらでもあるのですね。

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石の香や夏草赤く露暑し  芭蕉

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百合咲けば確かに今日も生きられる  あきオジ

2010-07-25 19:57:44 | 日記
昭和記念公園に出かけました。
熱中症が怖いので
百合
そして蓮
最後に向日葵の写真を撮ったら
そそくさと帰ってきました。

情けない自分がだんだん気になるようになってきました。

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頑固になるし
気みじかになる。

老化がすっかり身についてしまいました。
もう、周囲の人にも迷惑を掛けているのでしょうね。

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物いへば唇寒し穐の風  芭蕉

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人生の道しるべなるか夏木立   あきオジ

2010-07-25 07:21:27 | 日記
人生の道しるべなどいらない。
あっちでぶつかり
こっちでおろおろ

確かめ、石橋を叩いて歩いた人生
みんなと一緒
大過なく
それもいいかも

でも
今、思えば
羽目を外し
横道にそれ
好きなことにしがみつき

そこに自分のすべとをかける。

人生が二度あればの話ですね。

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草鞋かろく別れの言葉もかろく  山頭火

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向日葵が悶え沸き立ちし四角の布  あきオジ 

2010-07-25 07:09:42 | 日記
ゴッホの黄色の写真を撮りに出かけたのですが
まだ、早かったです。
ですけれど
現実は
「発見」であり
「再構築」なのだと実感しましたね。
美しいものが美しいだけでは十分ではなく
再構築されて
より、そのものになる。
そんな気がします。

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ゴッホの絵が生前、一枚しか売れなかったとか
モジリアニも同様であるように
人はその人物を知っていしまうと
絵を冷静に見ることができない。
そんなことがありますね。

死んでしまえばほめたたえるのに
生前は暴力団と関係があったとかなかったとか
そんなこで排斥された芸能人もいましたし

アルコール依存症ということで評価されない俳人もいました。
ある種、ご都合主義での評価

それでいいような
それではいけないような・・・。

かつて国民的評価を受けていた当時の文壇の大御所として
君臨していた作家
いまは、全集からも外されています。

人の評価は分からないものです。

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最後の一粒を味ふ  山頭火

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うつむきし百合つぶやきし聖歌なり  あきオジ

2010-07-25 07:01:27 | 日記
五・七・五
季語がある。
定型だから自由になれる。
プロの専門家がいうとそうかなと思ったりもするのですが

形を時代にふさわしいものに変質するから
改革があり、進化があると思えば
俳句とという形は
時代を映す形式としては機能していないような気もします。

でも、専門家になるわけでもなければ
俳人を名乗ろうと思っているわけでもなく

遊び、人生の傷あと
そんな程度で十分だと思っているので
気楽にしています。

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食べてゐるおべんとうもしぐれて  山頭火

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