あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

日あたりのよき部屋一つ冬籠  子規

2009-07-25 07:03:09 | 日記

相模湖

相模湖は相模湖駅から10分ほどです。
駅から湖が見えるのがいいですね。
でも、なぜか、人がまばらですね。
人がいない観光地は淋しさが倍加しますね。

今のところフォームグランドになっていませんが、そのうり発見があるかもしれません。

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今日の芭蕉

ほととぎす消行方や嶋一ツ  



今日の子規


日あたりのよき部屋一つ冬籠  子規

素人のような平凡さが子規の素晴らしいところですね。

技巧的であったり、過剰であったり、伏線が交錯しすぎて、、読む人を置き去りにする俳句が多い中で、明快ですね。
ということは歴史的な作品にはならないということか
でも、そんなことを考えるのは、野心家だけでしい。

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今日の山頭火

ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない

このところ躁と鬱のくりかえし、毎晩眠れいない。心が沈んでいく、まるで泥沼に落ち込んでゆくようである。心身のやりどころがない。
きょうもまた
不安な夜がやってきた。ふくろうが、さっきからさかんに呼んでいる。ふくろうも眠れずに鳴いているのであろうが、わたしはわたしで眠れない孤独な夜を過ごしている。不安と焦燥。死ねないでいる。
庵は少しも自分に平安を与えてくれなかった。

山頭火の日記はことのほか健康。
もっと、じめじめして、重く、厭世的だt思ったのですが、基底に流れているのは重さなのでしょうが、言葉になって浮かぶ上がるのは、意外と透明で人生を肯定する匂いです。
そう思えるのは私だけでしょうか。


吹きとばす石はあさまの野分かな  芭蕉

2009-07-24 17:57:37 | 日記
横浜線

このブログのテーマではないのですが
横浜線の車両をアップしました。
写真ネタが底をついたのです。

横浜線はかつては「はません」と呼ばれ
ローカル電車そのものでした。
八王子を出ると町田までの駅は無人駅に近く
人の気配を感じないような風景が続きました。
夜は真っ暗でしたね。
町田も田舎駅で小田急との乗り換えの際は
商店街をぬうように抜けたものです。
もちろん、単線でした。
都心を走る電車の「お下がり」が走っていました。
デザインの違った車両がつながったりして・・・・
今は、朝のラッシュ時は都心並みの込みぐあいです。
沿線には、新興住宅地が広がっています。

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今日の万葉集

夕されば 小倉の山に鳴く鹿は 今宵は鳴かず 寝(い)ねにけらしも

いつも日暮れになると、小倉山で鳴く鹿は、今夜は鳴かない。もう寝てしまったのに違いない。

このような淡々と情景を描いている作品が多いのも万葉集の特徴なのでしょうが、このような自然をそのまま受け入れる精神性は日本人固有のものでしょうね。擬人的な表現もそうですが、そのような鹿の動きに心を寄せるのは、万葉人の感性なのですね。以前は、「なにこれ?」で終わりましたが、最近は、このような感性は現代人が失ったものの一つだなと思うようになりました。現代は目の前の人が近すぎて、その人に気を使うだけで手いっぱい。しかも、最大限の配慮をしてもたりないし、気を使いすぎてストレスいっぱいで精神の安定を崩す。そんなことなのですね。

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吹きとばす石はあさまの野分かな  芭蕉

浅間山。群馬県の活火山。
浅間山にも出かけたことがあります。
転勤をして歩いたので、北海道と九州以外は
ほぼ、歩きました。
それぞれの場所にそれぞれの思い出があり
懐かし景色もありますし
思い出もあります。

そんなことからでしょうか。
引退してしまうとあまり旅行に出かたい気持ちにならないのです。
そんなものかもしれません。

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倉本聡

「北の国から」

登場人物の中で好きだったのは
純の友だちで借金の連帯保証人
正吉でした。
不器用で人がよく
自衛隊を経由して富良野に戻ってきて
困り果てた蛍を手を差し伸べ
父なし息子の父親になってくれた男
「遺言」では
ひとり出稼ぎにいったきり
借金の返済をしているのですが
蛍のところに連絡しない。
あの野暮ったく、それでいて自分の生き方にこだわる
不器用さがいいですね。

いまどき、このような男がいるのかどうか・・・・
だからドラマですね。
理由は分かりませんが正吉役の俳優さんは
最終章には、登場しませんでしたね。
俳優をやめたのかもしれません。

ひょとして富良野で大工をしていたりしていたら
物語はさらに楽しいですね。


夏休みですね

2009-07-23 06:35:18 | 日記
浅草の風景

浅草はいつ行ってもお祭り気分ですね。
観光客が喜ぶような工夫もありますし
イベントもいろいろあります。
でも、毎年だと飽きますね。
増殖し、変化を続ける要素がないと
物足りなさを感じますね。

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少々夏バテです。
いくら寝ても眠い。
若い働きざかりの人たちには申し訳ないですね。
でも、年をとると眠たいのです。

映画も見たいし
写真も撮りに行きたい。
でも、体力が続かない。

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今日の山頭火

お茶でもすませる今日が暮れた

銭がなくなった。餅もなくなった。もちろん米櫃もからっぽ。朝から何も食べていない。お茶を飲んで、空腹をまぎらす。
夜は、蜜柑の残ったのを半分食べる。あとはまたお茶。やっぱり、お茶が一等うまい。
昨日も今日も、アルコールなし。飲みたいとも思わない。わたしも、やっとアルコールなしですごせるようになったのか。たったひとり、訪ねてもゆかず、訪ねる人もない。じっと考えつつ、静かでひもじい一日が暮れた。

このような貧しさは、はたしていい句を生むのか
それは分かりませんが、貧乏を楽しんでいる。
まだ逃げ道がある。
そんな余裕を感じますね。
誰かに頼めば助けてくれる。
そこに山頭火の創出された孤独があるのですね。

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夕べの風

現状を維持するための新しいアイデアに反対する
それは多くの場合、一層、物事をさらに悪化させるのですね。

現状維持は維持されているのではなく、明らかに右下がりなのですね。

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倉本聡

「北の国から」
「遺言」がいいですね。
ドラマですからときどき唐突なエピソードが出てきますし
なんでもありですから
独走するエピソードもあります。
でもトータルすると「遺言」は感動しますね。
今日、見たばかりなので
別の機会に感想を書きますね。



名月はふたつ過ぎても瀬田の月  芭蕉

2009-07-22 05:17:43 | 日記

浅草伝法院通り

黄楊櫛、手作りブラシなどを専門に商っている店があります。
いつも無愛想で職人という感じです。
跡つぎはいるのでしょうか。

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今日の芭蕉

名月はふたつ過ぎても瀬田の月  芭蕉

浩々と二度の名月を賞した後も、なお瀬田の月は飽かず賞すべく、今夜の月は格別美しい。

解説によると、その年は閏でその月のうち二度名月に遭遇したということだそうです。場所を指定して美しいと言われると、困りますね。このような凝った表現は芭蕉独特のもので、この謎解きのようなものを解き明かすことが、当時の俳諧師だけでなく、現在の学者の楽しみになっていったのでしょうね。
そうだったら、和歌という表現形式も残しておいたほうがよかったのではないかと素人親父は考えるのですが、そういうことではないのでしょうね。

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今日の万葉集

父母も 花にもがもや 草枕 旅は行くとも 捧(ささ)ごて行かむ
 
                      (佐野の郡の丈部黒当)

父母はせめて花であってくれないものか。草を枕の旅を行くのも、大切に捧げ持って行きたい。

馬鹿なことに気付きました。万葉の時代、写真がないので姿かたちをもって「しのぶ」ということが難しかったのですね。きっと、それなりの方法があったのでしょうが、いろいろな工夫があったのでしょうね。なければない方法があるのでしょう。

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朝の風

感動することは、その蓄積で老後が楽しめる
そんなこともあるかもしれませんが
若い時代はそんなことは気付かない。

でも、老人になって気付くことですが、日々の楽しみは
老後の楽しみにならない。
日々の楽しみしか自分を楽しめないのですね。



けしの花大きな蝶のとまりけり 子規

2009-07-21 05:39:46 | 日記

浅草のごてごて犬

浅草仲見世を歩いていたら人だかり
はではで衣装の犬二匹
愛嬌をふりまいています。
飼い主の得意顔が印象的
犬が求めているわけでもないのに
満足しているかのように思い込んでいる飼い主
それをはやし立てるかのような観客
犬もそこそこその気になっているから
それもいいかも
小さな盛り上がり

犬は餌にありつくために懸命
哀れと思っているのはこちらだけ

犬はけっこう
面白がっている
そうでもないか。
人の中にも闇がある。
犬だって同じ。

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今日の子規

けしの花大きな蝶のとまりけり 

蕪村を連想する。
それだけで蕪村が大きいということ。
この句は蕪村を意識しているかどうかわからないのですが
意識した時から負い目を感じるようになる。
独創的であることは一流になると大変なのですね。
そこそこ真似しても許される
そんなレベルがいいのかも。

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積乱雲迫りて蓮(はちす)の夢心地  あきオジ

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倉本 聡

「風のガーデン」を見ました。
最初から最後まで、二日に分けて、一気に見ました。
死をテーマにしたドラマでした。
順序が逆の親子の死
尊厳死
在宅医療等の問題もあり
なかなかのものでした。
考えさせられること多々ありましたが
それよりドラマ、そのように見ました。
けっこう泣けました。
中井貴一と緒方拳のしみじみした演技がいいですね。
もう一度、二度、後半の展開を見たいですね。
言葉のやり取りが微妙なのです。

話の展開なとに、ちょっと飛んでいるところもあり
これでいいのかなと思ったりもしたのですが
それがドラマですね。
飛躍のあるドラマでなければ描けないこともあるのですね。

そのような飛躍が許されるのがドラマですね。
飛躍がなければ展開が難しい内容でした。
ベテラン女優の「いい味」が素敵なドラマなのですくわれました。

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「あにき」を続けてみています。
昭和40年代の下町の古い体質をもった
人たちの物語です。
7話になって、やっと、展開が面白くなりました。
でも、それまではひたすら辛抱でした。
ちょっと面白くなりそう。
でも大原麗子は不気味な可愛げのない、心まで不細工な
女性のままです。
演技力で見せる女優さんではないので何とかしてほしいですね。
「居酒屋兆治」のときと同じですね。
でも、このままでいいというファンもいますから
何とも言えませんね。

展開は中途半端ですが、展開に苦労しているようですね。
下町の雰囲気や伝統的な文化、習慣などの紹介もなく
物語にスピード感もないので、かなり退屈して見ています。
半分、見ましたが、倉本聡のシナリオ作品を見る。
そのテーマがなかったら「つまらない」で挫折したでしょうね。
とにかく、ひたすら忍耐です。

いやな夢見た朝の爪をきる  山頭火

2009-07-20 14:06:15 | 日記
浅草の街頭

内海桂子、好江コンビの街頭写真
懐かしいですね。
昭和50年ころ
浅草から電車で30分ほどのところに住んでいたことがありました。
日曜日になると演芸場に出かけたものです。
セキネという店でコロッケパンなどを調達し
入場したものです。
酒臭い人とか、他に行くところがない
そんな人もけっこういましたが人は多かったような気がします。
落語と色ものが順番に登場して入れ替えがないので
半日は楽しめましたが
正直なところ楽しくありませんでした。演者に覇気がなく
楽屋ネタのようなものばかりでした。
その中で内海桂子、好江のコンビは気合が入っていましたね。
二人は三味線が上手で踊りの心得があり
いくらでも楽しませる技術がありました。
そんな時代だったのですね。
そして、衰退の一途。
そんな時代の目撃者にもなりました。
新しい演劇の形を作り上げないと
じり貧どころか消滅ですね。
これは客の問題ではなく
芸人の努力不足だったように思えましたね。
金を払ってみたい芸になっていなかったのです。
それにしても、懐かしさはあっても演芸場に入る気分にはなれませんね。

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今日の山頭火

いやな夢見た朝の爪をきる  山頭火

とうとう、一睡もできなかったような気がする。とろとろしたかと思えば、夢を見た。それも、本当にいやな夢である。悪夢、斬られたり、突かれたり、だまされたり、すかされたり、七転八倒である。夢よさようなら。
朝、すっきりしない気分の手に足に、長い爪がのびきっている。緑に出て、その白い爪を、ひとつひとつ切る。爪を切ると、爪がとび散る。いくらか気分がはれた。昨夜の悪夢か、少し遠のいたようである。(昭和五年)

いつも思うのですが俳句よりもこの淡々とした平明な文章の方が明瞭。私は、この日記が好きです。この淡々とした日記を読んでいるのがいいですね。

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夕の風

私は横着で怠けものですから
肉体的な仕事をしている人をそれだけで尊敬してしまいます。
宅急便の運転手
高いところに登る鳶
庭師
内容はともあれ
自分ができないことをできるだけで憧れますね。

それとスポーツする神経が足りない私は
スポーツができる人
特に長距離走ったり
重たいものを持ち上げたりする人を尊敬してしまいます。
新田次郎の小説に出てくる気象庁の職員とか強力
そんな姿
いいですね。

頭がいい人
技術をもった人
知識を持った人
それはそれ
でもそれだけです。

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倉本聡のシナリオ

今、倉本聡が書いたドラマ、高倉健の演じる昭和、「男はつらいよ」が描き出す昭和。それと「ドクターことー」のシナリオを書いている吉田紀子。そんなものを追っています。ただ、なんとなく興味をもっているだけで特別の意味がありません。倉本聡は「優しい時間」がいまいちだったので「風のガーデン」を見過ごしてしまいました。でも、レンタルして見てみると、時代を的確にとらえ、時代の中で解決すべき課題は何かを的確にとり扱っています。二度一気に見ましたが、会話が濃密で刺激的ですね。病気が進行中の緒方拳の演技は雰囲気があって素晴らしいですね。中井貴一がさすがの演技をしていました。少々太めですが、いい役者になりましたね。寺尾聡、中井貴一がこれからの注目俳優ですね。

しばらくは瀧に籠るや夏の始  芭蕉

2009-07-20 07:02:42 | 日記

浅草のポスター

けっこう、このようなポスターを並べるだけで
イベントの気分を味わうことができますね。

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今日の芭蕉

しばらくは瀧に籠るや夏の始  芭蕉

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朝の風

若い人が溢れる町
その若い人も数年経てば
「若くない」になり
その若かった人のかわりに
若い人が登場する。
蝶に例えてもいい。
でも、多くの若い人は
異性とときを過ごすことに夢中になっている。
あるいは遊び。
それでいいのか
いずれにしても身体的な経験をすること
それがいい。
歩く旅行なら
申し分ないけど
おやじのすべきことかもしれませんね。

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倉本聡

「風のガーデン」
「優しい時間」から時が流れ
この数年に急増した不倫
あるいは許容型の不倫
自閉症
在宅医療
尊厳死などを取り上げています。
設備が整った病院での生物的治療は人間としての尊厳が維持されるか
在宅医療はどこまで可能か
そんなテーマでドラマは展開しますが
展開に無理があり
医療設備が整ったキャンピングカーが贈られたり
妙に物分かりのいい人たちが登場しますが
まあ、それはそれ
結局は在宅老人医療に専念する
父親のもとで息子がすい臓がんで死んでいく
親子の和解がなり
思い出の中で死んでいく。
そんな調和的エンディングが予想されますが
それはそれそれまでの展開を楽しみにしています。

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猛暑の中、相模湖に出かけました。

2009-07-19 21:04:09 | 日記

昭和記念公園の蓮

ありがたき姿になりし今朝の蓮

夜明けの蓮とか、雨に打たれる蓮とか
蛙とセットになった蓮
いろいろな姿がありますね。

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朝日のように爽やかに

今日は相模湖に出かけました。
といっても八王子から三つ目の駅です。
その相模湖に行けば、橋の写真が撮れるのではないかという
単純な発想です。

でも、残念ながら夏休みに入っていないのか
家族連れがおらず
ボートの練習もまばら
肝心の橋がない。

残念!!

そして猛暑
ちょっと慎重にしないといけないと思い引き返して
家で「風のガーデン」「あにき」を借りて来て
だらだら見てました。

まあ、そんな日曜日でした。

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男はつらいよ「望郷篇」(長山藍子)

諏訪さくらの家は三度ほど移っているという説があります。
確かめたことはありませんが、江戸川の土手の近くでアパート生活していたことがあり、満男が成長して、泉ちゃんとの交流があった時は、一戸建ての建売住宅を購入するとこをまでは知っています。ここでは子が生まれ、狭いながらも自分のアパートで暮らしています。

この物語で北海道まで出かけるシーンがありますが蒸気機関車が走っているシーンが登場します。

ここではやくざの父親、そして、父親として何もしてもらえなかった子との葛藤が前半のテーマです。寅さんは親孝行して暮らすことが何よりも大切だと、舎弟の登に涙ながらに説教するのですが、涙の説教は前半のシリーズでは多いですね。





しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮  芭蕉

2009-07-19 06:39:12 | 日記
浅草

雷門名物の大提灯です。
雷門と書かれているのが
入り口の交番ののところにあり
この提灯は本堂と仲店との間にあります。
巨大な提灯ですから
外国人はここで必ず記念写真を撮りますね。

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今日の芭蕉

しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮  芭蕉

解説が必要な句は避けようと思っています。
でも、芭蕉のばあい、日記等がいっぱい残っており
弟子たちも記録しているので
研究資料として利用するので、解説文が多くなるのですね。

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かがり火にかじかや浪の下むせび  芭蕉

2009-07-18 18:01:14 | 日記
昭和記念公園

カサブランカ
百合にもいろいろな種類があるようです。
私が知っているのをあげてみても
鬼ユリ、姫ユリ、ササユリ、カサブランカ
ソルボンヌその程度

この白い花もカサブランカとか
確かにカサはスペイン語で家、ブランカは白
映画で有名になったカサブランカは
アフリカ北部の白い家が立ち並ぶ場所
だとすれば、白いユリにこそ
カサブランカは似合う。

今日、昭和記念公園に寄ったのですが
ソルボンヌは終わっていました。

そして、西立川ゲートの傾斜地にカサブランカが満開でした。
咲く期間が短いので出かけるタイミングが難しいのですね。
幸運にも今日は美しく咲いていました。

でも、百合は一本だけ野に咲いているのが美しい。
群生している百合は調和がとれない
好き勝手な誰かと同じ。
可愛げがない。

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今日の芭蕉

かがり火にかじかや浪の下むせび  芭蕉

かがり火の浪にうつる下で鳴くのは、鰍が下むせびにむせび鳴く声であろうと思いやった。

ちょっと解説を読んでもよく理解できません。でも自然を詠んだ句であろうと見当がつきました。でも、「だから何だ」という答えは、ひびいてきません。それでいいのでしょう。私は芭蕉のファンでもありませんし、研究家でもありません。いい句に出会い、口癖にしたいだけの興味です。

たとえば、どこかに出かけた時、景色が言葉を引き出す。そんなことがあったら素敵ではありませんか。それです。それだけです。

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今日の万葉集

立ちて思ひ 居てもぞ思ふ 紅の 赤裳裾引き いにし姿を

立っても思われ、座っても思われてならない。紅染めの赤裳の裾を引きながら、歩み去っていったあの姿が。

万葉集の恋唄はストレートで気持ちがいい。これほどまでに恋したい。そう思っている人は、老いも若きも男も女も多いのではないでしょうか。とくにこの作は、映像が美しいですね。

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朝日のように爽やかに

今日はお茶の水、浅草、昭和記念公園を回りました。
電車の写真、橋の写真
そして、夏の花を撮りに出かけましたが
まあ、そこそこ
暑くて最初のお茶ノ水で消耗してしまいました。
古本屋で本を買ったのが失敗でした。
本はけっこう重いのですね。

でも、迷ったら進め

ためらったとき、もし、行動を起こさなかったら
きっと後悔する。
でも、「しない」ときのの判断は即断即決で
躊躇いの余裕などない。
理由などいくらでも作り出せる。