平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2514 プーチンと言えば  

2022-03-12 12:00:39 | 日記

狂想のプーチンが、ウクライナへの侵略戦争を仕掛け、TⅤに映るプーチンの形相が、普通ではない、狂相

に見え、プーチンの名前から、ラスプーチンを連想し、怪僧ラスプーチンにトリつかれた男、怪僧ラスプーチン

の再来かと思って、怪僧ラスプーチンのこと、インターネットで調べてみました。

怪僧ラスプーチンは、第一次世界大戦(1914年~1918)、1917年、ロシア・ロマノフ王朝が、レーニンの

共産革命で崩壊する頃まで、預言者・超能力などいろいろ神秘的な人物として活躍したが、最期は暗殺され

てしまった。

評価は、「難病を治す神の人」と言われたり、「預言者」「強欲人、エロマニア」と言われたり、「ロマノフ

朝崩壊させた怪僧」など、いろいろ分れるようで、ミステリアスな人物らしい。

当時のロシアは、神秘主義が流行、ラスプーチンの予知能力、祈祷による難病治癒能力が評判になり、ロマノフ

王朝に呼ばれ、皇太子の血友病を祈祷で、快方に向かわせたことで、皇帝や王妃の信頼を得、貴族の間で、特に

宮廷の貴婦人から人気と信仰を集めた。

嫉妬心が強く、ラスプーチンを気に食わない貴族や、医者などは、迷信を怪しげに扱い、貴族女性達との性的な

乱交男などとデマを振りまいたらしい。

スキャンダルの狂騒の中で、ラスプーチンは、宗教裁判にかけられ、暗殺に怯え、一旦は、故郷に帰ったが、

暗殺者の狂剣に遭うも、ラスプーチンを信頼していた皇帝夫婦が送った医師団のお蔭で、治癒し、皇帝・皇后に

重用され、相談され、政治に口を出すことになり、政治を操る怪僧ラスプーチンとして悪者のイメージに。

第一次世界大戦で、ドイツと戦うことは「王朝を滅ぼす」と大反対。基本的には平和主義者だったのに、、

ドイツとの戦いで150万人の兵隊戦死者を出し、ラスプーチンが悪者にされた。

反ラスプーチンの貴族が、夕食に誘い、毒殺の食事・ワインに、平然としていた。拳銃で、撃たれるも、

立ち上がる、という、ゾンビみたいだったようで、拳銃で撃たれても死なない、コモに包まれ川に投げ捨て

られ溺死したことになっているらしい、と、死ぬまで、ミステリアスな怪僧ラスプーチンだったとの逸話?も。

怪僧ラスプーチンは、暗殺前に、「暗殺されれば、必ず王ロマノフ王朝も滅びる」と予言、ラスプーチン

の死の、3か月後に、預言通り、ロシア革命で、ロマノフ王朝は崩壊した。

さて、狂気のプーチンは、どんな末路を辿り、後世の歴史家がどのように評価するか。

早く、戦争を止めれば、最低の評価なりにも、少しは上がると思いますが、平和主義者のラスプーチンには、

遠く及ばないかも知れません

河津サクラがやっと咲きました。

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