平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2526 平和条約と北方4島

2022-03-24 10:43:29 | 日記

キチガイプーチンは、日本が、米欧と一緒になって「ロシアに対する経済制裁」していることが、気に食わ

ない」からと、

「日本との平和条約締結に関する交渉を打ち切る」と脅かしている。

キチガイプーチン政権下では、北方4島の返還は、絶望的だ。

戦後77年になろうとしているのに、日ロ平和条約が結ばれていないことに、今更ながら驚く。

 

1945年2月のヤルタ会談の結果を受け、ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破棄、1945年8月9日、満州に

侵入、日本がポツダム宣言受諾した8月14日後も、満州や樺太などに侵攻、9月2日、東京湾のミズリー

艦上において「降伏文書」に調印されるまで、ソ連の侵攻は続いた。北方4島も占領。

この時、ソ連は、北海道の半分を割譲せよ、と主張、主戦国であるアメリカは、拒絶。

これまでの戦争では、領土を、取った取られたは、勝った方と負けた方の、当たり前の決着の仕方だった。

日本は、対戦した国と、平和条約を結んだが、ソ連は、「北海道半分割譲」を受け入れられなかったことも

あり、平和条約を結ばなかった。

話は遡り、日露戦争の樺太割譲経緯。

ロシアは、1905年6月12日、日本の樺太占領前に、アメリカの講和勧告を正式受諾していたにも拘らず、

日本軍は、7月7日、樺太に侵攻、7月末までに全島を占領。

1905年8月9日、ポーツマス講和会談が開始され、9月1日休戦協定締結、9月5日調印。

ロシアは、猛反発したが、日本へ樺太南半分割譲で妥協、決まる。

終戦が決まるまで、戦果として勝ち取った『領土』は「おれのもの」というのは、お互い様だった。

日露戦争での、「樺太南半分割譲」が、ウラミとなって、平和条約が結ばれなかった一因となっている。

いずれにしても、「武力で取った取られた」は、ウラミが残る。

武力で紛争解決しようとすれば、泥沼戦争になる。武力ではなく平和的な話し合いで、が基本なのです。

北方4島問題は、キチガイプーチン政権崩壊後に、新政権と冷静に話し合いを進めることです。

ウォーキング中に出会った、春の花です。

3月24日、「今日は何の日カレンダー」より マネキン記念日
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▲米大使ライシャワー刺傷事件(1964)▲蒸気機関車、引退(1970)▲中国自動車道全線開通(1983)

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