キチガイプーチンは、日本が、米欧と一緒になって「ロシアに対する経済制裁」していることが、気に食わ
ない」からと、
「日本との平和条約締結に関する交渉を打ち切る」と脅かしている。
キチガイプーチン政権下では、北方4島の返還は、絶望的だ。
戦後77年になろうとしているのに、日ロ平和条約が結ばれていないことに、今更ながら驚く。
1945年2月のヤルタ会談の結果を受け、ソ連は、日ソ中立条約を一方的に破棄、1945年8月9日、満州に
侵入、日本がポツダム宣言受諾した8月14日後も、満州や樺太などに侵攻、9月2日、東京湾のミズリー
艦上において「降伏文書」に調印されるまで、ソ連の侵攻は続いた。北方4島も占領。
この時、ソ連は、北海道の半分を割譲せよ、と主張、主戦国であるアメリカは、拒絶。
これまでの戦争では、領土を、取った取られたは、勝った方と負けた方の、当たり前の決着の仕方だった。
日本は、対戦した国と、平和条約を結んだが、ソ連は、「北海道半分割譲」を受け入れられなかったことも
あり、平和条約を結ばなかった。
話は遡り、日露戦争の樺太割譲経緯。
ロシアは、1905年6月12日、日本の樺太占領前に、アメリカの講和勧告を正式受諾していたにも拘らず、
日本軍は、7月7日、樺太に侵攻、7月末までに全島を占領。
1905年8月9日、ポーツマス講和会談が開始され、9月1日休戦協定締結、9月5日調印。
ロシアは、猛反発したが、日本へ樺太南半分割譲で妥協、決まる。
終戦が決まるまで、戦果として勝ち取った『領土』は「おれのもの」というのは、お互い様だった。
日露戦争での、「樺太南半分割譲」が、ウラミとなって、平和条約が結ばれなかった一因となっている。
いずれにしても、「武力で取った取られた」は、ウラミが残る。
武力で紛争解決しようとすれば、泥沼戦争になる。武力ではなく平和的な話し合いで、が基本なのです。
北方4島問題は、キチガイプーチン政権崩壊後に、新政権と冷静に話し合いを進めることです。
ウォーキング中に出会った、春の花です。
3月24日、「今日は何の日カレンダー」より マネキン記念日
▲壇の浦の戦いで平氏が滅亡(1185)▲天皇の写真売買、禁止される(1874)▲コッホ、結核菌を発見(1882)
▲マネキンガール、初登場。御大礼記念博覧会で高島屋呉服店のコーナー(1928)▲プレスリー、入隊(1958)
▲米大使ライシャワー刺傷事件(1964)▲蒸気機関車、引退(1970)▲中国自動車道全線開通(1983)
▲世界フィギュアで安藤金、浅田銀(2007)▲上原尚子世界アンデルセン賞(2014)▲スキージャンプの
高梨沙羅選手、男女通じ最多の54回優勝達成(2018)