3/3(月)2℃
おはようございます。週末は如何して過ごされましたか。予定していた「釣り」と予定外の「身内の葬儀」。これで2日間があっという間に過ぎてしまい、どこか不完全燃焼的な気分で週明けを迎えてしまいました。
まずは、釣りの結果から。
土曜日、仕事は休み。天気は晴れ。
絶好の条件に恵まれ、いざ、出陣。
あっ、「組合員資格の更新と入漁権行使の手続きを忘れてた」と気づいたので、漁協事務局へ。あれっ、開いてない。何度か時間をずらして事務局を訪問しても事務局が開いてないんです。これはヤバイと、近所の商店を回り、組合員用の入漁用腕章を手に入れようと併走したんですが×。結局、入漁券を手に入れることができずに、川を見て歩くだけになってしまいました。
結局、自分の準備不足で釣りに行けなかった事に腹立たしい思いが募り
、解禁の日ぐらいは何かあってはいけないだろうからと事務所に出勤するとか、事前に組合員への告知を徹底しておくとか何かの方法がなかったんだろうかと、色々考えても結果が結果だったんで、「あ~あ、テンション低~↓」。
釣られていた、アマゴの写真をゲットしたのでご覧ください。
アマゴを見て、何か気づかれたところはありませんか。これを見てすぐに気づかれたら・・・・・・凄い。大きさじゃあないんですよ。
正解は「魚の色」。下側のアマゴは、銀系のアマゴでサツキマスになる可能性を秘めた魚種なんです。実物を触ると、鱗(うろこ)が剥がれたんで、まずは間違いないと思います。水内川と太田川の合流点ではサツキマスの遡上が良くあるようですし、湯来ロッジ下流でも年数匹のサツキマスが確認されることがあります。
このコメントを書き込みながら、残念な結果に終わってしまった解禁日が恨めしく思う朝になっています。「がっかり
」
今日は、ひな祭りの日。
ありきたりですが、雛祭りの由来を書きます。
三月三日(雛祭りの日)が女の子の節句になったのは、江戸時代の頃からですが、正式には上巳(じょうし)の節句といい平安時代の宮中では、三月初めの巳の日、風流な遊びとして曲水の宴が行なわれていました。これは水の流れに杯を浮べ、身のけがれを払うもので現在の流し雛に関係があるとされています。
この上巳の風習と禊(みそぎ)の行事が結びついて巳の日祓と称して、身体のけがれを人形に移し、これを川や海に流して厄災を払う行事へと移りました。
やがて、けがれ祓としての意味は薄れ、女子の健やかな成長を祝う式日へと変化したのが雛祭りとなったようです。
雛人形の由来は、古代、紙や草、木で作った簡素な人形(ひとがた)に自分の厄や災いを移して川や海へ流した流し雛とこの祓(はらい)の道具としての人形が貴族子女の間で雛遊びとなり結びついたのが、現在の雛祭りに起因しているようです。そのうち人形も段々と立派に華やかになるにつれて川に流すのをやめ毎年雛人形を飾り置くようになりました。今日では、雛人形は段飾りが主となっていますが、江戸時代、文化、文政の頃には民間でも最高の生活様式は宮中にあるとして、内裏雛、左右両大臣、三人官女、五人囃子等を飾るようになりました。
「雛祭りの歌」最後まで歌えますか?本当の曲名は「うれしいひなまつり」。ちなみに、私は1・2番しか知りませんでした。皆さんはどうでしたか?
曲者 河村 光陽
作詞者 サトウ ハチロー
(1) あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り
(2) お内裏様(ダイリサマ)と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした ねえさまに
よく似た官女(カンジョ)の 白い顔
(3) 金のびょうぶに うつる灯(ヒ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒(シロザケ) めされたか
赤いお顔の 右大臣(ウダイジン)
(4) 着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り