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2/24(月🎌) ー4℃ 新雪❄️積雪20センチ
おはようございます。
この冬何度目かの寒波がやってきて、少しですが、積もりました。
山間部に予定がある方は気をつけましょう。
さて、今年の5月24(金)に書き込みした記事のその後が気になっていましたが、日曜日の中国新聞に記事掲載されてましたがご覧になりましたか?
私のブログでは、
遡ること10数年前、このブログに湯来に伝わる民話を連載している頃があって、その時に分かったらお教えしますと言っていたのを湯来西公民館の職員の方が読まれて、その後どうなったのでしょうか?との電話をいただいたのでその調査結果をお伝えすべき聞き取りをするチャンスを伺ってたんですが、なんせ聞き取りしたい家が空き家なものでなかなかチャンスがなかったんですが、昨日、その家の方とあうことになり、現物を触らせていただいて、写真まで取らせていただきました。👏
世代が代わりこの家にどのような経緯で在るのか本人も分からないと言うことで、親戚の叔父叔母に聞いてみるとの事をお願いして家を後にしましたが、確かにその弓矢は現存してました。
古い布入れに入れられて床の間の前の鴨居に飾ってあり、下に下ろして袋から出していただき写したものがこちら。材質は木ではないかと思ったんですが、表面を漆のようなモノで被われていてハッキリ分かりませんでした。端っこが観れたのでアップした写真でご判断ください。やっぱり木のように見えるかな?
当家の子孫の方の電話番号を教えていただいたので、少し時間をおいてまた確認するつもりです。
私の記憶、間違っていなかったことにホッとするやら、調査すると言っていたことを忘れてしまってたことやら、モヤモヤしていたものがスカッとしそうな・・・😅。
連絡待ちですが、もう少し時間の猶予をお願いします🙇⤵️。
こちらは前述の書き込みよりも十数年前に書き込みした時の民話です。
「阿弥陀ヶ峰物語第3話・山川家に伝わる話」
九郎左衛門が亡くなってから何代か後のことです。ゆとりある暮らしを送っていた山川家も、生活がだんだん苦しくて来ました。その上、火災に遭いました。
食う米も無くなり、貧乏をすれば借りに行っても貸してくれる者もありませんでした。生きていくために仕方なく「大蛇退治にまつわる家宝の弓矢だが手放さなければなるまい」と、当時栄えていた庄屋さんに麦1俵で弓矢を譲ってしまいました。そして、数人の家族が麦三斗(45kg)にワラビの根、フキ、ヨモギ、ショウボウ(木の葉)などを採食しながら4ヶ月飢えをしのぎ春を迎えたそうです。
弓矢を譲り受けた庄屋さんでは、こんなことがありました。
あくる年の春、女房がひょっくり死んでしまいました。続いて一人娘も急死しました。こんなことがあって、夏が過ぎ秋が深まったある晩、主人が寝ていると山川家から譲り受けた弓矢の下に、筆立てが何事もないのに、パァーンとう音とともに真っ二つに割れてしまいました。主人はふと、山川家に伝わる伝説を思い出し、「丁度、大蛇を射止めた時刻であろう」「春以来の不祥事も弓矢の祟りであろう」「この弓矢は我が家で持つべきではない、山川家にお返ししよう」と夜明けを待って山川家に返しました。
これからは、代々山川家に伝わり、両家とも平穏な暮らしが続きました。
もう1つが今回の弓矢の話になっている民話で「阿弥陀山池の草で大蛇が化身した大きな鹿を退治したお話」。このお話に出てきた弓矢が今回の弓矢だと思われます。たぶん二つが一緒ではないと思われますけど、調べてみないとわかりませんね。
この弓矢、ある家に実在していると思うんです。単なる民話じゃなく、実在してるんです。私微かな記憶の中に子供のころ遊びにたち寄った家の鴨居に掛けてあったような・・・・、いつか、記憶に残るその家にお邪魔して真実を確認しようと思います。いつになるかは分かりませんが、気長にお待ちください。
もう少し調べて次の内容が正しいのかどうかを検証しようと考えていましたが、新聞掲載されたので3月8日がどんな発表と公開になるかを楽しみにしておきたいと思っいます。
検証しようとしていた情報がこちら。
阿弥陀ケ峰 池の平 大蛇退治弓矢の伝説 湯来町黒谷T家蔵
今を去る、約五百年前の事である。黒谷部落に九郎左エ門という、非常に弓 の上手な豪傑がいた。何処から来てこの地に住み着いたか不明である。平家の 落人だということである。
この人の弓は射た矢は必ず当たる、一名鬼九郎と徒名された。
片方の目に瞳が二つあると伝えられていた。この人の家は黒谷道の すぐ下で今のF家の前の大野という田がある。これが彼の宅地だと伝えられて いる。又この宅地のすぐ下が旧道でこの道に沿って細長く曲がりくねった田が ある。
この人の馬場であり弓矢の稽古場で毎日のように馬を乗り回し、弓矢の 稽古をしていたそうだ。弓がどのくらい上手になったか試みた話がある。
黒谷部落でS家の墓地と聞けば誰でも知っている箇所がある。
或る日、郷(志 割)から馬に乗って帰る途中、ここまで帰ってくると、川向こう約三百Mのところを猪十二頭が山に向かって逃げていく。
鬼九郎十二本の矢を取る手も見せ ず、ピュウピュウと射続けに射通した。見事十二頭全部射止めたという。馬上
豊かな武の腕前であった。彼が用いた弓は七人張りだったという。当時たんぱく質の供給源は猪、兎等だった。
大蛇は山に千年、川に千年、海に千年、三千歳の修業を積んで、竜になるという。竜は竜巻に乗って天に昇り、雲に乗って天翔り大洪水を起こして海に降りるという。この大竜こそは、阿弥陀ケ峰を住処として、池の草の蛇の池に住み着いていた。白砂村も菅沢村も竜の降るを恐れて、戦々恐々の有様である。
ある年のこと一点にわかに掻き曇り雷鳴ものすごく大雨大荒れ、大洪水は川筋の民家を残らず押し流されたこともあった。人の命を奪い取られたこともある。雨のふる夜はろくろく眠れない有様であった。鬼九郎左エ門どうしてもこの大蛇を退治して部落民を救わねばならぬと三、七、二十一日の祈願を掛けて、いよいよ決心したのである。
その頃この地方で信じられていた噂は、池の草(蛇の池)と極楽寺山(五日市観音山)の蛇の池とは池の底が通じているといわれ、竜はどちらの池にでも出没したと噂された。時には山中に住んでいることもある。夜になると池の水を呑みに来るそうな。まあどちらにしても矢をお見舞い申そうと初日の晩、夕方早くから身支度を整えて明るいうちに池の草につき、いざござんなれと待ち受けた。しかし何時までたっても姿を見せない。大蛇は年を経て神通力を持っているそうな。我のいる場所を見ているのかもしれない。段々不安になってくる。自分の一番安全な場所は無いだろうか。暗闇の中で安全な場所を捜し求めた。
現在人立岩という岩がある。これは良しとその後ろに陣取ることにした。我が陣は最上だが、いつまでたても、二日たっても三日たっても池の面は静まり帰って音ひとつしないのである。
鬼の九郎もへこたれそうになったが、十九日目のことである。
真夜中の家の軒下三寸下がる丑三つ時、自分の家の女中が昼でも怖い山道をハアハアと息も切れ切れでやって来た。一里半はあろうという道を唯一人「旦那様お客様が来られまして奥様のお言いつけです。すぐお帰りください」と言う。こんな真夜中に女一人で来るとはおかしいなと思ったけれど、いつもの女中に紛れも無い。帰ることにしようと家路をたどる。道々女中にお客は誰かと聞くと、知らない人ですという。時折珍客がある。野武士の頭目どもであろうと思った。途中世間話などして家の近くまで来ると「今夜は遅いので私宅に帰らせてもらいます」と女中は言い別かれて帰っていった。
鬼九郎家に帰り着いたが、家の中は客がいそうも無く寝静まっている。女房は起きて灯心に火を入れた。いつも女房と共に出迎える猫の白がいない。お客はどなたかと女房に聞くと、お客なんか有りませんよとキョトンとする。女中に言いつけた覚えはないと女房不思議顔。丁度その時表から猫の白が帰ってきた。
鬼九郎何思いけん。弓を取るが早いか矢で猫を射た。鬼九郎またもと来た道を池の草へと引き返していく。女房たまげて白猫をなして射殺したかわけもわからない。鬼九郎ただただ大蛇を討ちたい一心であった。二十日目も何事も無かった。
三七、二十一日目満願の夜であった。長い間の疲れも出たのか無性に眠くなった。我慢しきれなくなってきた。ついうとうとと眠ってしまった。
何時たったかわからない。悪夢でも見ていたような気がする。うなされながら目がさめた。何か異様な物音がする。暗闇に透かしてみると、人立岩の肩越しに大きな鹿が三匹、池の水を呑んでいるではないか。両脇に雌鹿一匹ずつ従え中の牡鹿は大角を振りたて物凄く見事なことである。人の目に気づいたか、角を振り立て振り立てまっしぐらに此の方に飛び掛ってきた。鬼九郎すばやく弓矢を取り射んかなと構えたけれど、待てしばし大蛇を退治に来て鹿を討ち取って何とする。ひらりと身をかわして、持ちたる矢の魔王見の穴から異様に光る牡鹿の目をじっと見た。
魔王見の穴というのは、矢先の菱形なところに四つの穴が空けてある。修行を積んだものが覗き見ると化け物の正体が見える。
即ち化けの皮が剥がされるのである。正しくこれは化け物である。鹿ではなく大蛇の化けた姿であるとわかった。飛び掛る大鹿の角の間をめがけて、満月のごとくに引き絞った矢をヒューと放つ。
早いこと強いこと的の外れる筈もなし。命中したかと思った瞬間、百雷一度に落ちた大音響、大地は揺らぎ池の水は天まで沸き立ったという。苦しい大蛇の呻き声。口から吐き出す大蛇の毒気に当てられてか、さすがの鬼九郎次第に気を失い、人事不省に陥った。それ以後のことはどうなったか自ら知る由も無い。気の付いたときは白砂村のY家に寝かされていた。一ヶ月も経ったが起きられない。医者の見立ても薬も効き目が無かったという。二ヶ月経ってようよう歩かれるようになり、まる三ヶ月で家に帰ることになった。迎の者と帰れる嬉しさ、川角を通って帰ることになった。
一寸くたびれたので腰を下ろして休んだ。川角のS氏の宅の近くに今でも休み石というのが有る。あの時に休んだ石だという。
黒谷に帰ってからも三年間床に伏していた。めっきりやせ衰えてしまった由、とうとう直らなかったのである。
他界する七日前のことである。九郎左エ門は妻子を枕元に呼んで、病気も余りはかばかしくない、この分では到底長生きもなるまい。今まで黙っていたが白猫を射殺した真相を話そう。猫は魔物というか、うちの白猫は年をそう取ってもいなかった。それが女中に化けていた。なして化けることが出来たかというと何千年もこうを経た大蛇、身の危険を知って白猫を使ってわれを家に引き戻そうとしたのである。あの時白猫を射殺さなかったら、わしは猫に殺されていただろう。白は捨て猫だった。
大蛇が使いものとして拾わせたT家では白猫を飼わないことにしている。竜の災難からは逃れることが出来たが九郎左エ門は死んだ。
それから何百年、当時あった古文書も火事にあって焼けた。
藤本家に弓矢を渡したこともあった。しかしいろいろ異変が起き又T家に弓矢は戻った。現在K家にある矢先はこんな昔話のある矢先である。
蛇の池の人立岩は今も残って昔を語っている。
各地に謂れのある石や家が在る(在ったこと)は解ってたんですが、郷土史研究者のSさんにも情報提供しておいたし、これを裏付ける資料が手に入ってから動こうとしたんですが・・・、気力と興味が続く限り調査は続けてみたいと思っています。
空想の民話ばかりでないとこが実証してみたいなぁ。
私が訪問した時に撮影させて頂いた矢じり「魔王見」。お誘いあわせの上、公開日に西公民館へ行ってみましょう。
外は雪❄️、おとなしくしていようっと😅。
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