三流読書人

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ドングリ小屋住人 

米国産牛肉輸入再開・人の命

2005年12月22日 14時05分59秒 | 教育 
 斉藤貴男というジャーナリストがいます。彼の『国家に隷従せず』(ちくま文庫・筑摩書房)のなかに
《鳥インフルエンザとBSE・ビジネスと軽々しく扱われる人命》という文章があります。少し長い引用ですが、読んでみて下さい。先日、米国産牛肉の輸入が再開されました。

 京都府丹波町で養鶏場を経営する浅田肇・千佐子夫妻が二〇〇四年三月八日に自殺した。「たいへんご迷惑をおかけしました」の遺書がのこされていた。鳥インフルエンザに感染した鶏を大量に発生させたことに端を発した騒動に耐えかねて、心中を選んだものと見られる。
 彼らはそれほどまでに追いつめられていた。
 保健所への届け出の遅れや、感染のおそれのある鶏の出荷を企てていたらしいなどと言った情報が次々に発覚し、全国のマスコミが殺到。こてんぱんに叩かれて、業界団体の副会長職を解任された。浅田夫妻の自殺後も、農水省は後継者で長男の浅田秀明氏を家畜伝染病予防法違反の疑いで京都府警に告発する方針であるという。
 一方、同じ食肉獣の伝染病でも、二〇〇三年末に米国で発見されたBSE(牛海綿状脳症)の扱われ方はまるで違った。まさに米国牛を使用していた「吉野家」や「松屋」といった牛丼チェーンの苦境に対する面白おかしい、同情的な報道が繰り返された挙げ句、ついには日本側の禁輸措置について、ゼーリック米通商代表部(USTR)代表にこんな発言をさせるに至らしめた。
「日本は牛肉不足で、大好物のビーフポット(牛丼)が食べられなくなって大騒ぎだ」(二〇〇四年三月九日、上院財政委員会)
 何しろ茨城あたりの吉野家では、牛丼が売り切れていたのに腹を立てた客が店内で暴れて逮捕される事件まであったほどである。彼ら消費者の思い入れが、日本政府に早期の禁輸解除を促すに違いないとの見方を、ゼーリックUSTR代表は示したのだった。
 さて、鳥インフルエンザとBSEの間の、この落差はいったいなんだろう。ちょっと、おかしすぎはしないか。
 ・・・中略・・・
 鳥インフルエンザは通常、直接接触しなければ、人には感染しない。感染した鶏肉をを食べても平気である。だからどうでもよいことだとも言わないが、本来、一般の消費者にとっては、それほどの危機でもなんでもないのだ。
にもかかわらず騒がれつづける理由は、大きく二つあると見てよいのではないか。
①イラクへの派兵を肇とする戦争への道行きから国民のめをそらさせる情報操作、②副作用が恐れられ接種者が激減したインフルエンザワクチンの市場を再びの活性化させたい医療品業界、医療関係者らの思惑を受けた、これまた情報操作、の二点である。
 一方のBSEはどうか。運悪く感染した牛肉なり肉骨粉を摂ってしまったら、かなり危ない。だからこそ二〇〇一年九月、汚染された牛肉が市場に出回っていると報じられた際にはパニックに近い状況に陥り、すべての牛を対象にした全頭検査と危険部位の除去が続けられてきた。
 ところが今回は、一般の関心が牛丼に集中した。あと何日で食べ収めなどとテレビのワイドショーや大衆紙はもちろん、ハイグレードが売り物の全国紙までがカウントダウンではしゃいでいた牛肉の在庫だって、BSEに汚染されていた可能性は決して小さくなかったはずなのに。
 何もかもその場の空気、ムード次第の日本社会、そのような文明論的に説明しようとする論調はすでに散見されるし、なるほど失業率の上昇が続いて閉塞感があふれ、戦争への道行きへの不安が募る一方の日本社会に生きる人々は、BSEのような重大問題までも冗談のネタにしてシャレのめしていなければやりきれない、ということなのかも知れない。
 だがそれだけでもないと思う。私は一連の騒動、あるいは鳥インフルエンザとBSEに関する報道、人々の反応に、より恐ろしい歴史的な変化を見ている。
 要は、人の命というものがとことん軽々しく扱われる現実。逆に企業、ビジネスの論理が最高の価値を認められる社会が、今、まさにやってきてしまっているということだ。