メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

サイド・バイ・サイド

2006-05-20 22:30:14 | ピアノ

キーシンとレヴァインによるシューベルトのピアノデュオについて、「デュオは歌える人の演奏でききたい」とのコメントをいただいた。

確かに、見事に合っている(ほほえましいということも含め)、丁々発止火花が飛ぶ、とかいろいろ表現はあるが、これらはデュオの具合に関するものであり、もちろん本来はその内容がどうかである。
 
シューベルトのこの種の録音はいくつかあり、当然モーツアルトのものも多いが、他にはと、と思いあたったのがラフマニノフ、2台のピアノのための組曲第1番、第2番である。
 
マルタ・アルゲリッチなどは、1982年にネルソン・フレイレと第2番を、1991年にアレクサンドル・ラビノヴィッチと両方を録音している。(それぞれPHILIPS、TELDEC)
彼女はもうソロをやらないみたいだから、ライブでやった機会も多いかもしれない。

こ2つの録音に比べても好きなのはウラディーミル・アシュケナージとアンドレ・プレヴィンのもの。(1974年DECCA)
とてもバランスがよく、相手の音をよく聴き、お互いがそしてそれぞれがよく歌うように、うまくはこんでいる。
 
気がついてみるとこれはキーシンとレヴァイン同様、ロシア系ピアニストと指揮者の組み合わせである。こういう組み合わせ、誰でもとはいわないが、ピアニスト同士よりいいのかもしれない。
 
ところでこのアシュケナージ/プレヴィン盤、CDではソロの曲とカップリングされているが、LPで出たときにはデュオだけであった。それもあってかアルバムのタイトルは「サイド・バイ・サイド」というジャズ・ヴォーカルの題名をつけ、しゃれたものになっている。
 
おそらく仲の良いデュオということ、プレヴィンが当時すでに一流のジャズ・ピアニストであるということの両方があるのだろう。
 
彼がトリオで演奏した「マイ・フェア・レディ」(1956 Contemporary)、「ウェスト・サイド・ストーリー」(1960 Contemporary) の2つのビッグヒット・アルバムはエヴァー・グリー
ンとなっている。
たまに取り出して聴く。


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シューベルト連弾か2台か

2006-05-14 20:54:17 | ピアノ

シューベルトの4手用ピアノ曲を、エフゲニー・キーシンとジェームズ・レヴァインが弾いたものをコンサート・ライヴCD(BMG)で聴いた。(輸入盤、タワーレコードで2枚組1890円)

これらの曲は通常一台で連弾するわけだが、いくつかの紹介文でも書かれているとおり、またジャケット写真でもわかるように2台のピアノで弾かれている。
 
いくつかの曲が共通するCDを2枚持っていて、それぞれリヒテルとブリテン、バレンボイムとルプーの連弾である。しばらく聴いていないこれらとの詳しい比較はともかくとして、今回のCDは曲の構造がよく見える。 
ピアノのことは詳しくはわからないが、やはり一台で4手だと響きが混濁するのだろうか、またペダルはどちらがやるか決めておくのだろうか。そこへいくとうまい人がやった場合は2台の方が効果的かもしれない。
 
それにキーシンはともかく、レヴァインはあの巨体だから2人並んでは弾きにくいだろう。2005年の5月1日ニューヨークだそうだが、レヴァインは確か体調の都合で今般メトロポリタン・オペラと一緒に来日はしなかった。どうなのだろうか。
 
シューベルトの連弾曲は主としてピアノ教育用に書かれたものらしい。確かにここにもある「軍隊行進曲」はピアノの先生と生徒が発表会などで弾いていた記憶がある。
このなかでは、教育用という枠を超えていると思われるソナタハ長調D812「グランデュオ」が繊細かつ豪快で圧巻である。レヴァインも「鱒」のピアノパートを聴いたときから指揮者のピアノとしてはうまい方だとは思っていたが、こんなにうまいとは。
 
そして軍隊行進曲」がアンコールにある。これも本当にすばらしい。スタジオ録音でもコンサートでも、こういうアンコール・ピースについては、その選択も演奏も、キーシンという人は聴く人をとらえてはなさない特別の力を持っている。
以前よく弾いた、リスト編のシューマン「献呈」、そして同じくリスト編のシューベルトの歌曲の数々は、今もよく取り出して聴く気にさせてくれる。

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F・グルダのモーツアルト

2006-05-10 21:20:31 | ピアノ

F・グルダ モーツアルト・アーカイヴ

グルダは1980年頃に多くのモーツアルトのピアノソナタを私的に録音した。なんらかの事故でオリジナル・マスター・テープはなくなってしまったらしいのだが、カセットテープが残っており、それからリマスタリングして今回モーツアルト・アーカイヴというCD3枚組でDG(ドイツ・グラモフォン)から発売された。タワーレコードで買ったのは輸入盤(3190円)で、こっちのタイトルはずばりモーツアルト・テープである。

演奏家が故人になるとこういう不思議なテープが出てくるのだろうか。カルロス・クライバーの「田園」も、まさかこの曲の録音があるとは思わなかったのだが、息子がライブをカセットにとっていたそうだ。

それでも聴けばまさしくこれがグルダ以外の誰の演奏でもないことは誰でもわかる。録音は必ずしも良いものではないが、小さな部屋で彼の演奏の本質を味わうのに何の不足もない。

ベートーベンのピアノソナタ全曲録音にも共通するが、快速なテンポで、新鮮な眼で楽譜を読んで引き飛ばしていけば、そこから曲の本質はおのずから出てくる、それを瞬時に感じ取って展開していけばいい、そういう心地よさとまさに正しく対象を捉えたというかたちがある。この瞬時というのは他の人では多分出来ない。
だからモーツアルトのピアノソナタをはじめてこんなに続けて聴けたのかもしれない。

しかし、これだけの数をまとめて録音したのを見て誰でも不思議に思うというか不満に思うであろうことは、どうしてあのイ長調K.331トルコ行進曲付とイ短調K.310がないのだろうかということである。
前者はこの数年前にamdeoに録音したものがあり、そのLPも持っており、それは見事な演奏であるが、K.310はこれまでにも録音があったという記憶がない。

この名曲はなかなかいい録音がない。数少ない短調だから曲に表情、陰影を感じるのだろうか、たいていの場合はタッチを変えたり、強弱もつけすぎたりして、速度感が変になってしまうのである。持っているものでも、比較的新しいペライアがそうだし、かっては名演と思っていたあのリパッティでさえ今聴くとそうである。

そういう中でグルダの演奏はそうならない期待というと変だが聴きたかったのだ。まあこんな演奏になるだろうと頭の中で鳴らすしかない。

それでもグルダに感謝。


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