中田英寿が日本代表だけでなく現役を引退した。
ホームページでの言動からなんとなく予想していたが。
最も感動した中田
1997年フランスW杯アジア予選最終試合、インドネシアのジョホールバル、相手はイラン、
サドンデスの延長も残り少なくなり、両チームとも疲れでだるくよどんだ空気がみなぎったとき、中央少し前でボールを持った中田は何人かの中を縫ってドリブルを始めると誰も止められない、無謀とも思える距離からのグラウンダーのシュートはキーパーの手をはじきそこに交代で入っていた岡野が飛び込み決勝点。
何度もビデオで繰り返されたが、今見ると、中田のドリブルも速くはない、シュートは利き足ではない左足のそれほど強くないもの。しかし双方この気候で長時間、疲労の極に達していたときに、これをトライしたということ!
最もかっこよかったNAKATA
2001年イタリアセリエA、2チーム目のローマ、事実上の優勝(スクデット)決定のユベントス戦、ペルージャでのデビュー戦で2点入れてから相性はいい、後半不調のトッティに代わり、中盤少し前で後ろからボールを奪取、ドリブルでゴールに向かう、このときフォワードのバティストゥータとモンテッラは相手バックスを引き連れて左右に散り中田の花道をあけて、シュート、ゴール。
バティストゥータ(アルゼンチン)はW杯で日本から最初のゴールを奪った英雄である。
この数年、中田はセリエA、プレミアとも試合にあまり出てないこともあり、その理想の追求の場はいきおい日本代表チームになってしまい、それがチームメイト、ジャーナリズム双方との間に極度の緊張をきたしてしまった。どちらの責任でもないが、高額の移籍料を伴うヨーロッパ・サッカービジネスが背景にあるのかもしれない。
こうしてみると、あの時は不明にも気がつかなかったが、もしフランスW杯の代表に三浦知良が入っていたら、その後の日本サッカー界の歩みはもう少しなごやかになっていたのではなかったか。