メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

歌舞伎座 初春大歌舞伎

2015-01-09 21:36:21 | 舞台
初めて歌舞伎を見に行った。これまで映像でもしっかり見たことはない。たまたま歌舞伎座のチケットが手に入った。
昨年建て替えられた歌舞伎座、地下鉄東銀座から入ってすぐのところはチケットを持っていない人も入れるデパ地下のようなもので、弁当、お菓子、記念グッズなどの売り場がたくさんある。
 

さて初春ということだからか、演目(今回は夜の部)は新しい、親しみやすいもののようで、1時間前後のもの三つというのは、初めての者にはありがたかった。
 

最初の「番町皿屋敷」、皿屋敷というと怪談かと思っていたがこれは岡本綺堂作の近代劇であり、旗本の男の腰元に対する恋の無念を描いたもの、こういう話だったのかという感が強いとはいえ、ドラマとしては納得がいった。旗本は中村吉衛門、しだいに熱くなっていくところはさすが。
 

次の「女暫」は、登場人物を舞台の雛壇にそろえた顔見世みたいなもので、激した源氏の権力者に対し「しばらく」と登場する巴御前(坂東玉三郎)が見もの。荒事の「暫」を女形が演じる面白さだそうで、女形の演目としては特殊なんだろうが、ともかく玉三郎を見ることができたのはよかった。
 

芝居が終わって幕外で玉三郎とすでに前に出番が済んだ吉右衛門で、フィギャー・スケートのエキジビション/アンコールみたいなコントみたいなものをやったのにはびっくりした。「御馳走」というのだそうだ。玉三郎が花道を去っていくのに、吉右衛門にねだって六法を教えてもらうという趣向。
 

最後の「黒塚」(木村富子作)はおそらく能がもとなんだろうが、荒野の鬼女の凄絶な情と舞。猿之助の踊り、杵屋の長唄囃子連中はすごいとしかいいようがない。猿之助の舞は猿翁(先代猿之助)がロシアのバレエの要素も取り入れたそうで、驚き続けで見ていた。
 

知らないことが多いし、オペラグラスは持って行ったが、眼のいい方ではないから、イヤホンガイドを借りたが、解説は驚くほど巧み、的確な情報を邪魔にならないタイミングで入れてくる。これも一つの芸だ。

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くるみ割り人形(チャイコフスキー)

2012-06-23 17:37:15 | 舞台

バレエ「くるみ割り人形」

作曲:チャイコフスキー

アリーナ・ソーモワ(マーシャ姫)、ウラディーミル・シクリャローフ(王子)、アレクサンドラ・コルシュノワ、パヴェル・ミハイエフ(フランツ/くるみ割り人形)

指揮:ワレリー・ゲルギエフ、振付:ワシーリー・ワイノーネン

2011年12月30日、31日 マリインスキー劇場(サンクトペテルブルク)、2012年6月NHK BS

 

「くるみ割り人形」の組曲版を録音で聴いたことはあるけれども、全曲、それも舞台を見るのは初めてである。いわゆるチャイコフスキー三大バレエの中で、「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」と比べても、この曲が抜けているとは思ってきた。こうして全曲を見た後でもそれは変わらない。組曲ほどではないにしても、チャイコフスキーは稀代のメロディーメーカー(多分ナンバー1)である。

 

クリスマスの夜、子供たちが人形つかいなどを楽しんで、眠りについたその家の女の子が見た夢の中、ネズミの大群が押し寄せてきたところをブリキの兵隊を率いたくるみ割り人形が追い散らすと、そのあとは女の子が長じてお姫様になっており、相手の王子と踊りだし、二人を祝福するかのような、世界各地からのダンスが繰り広げられ、エピローグで再び女の子は気持ちよく目覚める、という全体としては子供が楽しめるものである。

 

各種の踊りは音楽も耳になじみやすいし、見せ場も多い。またマーシャを演ずる子は何歳だろうか、とってもかわいくてうまい。そしてこれは「ロシアの踊り」というのだろうか(テロップがない)、女の子二人男の子一人の組はかわいいばかりでなく、特に男の子は達者で、大きな拍手を受けていた。

 

ただ、全体のアンサンブルとなると、バレエには詳しくないけれども、完璧とはいえないのではないだろうか、特にボリショイと比べて。特に何人かで踊るときのシンクロナイズというか、、、たとえばグラン・ジュテなど。

 

指揮がゲルギエフとは豪華だが、この人みかけによらず精密な指揮で、この名曲をたっぷり楽しめた。


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サド侯爵夫人

2012-06-20 15:51:52 | 舞台

「サド侯爵夫人」 原作:三島由紀夫、演出:野村萬斎

蒼井優(侯爵夫人ルネ)、白石加代子(ルネの母モントルイユ夫人)、美波(ルネの妹アンヌ)、麻実れい、(サン・フォン伯爵夫人)、神野三鈴(シミアーヌ男爵夫人)、町田マリー(シャルロット)

2012年3月14日世田谷パブリックシアター     2012年6月10日 NHKBSプレミアムシアターの録画

 

ひさしぶりに見たサド侯爵夫人である。原作の発表と初演が1965年というから、演出の野村萬斎が生まれる前、初演を見たと思っていたがこの年だとそれは勘違いで、どうも翌年らしい。本作の後の「わが友ヒットラー」は初演を見ている。

初演も翌年私が見たのも劇団NLT(紀伊國屋ホール)、演出は松浦竹夫、配役は上記の順でいくと、丹阿弥谷津子、南美江、村松英子、真咲美岐、賀原夏子、宮内順子という、多くは三島に縁がある懐かしい名前である。丹阿弥は当時40位でその時は自然に納得していた。それからすると、蒼井はずいぶん若く、サドが収監されてから13年はたっている場面があるわけだから野村による起用は思い切ったものだけれども、集中してみる時のこっちの抽象化というのだろうか、それは変に感じることはなかった。 

 

それはさておき、この技巧的な、装飾的な、作られた台詞が延々と続く劇、しかし言葉の一つ一つは確実にこちらに入ってくる。これは三島による言語世界構築のすごさだろうか。

女六人だけの舞台、ここに登場しないサド侯爵についてさまざまな角度から語られる。

不在のものについて、不在そのものについて語ることの意味、無意味、それが侯爵が自由になり帰宅したとき「サド侯爵は私だったのです」というルネが侯爵に逢わないで修道院にいってしまうという結末になる。

 

常に違った面からみることができるということ、不在と実在するこっちの往復、そういう多くの場面、台詞は、戦後の特に60年代から70年を見据えたとき、三島は自分の結末も含め、なんという透視をしていたことか。だから今にしてこれを見ると、言葉がすべてしっくりとこちらに飛び込んでくるのかもしれない。

 

椅子と机だけの舞台、衣装は特に18世紀ともいえないが様式的な無駄のない動きにうまくあうもので、通して集中してみることができたのは野村萬斎の演出の結果だろうか。

 

配役は、白石加代子だけちょっと異質な感じがある。もちろんうまいのだが、ここは配役で冒険してもよかったのではないか。麻実れいがサドを描いていく場面は見事。

 

そして主役の蒼井優、この人はずっと注目してきたが映画「百万円と苦虫女」のあとは、起用のされかたが一部常識的な売れ線の映画などになっていることや、一方で彼女の演技がなにか作りすぎているようになってきたことから、この2~3年は積極的に見ていなかった。

が、今回このような舞台となると、やはりこの人の良さとうまさが発揮されていると思う。だんだん自分の言葉の世界に入っていってしまい、母親との関係が逆転していくプロセスなど見ものである。ただ、このところ続いているものの舞台経験は短く、もともと映画の人のせいか、舞台では語尾が少し弱くなるくせがある。ここが変わってくれば。


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オペラ座の怪人

2012-04-18 15:07:49 | 舞台
オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)(アンドリュー・ロイド=ウェバー)
25周年記念公演 2011年10月ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール、2012年3月WOWOW放送録画 
製作:ハロルド・マッキントッシュ、演出:ローレンス・コナー
ラミン・カリムルー(怪人)、シェラ・ボーゲス(クリスティーヌ)、ハドリー・フレイザー(ラウル)、リズ・ロバートソン(マダム ジリー)
 
これだけ有名なミュージカルだが、映画版で一度見ただけである。したがって作品はともかくこの公演をどうこうということは出来ない。
とはいえ、おそらくきわめてレベルの高いものであることは確かだろう。まず物語はすべてオペラ座の中で進行するといってよいから、アルバート・ホールをいう大音楽ホールの中にオペラ座を置くという設定自体が効果満点である。
 
映画で見たときにはそれほど共感できない面も残ったが、今回はそうでもなかった。怪人に即していくと少し無理はあるが、クリスティーヌ中心という見方だと、感動は大きい。それに今回彼女を演じるシェラ・ボーゲス、舞台としては華奢な美人だが、歌も演技もこの機会に起用されただけのことはある。
 
音楽はやはり怪人が登場してクリスティーヌに「sing, sing」と音楽の精を吹き込んでいく序盤の長いくだり、舞台が終ってウェバーが過去の節目となる怪人を演じた人たちを紹介するところでも、彼らが歌ったのはこの部分。
 
装置も豪華でいいし、後半はオーケストラ・ピットが中空にあったのにはびっくりした。劇場の秘密の地下でドラマが展開されるからだろうか。
 
カメラも見やすい。ヘッドセットについたマイクがどうしても目についてしまうが、これはやむをえないだろう。こっちが入っていって忘れるしかない。

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コッペリア(パリ・オペラ座バレエ)

2012-04-05 18:09:17 | 舞台
ドリーブ作曲「コッペリア」
コーエン・ケッセルス指揮 コロンヌ管弦楽団、演出・振付:パトリス・バール
ドロテ・ジルベール(スワニルダ)、ジョゼ・マルティネス(コッペリウス)、マチアス・エイマン(フランツ)、ファブリス・ブルジョワ(スパランツァーニ)
2011年3月22日、24日、28日 パリ・オペラ座ガルニエ宮 2012年2月 NHK BS 放送録画
 
このコッペリアも見るのは初めて。バレエに詳しい知人がこの作品は是非見た方がいいと勧めていたのを思い出す。なるほどである。
 
これまでは大人の男が見るものかなという先入見を持っていて、序曲と最初の場面のワルツは、それぞれ単独でもプロムナード・コンサートなどで演奏され、すぐ耳につく名曲なのだが、そうであればあるほど多分それだけと思っていた。
 
話はかなり怪奇ファンタジー風で、嘗ての恋人を忘れられないマッド・サイエンティスト(?)のコッペリウスの下にいるスパランツァーニが悪計をたくらみ、皆に好かれているスワニルダを連れてきて、マインド・コントロールというのだろうか、まさにコッペリアにしたてるが、最後はスワニルダを好きなフランツが救い出す、というもの。
 
やはり、見ものはその魔術というか、それに関係した部分で、オペラ座のエトワールが演じるスワニルダがコッペリアになっていき、様々なダンスを繰り広げる。彼女は出ずっぱりのようなものだが、フランス人にしては日本人にも親しめる風貌、体型で楽しめる。
ドロテ・ジルベールとしてはエトワール冥利につきる役だろう。
 
そして男性では恋人フランツよりもやはりコッペリウスの方が見せ場はあって、ジョゼ・マルティネスは長身をいかし、影をうまくつくっている照明と相まって見る者をひきこんでいく。おそらく女性ファンが多いだろう。

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