メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

アンドリュー・ワイエス展

2008-11-14 22:09:45 | 美術
アンドリュー・ワイエス 創造への道程(みち) 」(Bunkamura ザ・ミュージアム、11月8日~12月23日)
 
アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth  1917- ) の作品150点を集めた、おそらくかなり大規模な展覧会である。一つの題材に素描、習作など数点あるものが多いが、むしろそういうものでは、鉛筆、水彩、テンペラ、そしてこれがワイエスの特徴とされているドライブラッシュの違いがよく出ている。評判どおり、この水彩絵具がついた細めの筆から指で水分と絵具を搾り出し、最後にわずかに残った絵具で描くというドライブラッシュという手法の威力はよくわかる。実に写実感がある。
 
この画家は幼時から体に問題があって学校に行かずに、画の手ほどきを受け、生まれたペンシルヴァニアの周辺、そして近しい人と家のみを題材にしたようだ。
 
このアメリカ東部の、主に秋、冬の人気が少ないところは、何か厳しい自然から開拓していった跡を思わせ、質実剛健というか、アメリカの一面を雄弁に物語っているようである。いくつかの映画の場面とも共通するところがあるようだ。
 
ただ気になるのは、ワイエスはあまり人物を描かない上に、その人物は正面を向いていないことが多く、向いている自画像などでも視線は逸れている。
そういえば先日見たハンマースホイでも人物は少なく、描かれていてもほとんど後ろ向きであった。しかし絵全体として、それは全くことなる。
ハンマースホイの絵も具象で緻密であるけれど、対象に執拗にせまった写実ではなく、描いている人間の中の空白が自然に出てしまっているように感じて、それは何なのかという問いがいつまでも残る。
一方ワイエスでは、厳しさ、寂しさはあっても、それを描く人、見る人は、快適な住まいの中からこの世界に接しているとはいえないだろうか。
別にそれが悪いのではない。が、しかし画家がついに得た幸福感というものが、そこにはあるのだろう。
 
それも、晩年(まだ存命だが)の1980年あたりになると、洗練され、柔軟にもなっているけれど、しゃれすぎていないだろうか。
「747」など、7時47分に空をB‐747が飛んでいったというタイトルだが、いくつかの習作を経た最後のテンペラは垢抜けすぎていて、顔はこちらに見えないけれども気分はどこかノーマン・ロックウェルである。
 
観客はよく入っていて、おそらく自ら水彩画など描いている人が多いように見受けられた。そういう人だったら、こんなように描けたらと思うのは納得できる。

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