堤 清二 罪と業 最後の「告白」: 児玉 博 著 2016年7月 文藝春秋
この評伝の主人公堤清二(1927-2013)は、もちろん私よりかなり年上ではあるが、高校時代に西武百貨店が渋谷に進出、そしてパルコ、無印良品、ファミリーマートなど、新しい業態を次々に発案、展開していくのを、リアルタイムで見てきており、また詩人、作家としても、読んではいないけれど、大きな評価を得ていることは知っている。
そしてその人となりも、あの堤康次郎の実質的な嫡男でありながら、西武グループ全体の長にはされず、屈折したものがあっただろうことは想像できたし、東大時代は共産党員であったことも知られている。
それではこの評伝であらたに何がということで読み始めたのだが、清二の最晩年によくここまでインタビューした、またそれに応じたということをもとに、これまでのイメージにもうひとひねりした人物像が描かれ、その肉声が聴こえてくる。
父、西武の総帥であった弟との関係にも、これまで普通に考えられ、語られていたものの奥深くに、ああ人間というものは簡単には理解しがたいものをその底に持っているのかという感、それを支える事実がある。詩人であったというのも、こういう世界を持っていたことと無関係ではないだろう。才能の問題ではない。
その結果、この人に対し、一般にいわれる好感度は今までより低くなるかもしれないが、それでもここまで踏み込んでしまった著者、そしてそうさせた対象の人物、評伝の妙だろう。
この評伝の主人公堤清二(1927-2013)は、もちろん私よりかなり年上ではあるが、高校時代に西武百貨店が渋谷に進出、そしてパルコ、無印良品、ファミリーマートなど、新しい業態を次々に発案、展開していくのを、リアルタイムで見てきており、また詩人、作家としても、読んではいないけれど、大きな評価を得ていることは知っている。
そしてその人となりも、あの堤康次郎の実質的な嫡男でありながら、西武グループ全体の長にはされず、屈折したものがあっただろうことは想像できたし、東大時代は共産党員であったことも知られている。
それではこの評伝であらたに何がということで読み始めたのだが、清二の最晩年によくここまでインタビューした、またそれに応じたということをもとに、これまでのイメージにもうひとひねりした人物像が描かれ、その肉声が聴こえてくる。
父、西武の総帥であった弟との関係にも、これまで普通に考えられ、語られていたものの奥深くに、ああ人間というものは簡単には理解しがたいものをその底に持っているのかという感、それを支える事実がある。詩人であったというのも、こういう世界を持っていたことと無関係ではないだろう。才能の問題ではない。
その結果、この人に対し、一般にいわれる好感度は今までより低くなるかもしれないが、それでもここまで踏み込んでしまった著者、そしてそうさせた対象の人物、評伝の妙だろう。