メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

グラン・トリノ

2016-12-13 15:15:32 | 映画
グラン・トリノ(GRAN TORINO、2008米、117分)
監督:クリント・イーストウッド、脚本:ニック・シェンク、音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス
クリント・イーストウッド(ウォルト・コワルスキー)、ビー・ヴァン(タオ・ロー)、アーニー・ハー(スー・ロー)、クリストファー・カーリー(ヤノヴィッチ神父)
 
アメリカ中西部の小都市(の郊外?)に住むポーランド系の老人ウォルト(イーストウッド)、その妻の葬式から映画は始まる。ウォルトはフォードの工場で働いていたらしいのだが、息子はトヨタのセールスマンをしている。彼らの辛辣なやりとりは、世代と国の経済状況を反映している。特に日本を含めたアジア人を老人は露骨にイエローと呼ぶ。工場をやめてからは、その腕をいかして個人で修理などの何でも屋をやっている。
 
隣には、アジア系の大家族が住んでいて、その一人の少年タオが従兄弟たちを含むワルたちにひっぱり込まれそうになりいじめられているのを見つける。その家族とウォルトとはうまくいってない、言葉も通じにくいし、彼は朝鮮戦争などで精神的に傷を負ってもいる。ただタオの姉スーは英語もうまく頭もよくて、次第にウォルトと打ち解けてくる。
 
タオは悪がきたちに強制され、ウォルトが宝物にしている1972年式フォード・トリノ(通称グラン・トリノ、スポーツタイプ車)を盗もうとして失敗、罰として彼の命令で働かされ、その過程でタオは仕事と大人というものを覚えていく。
悪がきたちが乗っているのはホンダで、このあたりもしっかり設定されている。
 
ウォルトがアウトサイダーであることは、毎週教会に行かないことに象徴されるが、神父はしつこくというか辛抱強くそれに対応する。このあたりも、この地方の特色なのかなと思わせる。この神父を物語り全体でうまく使っているのは見事。
 
そして、少しはうまくいきそうなところで、悪がきがふたたびこの隣の家族を襲撃、特にタオの姉スーが無残な姿で戻ってくる。
さて、これからウォルトがどう立ち上がり、どう決着をつけるか。イーストウッドの監督・主演であるから、いろいろ想像するわけだが、かなり意外な(特に細部も含めると)ものとなっている。
 
実はタオとスーの家族はモン族という少数民族で、ラオス、カンボジア、ベトナムあたりにいて、ベトナム戦争時にアメリカに協力したため、戦後に亡命してきたらしく、それはウォルトに負い目とシンパシーを感じさせているようだ。
 
こうして終盤はウォルトにとっての「義」を表現、発揮するものとなるのかと想像したのだが、後味は決してよくはないものの、そうだったのか、そういうこともありうるのか、と思わせた。1930年生まれのイーストウッド、やはり大変な映画人である。そして、「ジャージー・ボーイズ」(2014)その他、なぜか若者をテーマにするのが好きなようだ。
 
またこの映画を見ていると、イーストウッドが共和党支持者であること、つまりリベラル(平等)よりは自由をえらび、今回の大統領選でもトランプ支持とまではいかないがある程度理解を示したということが、うなずける。それが浅薄ではないことも。
 
グラン・トリノはあのTVドラマ「刑事スタスキー&ハッチ」の車らしい。見覚えがあるといえばある。フォード・フェアレーンの発展系で、フェアレーンは私の若いころ代表的なアメリカ車の一つだった。

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