夜の豹(Pal Joey 、1957米、109分)
監督:ジョージ・シドニー、原作:ジョン・オハラ
音楽:ロレンツ・ハート(作詞)/リチャード・ロジャース(作曲)の舞台をもとに、ネルソン・リドルが編曲
フランク・シナトラ(ジョーイ)、リタ・ヘイワース(ヴェラ)、キム・ノヴァク(リンダ)
原作の舞台(ミュージカル)は1941年、それから時代設定もあとになり、またソフトなタッチになっているようだが、この音楽とスクリーンで映えるこの三人、文句なしに楽しめた。
仕事にあぶれてサンフランシスコにやってきたジョーイ、クラブでトークと歌をやる芸人だが、昔なじみがやっている店に行き、最初断られるが、予定していた芸人が来られなくなったということをききつけた途端、それじゃあ俺がと舞台に上がって楽団、ダンサーにまじって始めてしまう。このスタートが見事である。
踊り子たちにもてるのだが、その中の一人リンダとお互い気にすることになる。一番うぶで気が弱いこのリンダがキム・ノヴァク?というのは面白い。このあたりが日米のギャップなんだろうか。もっとも私が若いころ、この人はちょっとこわい色気という感じだったのだが、性格はそうでもないらしい。
クラブに来たヴェラ、ジョーイは彼女の過去つまり、クラブで人気があり、その後金持ちと結婚して今は未亡人となっている、ということをジョーイは知っていて、歌うのが「The lady is a tramp」、これをこう楽々と歌える人が他にいるとは思えない。実はこれを聴くためにDVDを買ったようなものである。
ヴェラをよく知っているジョーイは、寄付金集めチャリティー・パーティで彼女の歌を勝手にセリにかけてしまう。ストーリーはリンダを加えた三人をめぐる恋のさやあてで、ドラマとして堪能するというものではないけれど、この時代の能天気に豊かなアメリカ、わかりやすいスノッブ気分など、先の「上流社会」のように楽しんでいればいい。ただ、上流社会のシナトラも素晴らしいが、あっちの男の主演はビング・クロスビー、シナトラは助演であった。今回男は彼ひとりといってよく、ヘイワースとノヴァクがそれぞれの役割でチャーミングに見せてくれる。
ジョーイと一夜を共にした翌朝、ヘイワースがうっとりとして歌う「Bewitched」、ジョーイがヴェラと一緒に念願のクラブを立ち上げるとき、リハーサルでリンダが歌う「My funny Valentine」、ぴったりとはまっている。この二つは吹き替えらしいが(確証は得てない)、場面としてこれだけよくできていれば問題ない。
上記の三曲のうち、Bewitched は元の舞台のために作られたものだが、あとの2曲は別のミュージカルで最初に歌われている。Pal Joey の舞台でも使われたのかどうか。すべてロジャース/ハートの名曲。
そして編曲はネルソン・リドル、この時期シナトラとのコンビで作ったいくつかのアルバムは、この歌手の頂点だと思うが、この映画もこの人ならではのもの。
なお、The lady is a tramp のtramp は放浪者、渡り者と辞書にはある。字幕、訳詞などでは尻軽女、気まぐれなどと書かれているが、どうももう少し下品な意味があるらしい。映画でもヴェラはそのニュアンスを感じながらその場を取り繕っていたのだろう。現代風な表現で品よくいうなら「飛んでる」とでもいったらいいか。
もうひとつ、Pal Joey のpal は仲間、相棒という意味らしい。つまりペン・パルのパル(そうか)。相棒ジョーイということだろう。
監督:ジョージ・シドニー、原作:ジョン・オハラ
音楽:ロレンツ・ハート(作詞)/リチャード・ロジャース(作曲)の舞台をもとに、ネルソン・リドルが編曲
フランク・シナトラ(ジョーイ)、リタ・ヘイワース(ヴェラ)、キム・ノヴァク(リンダ)
原作の舞台(ミュージカル)は1941年、それから時代設定もあとになり、またソフトなタッチになっているようだが、この音楽とスクリーンで映えるこの三人、文句なしに楽しめた。
仕事にあぶれてサンフランシスコにやってきたジョーイ、クラブでトークと歌をやる芸人だが、昔なじみがやっている店に行き、最初断られるが、予定していた芸人が来られなくなったということをききつけた途端、それじゃあ俺がと舞台に上がって楽団、ダンサーにまじって始めてしまう。このスタートが見事である。
踊り子たちにもてるのだが、その中の一人リンダとお互い気にすることになる。一番うぶで気が弱いこのリンダがキム・ノヴァク?というのは面白い。このあたりが日米のギャップなんだろうか。もっとも私が若いころ、この人はちょっとこわい色気という感じだったのだが、性格はそうでもないらしい。
クラブに来たヴェラ、ジョーイは彼女の過去つまり、クラブで人気があり、その後金持ちと結婚して今は未亡人となっている、ということをジョーイは知っていて、歌うのが「The lady is a tramp」、これをこう楽々と歌える人が他にいるとは思えない。実はこれを聴くためにDVDを買ったようなものである。
ヴェラをよく知っているジョーイは、寄付金集めチャリティー・パーティで彼女の歌を勝手にセリにかけてしまう。ストーリーはリンダを加えた三人をめぐる恋のさやあてで、ドラマとして堪能するというものではないけれど、この時代の能天気に豊かなアメリカ、わかりやすいスノッブ気分など、先の「上流社会」のように楽しんでいればいい。ただ、上流社会のシナトラも素晴らしいが、あっちの男の主演はビング・クロスビー、シナトラは助演であった。今回男は彼ひとりといってよく、ヘイワースとノヴァクがそれぞれの役割でチャーミングに見せてくれる。
ジョーイと一夜を共にした翌朝、ヘイワースがうっとりとして歌う「Bewitched」、ジョーイがヴェラと一緒に念願のクラブを立ち上げるとき、リハーサルでリンダが歌う「My funny Valentine」、ぴったりとはまっている。この二つは吹き替えらしいが(確証は得てない)、場面としてこれだけよくできていれば問題ない。
上記の三曲のうち、Bewitched は元の舞台のために作られたものだが、あとの2曲は別のミュージカルで最初に歌われている。Pal Joey の舞台でも使われたのかどうか。すべてロジャース/ハートの名曲。
そして編曲はネルソン・リドル、この時期シナトラとのコンビで作ったいくつかのアルバムは、この歌手の頂点だと思うが、この映画もこの人ならではのもの。
なお、The lady is a tramp のtramp は放浪者、渡り者と辞書にはある。字幕、訳詞などでは尻軽女、気まぐれなどと書かれているが、どうももう少し下品な意味があるらしい。映画でもヴェラはそのニュアンスを感じながらその場を取り繕っていたのだろう。現代風な表現で品よくいうなら「飛んでる」とでもいったらいいか。
もうひとつ、Pal Joey のpal は仲間、相棒という意味らしい。つまりペン・パルのパル(そうか)。相棒ジョーイということだろう。