2012年1月21日-3月25日
神奈川県立近代美術館鎌倉
藤牧義夫(1911年生れ)は24歳で失踪して後何もわかっていないということもあってか、しばらく忘れられていたらしく、その後評価され始めてからも、先日NHK「日曜美術館」で取り上げられるまで、まったく知らなかった。
木彫りの版画が主で、1930年代の東京、それもビル、鉄骨の橋など、その技法はこれら対象の特徴をうまくとらえ、本質をシンプルに描くことに成功している。
この明治維新後100年の間でモダンということがあるとすれば、やはりこの時期、そして藤牧が描きだしたこういうものだろう。そういえばロシアにも「アヴァンギャルド」があったが、なにかそういうものが一回は出てくるのかもしれない。
有名な「赤陽」、そしてアドバルーン、手を振る人をテーマにした年賀状など、見事だし、面白い。
また、墨を使った描画の長大な絵巻は、隅田川の沿岸を、視点を自在に変えながら、そしてカメラでいえばレンズをかえながら、おそらくかなりな速度で描いた驚くべきものである。
惜しい才能といえばそうだが、短い期間に存分に才能をだしたといえなくもない。
この時期は、版画、そしてデザイン画の分野で集団があり、藤牧の評価は高かったらしい。
新潟出身の画家で私が好きな佐藤哲三とも交流があったようだ。
ところで昨日の薩摩治郎八に多少関係あることで、今日知ったことがある。
薩摩治郎八と縁が深い藤田嗣治がパリで一時結婚していたユキという女性がいてこの人のことはいろいろな本に書かれているが、その後詩人ロベール・デスノス(1900-1945)と一緒になったということは知らなかった。デスノスは対ナチ・レジスタンスに身を投じ独軍にとらえられ、かろうじて終戦まで生き延びたが直後に病死した。デスノスのユキへの愛の言葉は、有名で評価も高いようだ。
かなり以前、フランス語を習っているときにデスノスの名前(だけ)はよくきき、どういうひとなのだろうと思ったが、訳詞された手ごろな本もなく、そのままになっていた。
昨日録画したNHKフランス語講座のシリーズになっているコーナーで取り上げられていて、フランス人出演者もいつになく熱が入っていた。