日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

自然人・知識人・自由人

2012年03月28日 21時35分01秒 | 思うがままに

こんばんは。

山田霊林老師の『忘れる技術』から抜粋しましょう。

【ある家に、3人の女性が住んでいました。おばあさんと若奥さんと女中さんです。
ある日、ご主人の部屋の前の廊下に、スリッパが取り乱されて、裏返しになっていました。

女中さんは、いくどとなくご主人の用を足しに来たのですが、スリッパが裏返しになっていることには少しも気がつきません。山奥や、離れ小島に見いだされる、素朴な少女のごとく、この女中さんも、言いつけられたことだけを実行し、ほかのことには、気配りもせず、大変朗らかで、屈託のない女性でした。

若奥さんは、郵便物を持ってきたときに、裏返しになっているスリッパに気がつきました。しかし、ご主人から急ぎの用を言いつかって、それを直す暇がありませんでした。また、しばらくして、紅茶を持ってご主人の部屋に来たのですが、飲み物を持つ手で、履き物を直すのはどうかと思って直さず、部屋を出るときには、子ども部屋の騒がしさに驚いて、とんでいったので、スリッパのことなど思いもよりませんでした。そののちも、忙しい仕事に追い回されながら、何かしら忘れたような、頭の中に何か残っているような、変な気持ちで一日を過ごしました。

おばあさんは、ご主人に何か告げることがあって、部屋に来ました。「ちょっと、失礼しますよ」と言いながら、障子をあけようとした、その時に、裏返ったスリッパを、直すとも思わず直して、部屋に入りました。さすがにこのおばあさんはおっとりとした人柄でした。何かにつけてよく気がつく、気がついたことは、無造作にやってのける、やってのけられないようなことは、さっさと忘れてしまうという、心境まことに健やかな人でした。

この3人の女性が、同じ一つのことに対してとった態度の相違は、そのまま、世のあらゆる人を区分する、3つの類型とみなすことができます。

素朴で、何ら知的な内面の葛藤も、感情的な軋轢も感じないで、平和に生きる「自然人」とも言うべき人びと。
頭脳明晰で、知的能力が異常に発達しているがため、かえってその知的な葛藤や、先鋭化した神経からくる感情的な苦しみのために、自他共にいらいらした不愉快な生活を送らなければならない「知識人」ともいうべき人びと。

身体や心の自由を妨げられている多くの現代人は、まさにこの第2のタイプ「知識人」。第1のタイプはたしかに、一見平和で幸福な生活のようですが、しかし社会的にも、個人的にも、その発達段階からみて、成長した一個の人間と見るには、あまりにも、単純で半人前の人間としか言いようがありません。いわば、無知な人で人間としての目覚めを持たない人。したがって自分の苦しみも、悲しみも、たいして感じないかわりに、他人のことも考えない人。

私たちは、正常に成長した大人であるかぎりこういった第1のタイプから抜け出ようとして第2のタイプに流れ込みます。そこで人間としての自覚を得るかわりに、それにともなう人間的な、不祥事や焦燥や苦悩を味わうわけです。心の狭い、悩み多い「知識人」というタイプの深みから抜け出て、のびのびと自由を満喫し、本当の人間としての幸福を勝ち取ることこそ、人間の本来の目的です。

たまたま3人目の女性、おばあさんに、その典型を見たわけですが、これはけっして、年をとり、人の世に何の希望も執着も持ちえなくなったというような、老耄者の生き方ではありません。
それどころか、第2のタイプに空しく足踏みし、頭の中にびっしりと、さまざまな感情的な記憶を詰め込み、その重さに耐えかねて、倦怠しきっている、去勢されたような現代人に、若々しい生気に満ち、内にたぎるようなエネルギーを秘めた、活動人、自由人としての魂を取り戻させる生き方なのであります】

                                ★

この本は田原豊道先生がずっとずっと前の師範科で勧めてくださったものです。ヨーガはまさに「自由人」になる教えでしょうか。ちょっと思い出しましたので、皆さんにご紹介しました。(荻山貴美子)

 

 

 

コメント (2)
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