日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

いろいろな愛のカタチ

2016年12月25日 14時28分01秒 | 思うがままに
小学校低学年の頃。多分1年生か2年生だったのだと思います。

予防接種の注射で順番を待っていました。痛いと泣き出す子。痛さをこらえている子。

どちらにしても何だか痛そう。
怖そう。

いよいよ自分の番が回って来ました。私は、しっかりと針が自分の腕に刺さるのをみとどけました。

チクッ!

ほんの1秒くらい。
何だこれくらい?

幼い私はこんなことをふと思っていました。

人は必ず死ぬ。

順番を待っている間は怖いけど、その時はほんのひとまたぎ。注射の針が刺さるくらいなものではないかしら…と。

変な子でした。

こんな小さな時から死を考えていた瞬間があったんですから…。

今年は忘れられない年になりそうです。

苦しみや悲しみの最中にいる時、心はとてもデリケートになっています。

人の優しさが胸に沁みます。
反対にグサッと刃物のように突き刺さることもあります。

一番身近にいてくれる長いお付き合いのE.Oさんは昨年お母様を亡くされました。長い闘病生活でしたが、私と違って足繁く通って親孝行した方でした。

優しさ溢れるメールをくださいました。

同じくらい親しくお付き合いさせていただいているM・Kさんは私をたくさん笑わせてくださいました。

違った愛のカタチ。

皆さんの暖かさと優しさに包まれていた一年でした。

母は結婚してから外泊をしたことがありませんでした。

家出はしたことがあります。

30分ほどでしたが…。(笑)

やりたいことはたくさんあったけれど、パパがやらせてくれない…といつも嘆き、父の顔色を見て生活していました。

子どもの頃から私の一番嫌いな時間は一家団らんの食事。何で父はいつも不機嫌だったのでしょう。

父がいない時の夕食は伸び伸びと楽しかったこと。(笑)

大正生まれのオトコはこんなだったのかもしれません。愛情はあるけれど不器用。

でも、機嫌のいい時は、とっても可愛かった。(笑)

そんな父も12年前に亡くなりました。

父の闘病中、母が呟いたことがあります。

「私ね、パパの世話をしているのが生き甲斐になっているの。パパがいなくなったら空っぽになっちゃう…」と。

え〜っ!

あんなにワンマンでヤキモチ焼きで、他人の前で蹴ったこともあったのに?

分からないものです。

母と最後の3日間を過ごしたとき、浅い呼吸の母を見つめながらこう自問自答していました。

「頭がよくて達筆で絵も上手く、私たちの着るもの、靴から帽子から何もかも手作り、アイスクリームも手作り。キレイで歌も上手く、スーパーウーマンだった母は、家庭のため、子どものため、父のためにその才能を捧げた。果たして幸せだったのかしら?」

幸せだったのだと思います。
少なくとも私たち姉弟が独立するまでは、母にとって一生分の幸せを感じていたはず。

だから私は悲しくなかったんです。

次の人生はきっと才能を開花できる人生を選ぶんでしょう。

人生は皆自分で選んでいる…って実感させてくれた母との別れでした。

ある方は、そんな私を見て「荻山先生って強いですね」と、おっしゃいました。

複雑な心境でした。「強いですね」が「冷たいですね」という響きに聞こえたのは、平常心ではなかったのかもしれませんね。

でも、強いんではないんです。
心から母の一生を祝福した、私の愛のカタチだったのかもしれません。

皆さん、ありがとうございました。
今年もあとわずかですが、残された2度と来ない2016年を大切に過ごしたいですね。(荻山貴美子)

コメント
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