人生悲喜交々。
喜び、幸せ、苦痛、憎しみ、恐れ、悩み、怒り、嫉妬.…
いろいろな感情がありますが、核は2つ。
愛と怒りです。
人は正誤で生きているわけではありません。
正しく生きるのではなく、愛をもっていきる。
意見が合わなければトコトンケンカすればいい。
一番愛から遠ざかるのは慇懃無礼です。
どこから来るのか?と言えば、自分は正しいという思い込みです。必要最低限の心なき儀礼だけは怠らない。でも心がないから慇懃無礼。
人はたくさん人に迷惑をかけて生きています。私は違う!という思い込みは傲慢です。
お釈迦様は、和を乱す、傲慢な人にどんな罰を与えたのでしょうか?
無視、無関心です。
彼らが気づくまでその罰は続けられたそうです。
年長者に無礼な人
先輩後輩をわきまえていない人
相手によって態度を変える人
一歩引く相手に対してさらに上からモノをいう人
これをお釈迦さまは怒り抜きで対処されたとか。
それは無視。
聖徳太子の
和を持って尊しとなし
は、皆んな仲良くなんて軽いものではなかったのですね。
群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器…そんなクールでタフなスーパードクター、ドクターX。
一匹狼を自認するならこのように徹底するとカッコいい。
認知症の父母を介護している人が増えました。これからは長寿社会ですからますます増えます。
徘徊という言葉を聞きます。
目的もなくフラフラ歩くこと?
いえいえとんでもない。
目的はあるんです。歩いているうちに忘れるだけ。
ただそれだけのこと。
その認知症の初期症状の異変は遠い家族より近くの他人の方が気づくという皮肉。
しかし、本人は人様に迷惑をかけている認識がないから、強い立場になった遠い子どもに従うしかない。
終活は必要です。
しっかりしているうちに、自分はどう晩年を過ごしたいのか?どんな死に方をしたいのか?死んだあとのことをしっかり考えておくと、後半の人生が楽しくなります。