人生の折り返し点だと思っていた石原慎太郎さんも亡くなりました。
89歳
決して若すぎる死だとは思いませんが、もっと長生きすると思っていました。
ヒューマニエンスを観ました。
衝撃でした。
サイボーグってどこからをいうのでしょう。
たとえば、全盲の人が光を感じたり、ボンヤリ見えたりしたら治療?
難聴の方が日常に不便がなく暮らせれば治療?
人間の可能性を越えるように施せばサイボーグ?
ヘレンケラーがサイボーグだったらヘレンケラーではなかった。
恥を晒すようですが、先日私は、いつもどおり、我が家から公園を通過して駅に向かっていました。
私の前を全盲のかたが颯爽と歩いているのを見て、私も少しは修行してきたからできるかも…と、目を閉じて颯爽と歩き始めました。真っ直ぐな道だから安心していたのです。
気がつくと私は植え込みに顔から突っ込み、またタラコ唇になりました。マスクをしていたのでよかったです。
しかし、足から流血。
そのまま駅に向かい流血を自撮り。
大根足?
それは見ている方の気のせいです。笑
カメラアングルの悪さだと思ってください。
一日中この状態で夕方帰宅しました。
しかし、全盲の方がひとり颯爽と歩き、研ぎ澄まされた聴覚と風を読み、生活するほうが私ははるかに科学より優っている気がします。
石原慎太郎さんの死生観は「死んだら虚無」でした。
「生まれ変わりなんかない、したがって死んだらそれでおしまい。それの方がサッパリしていていいじゃない」
そう豪語していた彼も都知事に当選した時、神妙な顔で、石原裕次郎さんの墓前で手を合わせていました。
死んでも死なない…と信じて疑わない私は、彼と曽野綾子さんの死後を語り合う噛み合わない会話を思い出していました。