島原城近くの史跡「時鐘楼」です。
名前も知っていたし、場所も知っていたのですが、なかなか見る機会がなかったものです。
この時鐘楼は、島原藩主 松平忠房公が「民に時刻を知らしめ、これを励行せしむることは政治の要道である」として、延宝3年(1675年)豊後高田(現在でも島原市の兄弟都市)の治工 藤原正次に鋳造させた鐘です。
以来270年もの長い間「おかみの鐘」として島原の人たちに時刻を知らせていました。
しかし、太平洋戦争下の昭和19年、長い歴史の余韻を残したまま供出されました。(きっと鉄砲の弾などに鋳造されてしまったのでしょう。)
昭和55年に志ある人たちの浄財により復元されました。
イタズラ防止のためか、鐘楼に登ることは出来ませんでした。
街の片隅にひっそりと建った鐘にも歴史があるのですね。
名前も知っていたし、場所も知っていたのですが、なかなか見る機会がなかったものです。
この時鐘楼は、島原藩主 松平忠房公が「民に時刻を知らしめ、これを励行せしむることは政治の要道である」として、延宝3年(1675年)豊後高田(現在でも島原市の兄弟都市)の治工 藤原正次に鋳造させた鐘です。
以来270年もの長い間「おかみの鐘」として島原の人たちに時刻を知らせていました。
しかし、太平洋戦争下の昭和19年、長い歴史の余韻を残したまま供出されました。(きっと鉄砲の弾などに鋳造されてしまったのでしょう。)
昭和55年に志ある人たちの浄財により復元されました。
イタズラ防止のためか、鐘楼に登ることは出来ませんでした。
街の片隅にひっそりと建った鐘にも歴史があるのですね。