島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

沖田畷古戦場跡

2010-10-16 13:15:20 | 歴史・史跡
天正12年(1585年)3月24日朝から龍造寺隆信は兵2万5000を率いて、有馬晴信・島津義久軍8000と沖田畷(おきたなわて)で戦いました。
その戦場跡がここです。
墓石みたいに見えるのは供養塔です。
両軍あわせて約4000名の戦死者を弔っています。
畷とは田畑の間をまっすぐ通る一本道のことで、ここ沖田畷は馬の腹まで沈み込むほどの湿地帯の中を細い一本道があっただけの土地だったそうです。
地理に不案内な上、大軍を誇りに油断していたのか、龍造寺軍は苦戦を強いられ、その日のうちに大将の隆信が島津軍の川上左京亮に首を刎ねられて戦は終わりました。
なかなか歴史的魅力のある史跡だと思うのですが、地元の方もあまり関心を引かない所です。
また、ちょっと場所も分かり難いです。

一応、国道251号線沿いに写真のような看板も出ているのですが、自動車工場と運輸業者の隙間の道を入り込まないと行き着けない場所です。
大々的に売り込む必要はないと思いますが、もうちょっと関心を持ってもらってもいい場所かなと思います。
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辺木・小竹木地区

2010-10-15 13:53:08 | 雲仙
よか(長崎の方言で“良い”)場所ば見つけました!
ここは雲仙市南串山町の「辺木(へぎ)・小竹木(こたけぎ)地区」です。
どうです?良い眺めでしょ?w
それもそのはず、ここは「長崎県のだんだん畑十選」に選ばれた地です。
山の頂上まで続く急傾斜に長い年月をかけて農地が開かれ、馬鈴薯やレタス、かぼちゃなど年間を通じて多彩な畑作物が耕作されています。
こんな眺めがいい場所があったなんて知りませんでした。
雲仙グリーンロードと名付けられた広域農道の小浜-加津佐間にあります。
真新しい展望所も作られ、その風景には息を飲みます。
ジオ的に言えば、

国崎半島を上から眺めることができます。
この景色もいいですね。
方角を変えると千々石断層や平成新山・普賢岳も見ることが出来ます。(天気が良ければ)
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アコウの木

2010-10-14 15:09:56 | 南島原

アコウで検索すると魚の「アコウ」がヒットします。
ここは、口之津町早崎半島の先にある漁港です。
ここら辺りは「あこう群落」として、南島原市の天然記念物に指定されています。
アコウ(木)は、暖地の海岸近くに生えるクワ科の常緑高木です。
高さは約20mにもなり、写真のように樹冠を広げた大きな木になります。
(♪このー木なんの木、気になる木~♪)
元々南方系の樹木で、実が流れ着いてこの地に生息したのだろうと考えられています。
アコウ(木)自体は、人家の防風や防潮用に植えられることも多いのですが、これだけの群落は全国でもほとんどないでしょう。
樹齢がどれ程のものか見当もつきませんが、長い時間の中、早崎半島の人々と共に暮らしてきた歴史がうかがえます。
ちなみに南島原市の市の木にも指定されています。
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10月11日の行動

2010-10-13 14:33:22 | Weblog
あまり博物学とは関係なくなりますが、これも島原半島の文化の1つということで。
今週の月曜日、島原半島内では色々なイベントが実施されていました。
普段ならば地味に仕事だったのですが、どういう風の吹き回しか、お休みでした。
そこで以前から目をつけていた2つのイベントに行ってきました。
その1つが見出し画像の「島原城レンコン掘り大会」です。
地元商店街が主催し、今年で第6回とのこと。
昨年末のテレビ番組で取り上げられて、地方女子アナが活躍していたのでご存知の方も多いと思います。
今年も来ていました、テレビクルー。

私は残念ながら最後までいませんでしたが、地元ラジオ局が時々中継を入れていたみたいです。
さて、もう1つは写真を撮ってきませんでしたが、愛野町で行われた「長崎ケータリングサミット」です。
場所は雲仙和楽(わらく)の駐車場。
昨年、当センターのイベントでお弁当を配達していただいたり、大変お世話になりました。
地産地消を薦める素敵なお食事処(?)です。(地元産の野菜も販売しています。)
開催時間は15時までで、私が行ったのはお昼を過ぎた1時過ぎだったのですが、大勢の人・人・人。
車が停められないほどのお客様が来られていました。
地元島原半島を中心に販売している車や、佐賀・佐世保からのケータリングショップも来ていました。
昼食にホットドッグ、晩のおかずにからあげを買って帰りました。
この日は魅力的な半島を楽しみました。
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島原半島北目の史跡探訪ジオツアー

2010-10-10 14:16:21 | イベント
昨日、「島原半島北目の史跡探訪ジオツアー」を実施しました。
あー長いタイトル。
講師を島原城資料館専門員の松尾卓次先生にお願いして、島原半島北目にある史跡を歴史的解説を聞きながら巡見しました。
(巡検は「ある範囲の場所を見回り、秩序が保たれているかどうかを調べる」という意味なので、見て回る意味だけの“巡見”を使用しました。)
事前学習では今回回らない南目の史跡を紹介していただき、バス巡見では島原城・沖田畷古戦場跡・有明縄文の里・国見町神代(こうじろ)鍋島邸・吾妻町守山大塚古墳を回りました。
一つ一つは、明明後日から紹介していきます。
(明日・明後日は連休で、ブログもお休みします。)
見出し画像は、神代鍋島邸で撮影した記念写真です。
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龍石海岸の不整合

2010-10-08 13:31:39 | 南島原
南島原市西有家町にある「龍石海岸の不整合」というジオサイトです。
正面の岩山をご覧ください。
岩山の下部分の黄色く見えている所は、“口之津層群”といいます。
約250万年~70万年前までの湖や浅い海になった時にできた堆積層です。
その後、この場所は陸化して約20万年の間侵食を受けました。
その上に約50万年前から始まった古期雲仙火山の地層が重なっています。
小さ目の軽石を含む層がそれです。
その後、再びこの場所は約20万年間雲仙火山の活動の影響を受けずにいました。
が、約30万年前から始まった中期雲仙火山の土石流堆積物がその上に重なりました。
少し大きめの岩が混じった層がそれです。
このように時代が新しくなるにつれ、その上に地層が乗っているのですが、それぞれの境目に長い時間間隔がある場合は、その境界を“不整合”と呼びます。
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両子岩2(小ネタ)

2010-10-07 13:08:12 | 雑談・その他
「アナゴさん、肩までつかる。」
・・・。
いや、先日通りかかった時に潮が満ちててそう見えたってだけです。
以上、小ネタでした。
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時鐘楼

2010-10-06 13:47:48 | 島原
島原城近くの史跡「時鐘楼」です。
名前も知っていたし、場所も知っていたのですが、なかなか見る機会がなかったものです。
この時鐘楼は、島原藩主 松平忠房公が「民に時刻を知らしめ、これを励行せしむることは政治の要道である」として、延宝3年(1675年)豊後高田(現在でも島原市の兄弟都市)の治工 藤原正次に鋳造させた鐘です。
以来270年もの長い間「おかみの鐘」として島原の人たちに時刻を知らせていました。
しかし、太平洋戦争下の昭和19年、長い歴史の余韻を残したまま供出されました。(きっと鉄砲の弾などに鋳造されてしまったのでしょう。)
昭和55年に志ある人たちの浄財により復元されました。
イタズラ防止のためか、鐘楼に登ることは出来ませんでした。
街の片隅にひっそりと建った鐘にも歴史があるのですね。
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龍馬像大地に立つ!!

2010-10-05 15:34:27 | 島原
あ、タイトル落ちw。 分からなければスルーして下さい(ヲタネタなので)。
それはさておき、明日でも良かったのですが、情報が古くなりそうなのでアップしました。
昨日、車を運転しながら偶々地元のFMラジオにチャンネルを合わせました。
すると、島原復興アリーナに来ている「龍馬像」が立ったとのニュースが流れていました。
丁度向かっている方向だったので、寄り道して撮影してきました。
代々木公園でワールドカップサッカー南アフリカ大会に日本代表を送りだした「龍馬像」です。
デカイとは聞いていましたが、予想よりも大きかったです。
近くで撮影すると背景に平成新山や眉山が入らないので、少し離れた場所から。
まだ作業中ですので、近くによると危険です。
正式なこけら落としは数日後とのこと(正確な日付を忘れた)。
ちなみに写真名につけたMSは、モビルスーツのこと(ネタ元バレ)。
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金浜眼鏡橋

2010-10-03 13:40:39 | 雲仙
雲仙市小浜町金浜にかかるアーチ型の石橋です。
昔、金浜川はしばしば氾濫し、よく架橋を押し流していたそうです。
そこで北串山の有力者であった岡右衛門さんが、1846年(弘化3年)に当時の架橋技術の最高を駆使して完成させました。
その後長い年月の間、重要な街道をつなぐ橋として人々の往来を見守っていました。
しかし風雨に晒された石材は風化し、欄干は落ちるなどして傷みが激しくなったため、平成5年に大改修を行って新しくしました。
眼鏡橋というと長崎市観光の専売特許だと思っていました。
こんな所にも眼鏡橋があったんですね。
ちなみにこの金浜眼鏡橋は、前出の「金浜断層」の真上にかかっています。
川だけでなく、断層をも渡す橋だったとは・・・。
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