本日は芸森→同工芸館→大丸→紀伊国屋→土屋ホーム→エッセ→チカホ→大通→富士フイルム→オマージュ→三越→スカイホール→さいとうの13か所。涼しい朝、早いスタートである。
真駒内駅に着いたら、やはり墓参りの客でバスターミナルはかなりの混雑。芸森行きのバス停にもそこそこ人がいるが、無事座ることができた。芸森に到着してから気がついたが、適当な時間に起きて出てきたら、実は美術館の開館時間よりだいぶ前についてしまったのである。しょうがないので、そこら辺の彫刻を撮影して時間をつぶす。
伊藤隆道「空と地と軌跡」。
マルタ・パン「浮かぶ彫刻・札幌」:3基中2基は修復中なのだそうだ。
五十嵐威暢「Komorebi」。
和泉正敏「石のやさしさ」。
和泉正敏「ゆくえ」。
和泉正敏「内と外」。
さらに入口の前で10分ほど待って、やっと入場できた。
■札幌芸術の森美術館「西洋の写本」。とにかく見ごたえあり過ぎ。
最初の方にあった一応本の形を成しているもの(タイトル撮影漏れ)。
「「キリスト系図史要覧」断簡」:このひ弱げな気のいい兄ちゃんみたいな人はアレクサンドロス大王なのだそうだ。もう少し威厳ありげに描いてもよさそうだが、神の前ではただの人ということか。
「聖書零葉」:神が世界を作ってから、カインがアベルを殺そうとするまでを7シーンにまとめたもの。今回はそれぞれの資料に解説がついているのだが、そこで「創世記7コママンガ!?」と書かれていた。
「時祷書零葉」:ヨハネが黙示録を執筆中のシーン。全体的に今回展示された資料を見ていて「西洋アートの源流のすべての要素があるのではないか」と感じた。宗教や宗教画、カリグラフィ、宗教音楽はもちろん、ボタニカルアートの原型に思われるようなものなどもあったが、これなどアルブレヒト・アルトドルファー(純粋な「風景画」を描いた最初期の画家と言われている)に通じる、風景画の芽生えではないかと私は思うね。
後、妙に面白かったのが、馬上槍試合のトーナメントを550年分、832ページもの書物にしてしまった書物があるらしい。その大作ぶりにも関わらず、実は記録としての信憑性は低く、武勇伝としての意味合いの方が強いというものがあった。これなんか、昔どこかで見たけれども、プロレスの大会形式で未だ対戦したことのない選手の対戦表を作り、どっちがどんな技で、また何分何秒で試合が決まったかというのを書いている人がいたが、それに似たマニア魂というか、バカバカしさの限り(誉め言葉)を感じるね。ちなみにプロレスの試合結果だけを見る場合、決まり手も重要だが、試合時間というのもどんな試合だったのかを想像させる重要なファクターなのである(話がズレた)。
■札幌芸術の森美術館「藤原千也《太陽のふね》」。これだけの迫力だとは思わなかった。中庭に出て、まずは円錐形の穴の開いた方から。
横から。
穴の中に入ってみて、外を見る。
どうやっても全体を撮影できないのだよね。
芸森美術館の中庭で展示するなら、世の中アピールも含めて地下鉄大通駅の方がいいのにと思っていたが、これは地下鉄駅の展示スペースでは展示できない。それにしてもいい作品だと思う。
■札幌芸術の森美術館「艾沢詳子 Happy Re-Birthday to Fukushima + Sapporo 2024」。
これ、パッと見ると、美しく見えるんだよね。
人の形をしたものと、ケーキの箱は家にも、何か贈り物の箱のようにも見える。しかし、周りの人達は白く立ち姿なのだが、真ん中にいる人達は明らかに黒ずんでいて、死を表しているのである。
本当に福島で起きたことを我々は忘れてしまったのだろうか。いや、忘れてはいないまでも、記憶の中にぼんやりとしつつあり、そしてそれは少し美化されているのではなかろうか。今年の1月1日に能登半島地震が起きたが、その土地と住民はハッキリ言って政府から実に冷酷な扱いを受けて、復興は進んでいない。下らない連中のために、我々は鈍感になり続けていくつもりなのか。
■土屋グループ札幌ショールーム「土窯会作陶展」。小さな陶器の家が沢山並んでいた。土屋ホームだからか。
■ギャラリーエッセ「第45回北海道現展」。かなりの力量の作品が多く展示されており、良かった。以前はらいらっく・ぎゃらりいでやっていたのか。こっちの会場の方がずっといいね。
■チカホ「藤谷康晴ハイパードローイング-風のすきま、魔群-」。今日1日、約5時間をかけてのドローイングパフォーマンスらしい。また恐ろしい怪物たちが現れるのかと思ったら、一見見た目は海の中を泳ぐ海中生命体が綺麗な色彩で描かれている。
私が見ている時、ちょうどこの四角が泡のように生まれて、沈み込んでいくところが描かれていた。幾何学的な形と揺らぎのある配置がいい。
遠くから見るとコンサート会場の座席表のように見えるが、やっぱり海中生物なんだろうね。
笹の葉のような緑の部分は海流を表しているのかと思ったら、小さな目がついている。プラナリアっぽいな。
かなり多くの人が足を止めて見ていく、なかなか素晴らしいパフォーマンスであった。
札幌芸術の森美術館「西洋の写本」を見たせいで腰が痛くなり、全体的にあまり無理をしないようにした。帰って体を休めておこう。
真駒内駅に着いたら、やはり墓参りの客でバスターミナルはかなりの混雑。芸森行きのバス停にもそこそこ人がいるが、無事座ることができた。芸森に到着してから気がついたが、適当な時間に起きて出てきたら、実は美術館の開館時間よりだいぶ前についてしまったのである。しょうがないので、そこら辺の彫刻を撮影して時間をつぶす。
伊藤隆道「空と地と軌跡」。
マルタ・パン「浮かぶ彫刻・札幌」:3基中2基は修復中なのだそうだ。
五十嵐威暢「Komorebi」。
和泉正敏「石のやさしさ」。
和泉正敏「ゆくえ」。
和泉正敏「内と外」。
さらに入口の前で10分ほど待って、やっと入場できた。
■札幌芸術の森美術館「西洋の写本」。とにかく見ごたえあり過ぎ。
最初の方にあった一応本の形を成しているもの(タイトル撮影漏れ)。
「「キリスト系図史要覧」断簡」:このひ弱げな気のいい兄ちゃんみたいな人はアレクサンドロス大王なのだそうだ。もう少し威厳ありげに描いてもよさそうだが、神の前ではただの人ということか。
「聖書零葉」:神が世界を作ってから、カインがアベルを殺そうとするまでを7シーンにまとめたもの。今回はそれぞれの資料に解説がついているのだが、そこで「創世記7コママンガ!?」と書かれていた。
「時祷書零葉」:ヨハネが黙示録を執筆中のシーン。全体的に今回展示された資料を見ていて「西洋アートの源流のすべての要素があるのではないか」と感じた。宗教や宗教画、カリグラフィ、宗教音楽はもちろん、ボタニカルアートの原型に思われるようなものなどもあったが、これなどアルブレヒト・アルトドルファー(純粋な「風景画」を描いた最初期の画家と言われている)に通じる、風景画の芽生えではないかと私は思うね。
後、妙に面白かったのが、馬上槍試合のトーナメントを550年分、832ページもの書物にしてしまった書物があるらしい。その大作ぶりにも関わらず、実は記録としての信憑性は低く、武勇伝としての意味合いの方が強いというものがあった。これなんか、昔どこかで見たけれども、プロレスの大会形式で未だ対戦したことのない選手の対戦表を作り、どっちがどんな技で、また何分何秒で試合が決まったかというのを書いている人がいたが、それに似たマニア魂というか、バカバカしさの限り(誉め言葉)を感じるね。ちなみにプロレスの試合結果だけを見る場合、決まり手も重要だが、試合時間というのもどんな試合だったのかを想像させる重要なファクターなのである(話がズレた)。
■札幌芸術の森美術館「藤原千也《太陽のふね》」。これだけの迫力だとは思わなかった。中庭に出て、まずは円錐形の穴の開いた方から。
横から。
穴の中に入ってみて、外を見る。
どうやっても全体を撮影できないのだよね。
芸森美術館の中庭で展示するなら、世の中アピールも含めて地下鉄大通駅の方がいいのにと思っていたが、これは地下鉄駅の展示スペースでは展示できない。それにしてもいい作品だと思う。
■札幌芸術の森美術館「艾沢詳子 Happy Re-Birthday to Fukushima + Sapporo 2024」。
これ、パッと見ると、美しく見えるんだよね。
人の形をしたものと、ケーキの箱は家にも、何か贈り物の箱のようにも見える。しかし、周りの人達は白く立ち姿なのだが、真ん中にいる人達は明らかに黒ずんでいて、死を表しているのである。
本当に福島で起きたことを我々は忘れてしまったのだろうか。いや、忘れてはいないまでも、記憶の中にぼんやりとしつつあり、そしてそれは少し美化されているのではなかろうか。今年の1月1日に能登半島地震が起きたが、その土地と住民はハッキリ言って政府から実に冷酷な扱いを受けて、復興は進んでいない。下らない連中のために、我々は鈍感になり続けていくつもりなのか。
■土屋グループ札幌ショールーム「土窯会作陶展」。小さな陶器の家が沢山並んでいた。土屋ホームだからか。
■ギャラリーエッセ「第45回北海道現展」。かなりの力量の作品が多く展示されており、良かった。以前はらいらっく・ぎゃらりいでやっていたのか。こっちの会場の方がずっといいね。
■チカホ「藤谷康晴ハイパードローイング-風のすきま、魔群-」。今日1日、約5時間をかけてのドローイングパフォーマンスらしい。また恐ろしい怪物たちが現れるのかと思ったら、一見見た目は海の中を泳ぐ海中生命体が綺麗な色彩で描かれている。
私が見ている時、ちょうどこの四角が泡のように生まれて、沈み込んでいくところが描かれていた。幾何学的な形と揺らぎのある配置がいい。
遠くから見るとコンサート会場の座席表のように見えるが、やっぱり海中生物なんだろうね。
笹の葉のような緑の部分は海流を表しているのかと思ったら、小さな目がついている。プラナリアっぽいな。
かなり多くの人が足を止めて見ていく、なかなか素晴らしいパフォーマンスであった。
札幌芸術の森美術館「西洋の写本」を見たせいで腰が痛くなり、全体的にあまり無理をしないようにした。帰って体を休めておこう。