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最近浅田彰の『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』について考えている。とはいえ深くは考えてはいない。考えているのは、浅田彰と東浩紀は同じようなポストモダン文献を参照しつつも、違う結果を導きだしている。浅田彰はユートピア的だし東浩紀はディストピア的だ。なぜそうなるのかは、時代が違うからだと言えばあっという間に終わるのだが、「大きな物語」が生きていた時代と、失われつつあるもしくは失われた時代の差かもしれない。通信の発達も大きい。
浅田彰の時代では、学生が電話を(有線電話だ!)を持つ事すら難しかった。家庭用ファックスも確かこの頃。1980年後半からのポケベルブーム、1999年以降の携帯電話ブーム、そして1995年以降のインターネットの広がり、そしてSNSとスマートフォンの普及、これらが違いとしてあるだろう。
一番の違いなのだが、浅田彰だとお金持ちしか享受できなさそうな世界だが、東浩紀だと貧乏でもそこそこ楽しめる世界になっていると言うのが、私の直感だ。
人と繋がるためにはお金が必要だった時代と、安く済む時代の差が、同じポストモダン理論の解釈を変えたのだと思う。事実、「ノマドウォーカー」的な生き方と言うのは浅田彰的だ。
都議会でのヤジ問題なのだが、まだ続いている。私のいいたい事はオダシマ氏がとっくの昔に書いている。もの凄く簡単にまとめると、男はガキで馬鹿なのが本質だ、と言う事だと思う。追加するとすれば、世間の狭い男の方がなぜか男に受けがよい。極端な例ではアメリカのオバマ大統領だろう。かなりリアリストだと思うが、共和党やティーパーティーからは嫌われている。なぜか?世界協調路線で外交をしているからだ。
ところで、北東北学生野球連盟ではヤジを禁止している。正確に言えば対戦者に対する侮蔑的な発言を禁じている。なので面白い事が起きる。味方にヤジを飛ばすのだ。「ウチのピッチャーノーコンだよ、もう打っちゃって、鼻へし折って」とか、「打ったらご褒美だよご褒美。バナ~ナかな、ゴリラだからバナ~ナ。バナ~ナ。」、とかまあそんな具合。そう言ったやり方もある。
「バナ~ナ」は今の所最高に大好きなヤジだ。
あとは「ホメ殺しもある」。こちらが有効だろう。決して相手を誹謗中傷せずに、褒めたたえるのだ。とはいえこのやり方は、高度な知性が必要だろう。嫌みにならない程度にするのは難しい。
議会の花はヤジ、というのも厳然たる事実だ。ヤジの花でもなければシャンシャン議会だと有権者から批判され、ヤジだらけとなれば、会派の横暴ともいわれ、議会で発言させてもらえない議員にとってはとにかくヤジを飛ばさないといけないわけで、そこでどんな高度な技を見せてくれるのかが、今後の課題になるのだろう。
あのヤジを翻訳すると、「隗より始めよ」かな。そう言ったらいったで、同じ問題になるのだろう。いろいろ考えたが、ヤジには共通の文化が無いとなかなか難しいかもしれない。
ポストモダンに置ける最後の「大きな物語」は身体だと思う。性差もそうだが、この否定発言が一番不味い。
あと何かをいっぱい考えていたのだが、すっかり忘れてしまった。
ニュースをここ10年見ていないと言う人と出会った。仕事が忙しすぎてそんな時間すらもない。ほとんどのニュースが自分には全く関係がない事だと割り切っているが、会話の切っ掛けが少ないのは自分でもどうかと思う、と話していた。
私もテレビ無し生活30年だ。芸能話はまったくムリ、だから良くわかるのだが、そもそも会話が成立するのは奇跡なのではないのかと、最近思う。
忙しい忙しいと言いながら、ウダウダと考え事をする日々。