どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日も何もないが大通りにふくろうを手にした女性がいた

2016-02-11 20:36:35 | 日記

 

今日は天気が良かったが、家の中でジトジトしていた。

だが白鳥の北帰行が始まっている。今日のような風も少なく天気のいい日は、巨大な群れを見ることができるかもしれない。そこで高松の池に出てみた。

スズメが相変わらず可愛い。

 

 

どうも子供とはぐれた親鳥らしい。ずっとウロウロしていた。

 

 

残念ながら天を埋め尽くす白鳥は現れなかった。

 

 

多分今日最大の群れ。

 

 

いい夕焼けです。

 

 

細く三日月が出ていた。

ニューズウイークの岩本沙弓氏のコラム「現場主義の経済学」で、「マイナス金利は実体経済の弱さを隠す厚化粧」という記事がある。昔日経新聞を購読していた時期があって、その時の思い出とかぶる部分があって、生々しい。

 

「2000年に入ったころには徐々に貸出し先もなくなり、私の在籍していた中規模程度の米系商業銀行でもすでに数百億円単位の金額を(日銀当座預金に・M野注)0%で積んでいた記憶があります(外資でも在日支店は日銀当座預金を保有します)。つまり、当座預金に金利が付いているから日銀当座預金の残高が積み上がるわけではなく、適当な貸出先が見つからなければ金利が付いてなくても当座預金の残高は増えるということです。

 また、これまでの金融政策と全く違うという点で言うなら、2002年9月18日に公表された日銀による株式購入もあげられます。当時も今も先進国で中央銀行による株の買い入れをしているのは日本だけですので、異次元と言えるでしょう(ECBの資産購入もカバード債やABSです)。」

公定歩合が0%の大台に乗せたのが1995年9月8日、ゼロ金利に成ったのは1999年2月12日で、日銀が「無担保コールレート(オーバーナイト物・銀行間の貸し借りの金利一夜限りの超短期)を0.15%以下にすると言い出して、日銀総裁が「0%でもいい」といったことがきっかけです。なおこの期間に金利自由化に伴って公定歩合という言葉はなくなり、無担保コールレートや日銀当座預金などの政策金利の操作で市中の金の流通量を操作することで、経済政策を実現しようというマネタリスムの方法に変わったわけです。ところが、そうして市中に金を溢れ返らせても、貸し出すところや運用するところがないわけで、本来は運用したい金が日銀当座預金に溜まっていたわけです。まあここには銀行の運用安全基準の強化なんかもあって、銀行規模ごとの自己資本率や日銀当座預金残高の最低額が決まってしまうわけで、一概に悪いこととは言えないのですが、銀行としては運用できない金は問題なわけで、そこで金融自由化の流れ、つまり銀行が証券・保険業務ができ手数料収入を得られるようにする流れができたわけです。ただリーマンショック以降はその流れに制限がかかるようになってきているというのがあります。

08年10月31日から開始された日銀当座預金の+0.1%の付利は、リーマンショックに対する銀行救済と、金融自由化が浸透していなかったから一時しのぎで行っていたというフシが大きいです。


機会収益を逃すまいと、少しでも高い金利があれば(海外も含め)そちらで運用しようとするのが銀行です。したがって、90年代に法定準備預金で必要とされる以上の金額を日銀の当座預金に積むようなことをすると、決して大袈裟ではなく「無駄金を積みやがって」と資金担当者は罵倒されたものです。現在のように、一金融機関が何千億円も金融機関全体では250兆円もの資金を毎日、日銀当座預金に残すなど当時からすれば隔世の感があるわけですが、この時の無駄なお金という意味合いだけが残り、業界では日銀当座預金に積まれた残高を今でも通称で「ブタ積み」と呼んでいます。」


銀行は手足縛られた状態で仕事をしていたということでしょう。

 

 

しかし市中には貸し出したくともかせる相手がいないという状態が20年も続いてしまった。逆に貸せるという相手がいたら果敢にチャレンジしていたのも銀行です。例えばソフトバンクでしょう。ユニクロもそうです。ライブドアもそうでした。急成長した企業のほとんどが金余りを有効に使っていたというのは事実です。だがそんな大物はそうそういるわけではないし、ある一定以上の大さになると株式や社債で資金調達しますから、銀行の貸出は頭打ちになるわけです。

日銀が資金供給をするのはなんのためなのか。日本国内の実体経済にこそ回すのが目的ではないのか。金融政策で出来ることは限られているとの至極当たり前かつ謙虚な原点に立ち返ることが必要かと思われます。」

実体経済が弱すぎるところに金をジャバジャバつぎ込んだところで、景気は良くならない。そんな当たり前のことを書いているだけなのです。もう一つ、有力な人や事業があっても、プレゼン能力が低すぎて貸し出せないということが多いのも事実でしょう。豆腐の相模屋なんて、実際のところ誰も金を貸し出さない業種なはず。でも急成長したのは間違いなく鳥越専務の力だった。ガンダムと豆腐をくっつけたのはイノベーティブかどうかは判断が苦しいが、そこで銀行を動かしたのは確実に個人の力だ。

 

 

ということでいきなり梟の写真です。喫茶米山に行ったらお休み。帰りがけに新規開拓でもしてみるかと思ったのだが、貧乏性で躊躇しているうちに大通りの端っこ近くのクリエイトビルの前に梟を腕に乗せた女性が立っている。ナンジャと思ったら、どうもフクロウカフェがあるという。一応店名を書いとくか。クリエイトビル地下、ふくろうカフェRicky.

ネコカフェのフクロウ版なのだが、この数年大都市で流行っている。だがまさか盛岡にあるとは。1年前からあるという。一時間1000円でワンドリンク、アルコールだと1200円が基本。午後7時には無料の餌やりタイム(他の時間は有料)がある。基本的に高い。

触ることのできる別室があって、これが楽しい。ただなぜかモモンガやハリネズミやウサギがいて、こいつらの匂いが気になったが、やっぱりふくろうを腕に乗せたり肩に乗せたりして、「ゆけ~」とかいうのは楽しいな。残念ながらふくろうは飛ばないけどね。おさわりは、なんとも言えないな。羽毛が柔らかすぎるのでなんか触った感じがしないしかといって風切羽とかだとえらく硬いし。そもそも鳥だからあんまりお触りはしないほうがいいので、かなりじれったい。

なお後ろにいるのはチョウゲンボウ。ふくろうではないが、こいつに触れるというのは楽しすぎる。この感覚がわかる人は少ないと思うが、触れないものに触るというのはなんとも言えない。フクロウのフワフワ感が少し少ないので、何か触った気分にもなる。とは言っても猛禽でも鳥って繊細な骨格だからなあ~。やっぱり躊躇するよ。

やっぱり犬最強。

仙台より早かったというのは、チと驚く。盛岡ってこの点少し変わってるんだな。

 

 

飲食コーナーでは、程よいバランスでふくろうが止まっていました。

 

 

シロフクロウが美輪明宏みたいになっています。北極周辺が生育域なので、チト暑いようです。

5回通うと、FKおさんぽ(ふくろうお散歩)ができるようです。FKと外でお散歩です。写真撮影し放題ですので、コスプレの方にはなかなかにいいかもしれません。チョウゲンボウも現在調教中で、飛ばして遊ぶことができるようです。プチ鷹匠でしょうか。

ただコスト的に厳しいですね。私には。一番きついのは禁煙でしょうか。


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