中津川を挟んで向こう側の加賀野は高級住宅地ですが、なぜか山岸は高級とは目されていません。しかしこうして街あるきすると、結構良い土地なんじゃないのかと思います。
いきなり袋小路に入ってしまいました。それにしてもこの貸家、よく残っているなと思います。
これは廃墟ではありません。人が住んでいるようです。しかし土管で床を支えるとは。
中央公民館です。ここには南部藩の薬草園があって、それから南部家の別邸になって、藩校にもなって、それが南部家は白石藩に転藩させられ、廃藩置県で南部家からこの家も取り上げられ、紆余曲折で盛岡にようやく戻って来れた南部家が作り直したもの。なので和洋折衷です。
この中央公民館は、以前は博物館的な機能があって歴史展示が充実していたのですが、県立博物館や美術館、そして盛岡歴史館ができてその機能は無くなっています。ただこうして古民家が移築されていたり、蔵が移築されたりして以前の機能を感じさせています。
この家は、中村家という豪商の家です。どのくらい豪商かと言えば、三菱の岩崎家から嫁を取るほどと言えば解るでしょうか。
建物の中は、言えば見せてくれるのですが面倒なので止めておきます。地下室があったり、狭いながらもかなりな作りになっています。裏庭は簡単に覗けます。管理上どうなんでしょうか。
さて中央公民館は、紅葉の名所です。江戸時代の南部家別邸の頃には、借景になる愛宕山に京都から取り寄せた紅葉を植えていたようです。この庭は政府により一旦取り壊されていたものを、明治41年に作り直したものです。
南部藩は面積ばかり大きく、幕府に納める年貢の量もそれに伴い過大だったようです。その上冷害多発地帯で貧乏でした。更に白石藩から盛岡に戻るためにいろんな努力をしたようで、伯爵ではあっても豊かではなかったようです。確かに庭も建物も立派なのですが、ちょっと控えめです。
この茶室は、原敬の作ったもの。移築して現在に至っています。公民館なので、石とか待ち合いの位置とかちょっと無粋なのは仕方がありません。
この建物は明治天皇行幸の際に作られた、お成りの間を移築したもの。数寄屋作りなのでお茶会に使われているようです。
こちらは俳人山口青邨が幼少期に過ごした家。この作りの家は、ほとんど残っていないのではないのかと思います。今の所一件だけありました。もしかすると下級武士の家なのでしょうか。貴重な家だと思います。
主に句会に利用されているようです。
この公民館では結婚式もできます。この庭バックで写真を撮っているのをよく見かけます。食堂も、雫石の手打ち蕎麦屋が入っていて、特徴を出しています。
大きな蔵が2棟あるのですが、震災の影響で壁が部分的に崩れて工事中でした。ただなんでも屋根に土を盛っていないと工事関係者が話してくれました。ちょっと珍しい作りです。そのせいかかなり急勾配な屋根なのかと納得。
さて山岸町内に入ってゆきます。メインの通りは道路拡張の計画があるのでしょうか、ちょっと閑散とした印象です。
脇に入ってゆきます。あえて古いうちを撮影していますが、新築のうちも多いです。盛岡の街の中では、道路が極端に狭くないようです。これはホメ言葉です。これより狭い所が多いです。
山の上に神社を発見。いってみます。
神社からの眺め。
さてこの神社。岩谷稲荷というそうです。表からよく見える建物が神社というより、この崖がご神体のようです。
ちょっと来歴が変です。隣の北山にある榊山稲荷が南部家の神社なので、民間用に作られた稲荷となっていますが、この稲荷は南部家が青森の三戸から盛岡に引っ越してきたときに一緒につれてきた永福寺の別院でもあったのです。当時は神仏混合なので不思議でもないのですが、盛岡五山に数えられ、南部家の歴史でもある別格寺院を民間に出すとは思えません。多分この稲荷はその前から民間信仰の場所で、見晴らしが良いためその場所を南部家が確保したと考えるべきでしょう。実は北山の頂上付近に南部家の墓があるとか、北山の端にある突き出た山に金比羅産があるとか、北山ー愛宕山ラインは城がすぐに見えるため、重要視していたのではないのかと思います。
また岩泉街道と奥州街道を押さえる意味でも、東禅寺と永福寺は機能があり、中央公民館の別邸の裏にあるこの神社はなんらかの機能があったのではないのでしょうか。
いや上りました。この階段チト辛かった。
さて山岸はまだまだ山奥まで続きますが、一旦ここで山岸駅の方へ向かいます。
文具やプラモデルなどおもちゃを扱っている古い店がありました。こういった店が残っているのは良い事です。
さて駅に向かいますがここで大問題発生。ここの家って立派だなーとおもって止まったら、おばあさんから突然「ここどこですか?山岸小学校に行くにはどこにすすめばいいですか?」と質問。キター!おばあさん、あなたがいるのは山岸小学校の前ですよ!
帰りたいんだけど家が分からないとの事。自分の名前と息子の名前が言えるのと、山岸小学校のそばに住んでいるというので一緒に探す事にしました。電話は今家に誰もいないとの事でそれもダメなようです。300メートル歩いた所で同じ名字の家がありました。そこで話しを聞いてみようかと思いましたが、おばあさんは疲れたと座ってしまいました。以外と車通りが多いので、ちょっと目が離せない。そしたら近くの家から一家で出かけるのでしょうか、人が出てきたので、話しをした所50メートルも離れていないという事。娘さんに電話してもらって、やはり家に誰もいない事が確認されました。そこでこの家族が車で送ってくれる事になりました。めでたしめでたし。
さて気を取り直して駅を探します。古い寿司屋がありました。
さて山岸駅です。何とも言えない手作り感がいいです。町中の無人駅なので何となく都会っぽくもあり、田舎臭くもあり、いい感じです。
さて神社があります。大正時代の鳥居が立派です。でも何かおかしい。なんとこれが盛岡五山の永福寺です。城の鬼門を守る寺なのだそうですが、どう見ても神社。境内に入ると太いひもと金が吊るされています。
住居と一緒なのでしょうか、風情があります。
平らな所にポコっと小山があって、その前に寺、山の上には神社があります。こういった場所は信仰の対象になりやすいのですが、ここまで混沌とした場所は滅多にありません。
神仏分離などの公権力にもめげないこの民間信仰は、すばらしい。
しかし盛岡五山と言われる別格寺院なのに、東禅寺といい永福寺といい質素だな。
道を挟んで小さな畑があります。ベンチがいい感じです。線路を挟んで向こう側に薮があります。なんでしょうか。
永福寺の敷地なようです。道路と線路に土地を取られて敷地が分断されているようです。道理で永福寺の敷地がやたらに狭い訳だ。ベンチがあったりして休憩出来るようですが、寺というより人のうちの庭先のようで入りにくいです。
駅前駐輪場。何もかも小さくてかわいらしいです。
いやいや大発見の山岸駅でした。このまっすぐな線路は、超難所の北上山地へ続いています。これで列車の本数が多かったら、山岸に住んでも良いかなと思います。加賀野と違ってスーパーがありますし。
ホームにいたら、犬を散歩させている人が通りました。何とも言えない光景です。駅だけど駅ではないのどかさがあります。
さて中津川に出てきました。
またウロウロします。駅まで5分の廃屋なんてありましたが、まあどうでも良いか。お年寄りが夕方の散歩をしているのを見かけますが、ちょっとドキドキします。
中津川から水が引かれて、親水公園になっています。昔は農業用水だったのでしょうが、こうして整備すると土地の格が上がって見えます。ちょっと住んでみたくなりました。
唐突に結婚式場に出てしまいました。式があったようです。花びらが散っています。
ネコ発見。この辺りの家もなかなかの古さで、個性的なのですが、いっぱいありすぎます。ただちょっと写真を撮らない方が良いような気もします。なんででしょうか。
これも農業用水でしょうか。コンクリートの堰にしていないのに好感が持てます。
川沿いに戻ります。この山岸町は盛岡なんだけど盛岡ではない、街なんだけど田舎のような不思議な空気があります。道路も広くはないが狭くないのもいいです。都市計画がありそうで無さそうな感じもいいです。バスの便もいいですし町中にとても近いのもいいです。バイパスにすぐ出れるので車でも便利です。ちょっと気に入りました。
さてそんな山岸町の最大の欠点は、秋から冬にかけて愛宕山にからすが集結する事。半端な数ではないのです。盛岡中のからすが集まっているとも言われています。電線にズラっとからすが並ぶ姿は壮観です。夕方4時から5時、日の暮れる頃愛宕山に集結してギャーギャー鳴いています。一旦集結して夜の9時までは更に山奥へ移動しますが、その間鳴き声や糞の被害があるのです。そして今までも対策してきたのですが、ほとんど失敗に終わってます。
ただ昔はそんなに問題ではなかったのですが、やはりからすが増えているのでしょう。住宅が増えたからという問題では無さそうです。
さてからすが帰るから、私も帰ります。ちょっといろいろありすぎた山岸町でした。
いきなり袋小路に入ってしまいました。それにしてもこの貸家、よく残っているなと思います。
これは廃墟ではありません。人が住んでいるようです。しかし土管で床を支えるとは。
中央公民館です。ここには南部藩の薬草園があって、それから南部家の別邸になって、藩校にもなって、それが南部家は白石藩に転藩させられ、廃藩置県で南部家からこの家も取り上げられ、紆余曲折で盛岡にようやく戻って来れた南部家が作り直したもの。なので和洋折衷です。
この中央公民館は、以前は博物館的な機能があって歴史展示が充実していたのですが、県立博物館や美術館、そして盛岡歴史館ができてその機能は無くなっています。ただこうして古民家が移築されていたり、蔵が移築されたりして以前の機能を感じさせています。
この家は、中村家という豪商の家です。どのくらい豪商かと言えば、三菱の岩崎家から嫁を取るほどと言えば解るでしょうか。
建物の中は、言えば見せてくれるのですが面倒なので止めておきます。地下室があったり、狭いながらもかなりな作りになっています。裏庭は簡単に覗けます。管理上どうなんでしょうか。
さて中央公民館は、紅葉の名所です。江戸時代の南部家別邸の頃には、借景になる愛宕山に京都から取り寄せた紅葉を植えていたようです。この庭は政府により一旦取り壊されていたものを、明治41年に作り直したものです。
南部藩は面積ばかり大きく、幕府に納める年貢の量もそれに伴い過大だったようです。その上冷害多発地帯で貧乏でした。更に白石藩から盛岡に戻るためにいろんな努力をしたようで、伯爵ではあっても豊かではなかったようです。確かに庭も建物も立派なのですが、ちょっと控えめです。
この茶室は、原敬の作ったもの。移築して現在に至っています。公民館なので、石とか待ち合いの位置とかちょっと無粋なのは仕方がありません。
この建物は明治天皇行幸の際に作られた、お成りの間を移築したもの。数寄屋作りなのでお茶会に使われているようです。
こちらは俳人山口青邨が幼少期に過ごした家。この作りの家は、ほとんど残っていないのではないのかと思います。今の所一件だけありました。もしかすると下級武士の家なのでしょうか。貴重な家だと思います。
主に句会に利用されているようです。
この公民館では結婚式もできます。この庭バックで写真を撮っているのをよく見かけます。食堂も、雫石の手打ち蕎麦屋が入っていて、特徴を出しています。
大きな蔵が2棟あるのですが、震災の影響で壁が部分的に崩れて工事中でした。ただなんでも屋根に土を盛っていないと工事関係者が話してくれました。ちょっと珍しい作りです。そのせいかかなり急勾配な屋根なのかと納得。
さて山岸町内に入ってゆきます。メインの通りは道路拡張の計画があるのでしょうか、ちょっと閑散とした印象です。
脇に入ってゆきます。あえて古いうちを撮影していますが、新築のうちも多いです。盛岡の街の中では、道路が極端に狭くないようです。これはホメ言葉です。これより狭い所が多いです。
山の上に神社を発見。いってみます。
神社からの眺め。
さてこの神社。岩谷稲荷というそうです。表からよく見える建物が神社というより、この崖がご神体のようです。
ちょっと来歴が変です。隣の北山にある榊山稲荷が南部家の神社なので、民間用に作られた稲荷となっていますが、この稲荷は南部家が青森の三戸から盛岡に引っ越してきたときに一緒につれてきた永福寺の別院でもあったのです。当時は神仏混合なので不思議でもないのですが、盛岡五山に数えられ、南部家の歴史でもある別格寺院を民間に出すとは思えません。多分この稲荷はその前から民間信仰の場所で、見晴らしが良いためその場所を南部家が確保したと考えるべきでしょう。実は北山の頂上付近に南部家の墓があるとか、北山の端にある突き出た山に金比羅産があるとか、北山ー愛宕山ラインは城がすぐに見えるため、重要視していたのではないのかと思います。
また岩泉街道と奥州街道を押さえる意味でも、東禅寺と永福寺は機能があり、中央公民館の別邸の裏にあるこの神社はなんらかの機能があったのではないのでしょうか。
いや上りました。この階段チト辛かった。
さて山岸はまだまだ山奥まで続きますが、一旦ここで山岸駅の方へ向かいます。
文具やプラモデルなどおもちゃを扱っている古い店がありました。こういった店が残っているのは良い事です。
さて駅に向かいますがここで大問題発生。ここの家って立派だなーとおもって止まったら、おばあさんから突然「ここどこですか?山岸小学校に行くにはどこにすすめばいいですか?」と質問。キター!おばあさん、あなたがいるのは山岸小学校の前ですよ!
帰りたいんだけど家が分からないとの事。自分の名前と息子の名前が言えるのと、山岸小学校のそばに住んでいるというので一緒に探す事にしました。電話は今家に誰もいないとの事でそれもダメなようです。300メートル歩いた所で同じ名字の家がありました。そこで話しを聞いてみようかと思いましたが、おばあさんは疲れたと座ってしまいました。以外と車通りが多いので、ちょっと目が離せない。そしたら近くの家から一家で出かけるのでしょうか、人が出てきたので、話しをした所50メートルも離れていないという事。娘さんに電話してもらって、やはり家に誰もいない事が確認されました。そこでこの家族が車で送ってくれる事になりました。めでたしめでたし。
さて気を取り直して駅を探します。古い寿司屋がありました。
さて山岸駅です。何とも言えない手作り感がいいです。町中の無人駅なので何となく都会っぽくもあり、田舎臭くもあり、いい感じです。
さて神社があります。大正時代の鳥居が立派です。でも何かおかしい。なんとこれが盛岡五山の永福寺です。城の鬼門を守る寺なのだそうですが、どう見ても神社。境内に入ると太いひもと金が吊るされています。
住居と一緒なのでしょうか、風情があります。
平らな所にポコっと小山があって、その前に寺、山の上には神社があります。こういった場所は信仰の対象になりやすいのですが、ここまで混沌とした場所は滅多にありません。
神仏分離などの公権力にもめげないこの民間信仰は、すばらしい。
しかし盛岡五山と言われる別格寺院なのに、東禅寺といい永福寺といい質素だな。
道を挟んで小さな畑があります。ベンチがいい感じです。線路を挟んで向こう側に薮があります。なんでしょうか。
永福寺の敷地なようです。道路と線路に土地を取られて敷地が分断されているようです。道理で永福寺の敷地がやたらに狭い訳だ。ベンチがあったりして休憩出来るようですが、寺というより人のうちの庭先のようで入りにくいです。
駅前駐輪場。何もかも小さくてかわいらしいです。
いやいや大発見の山岸駅でした。このまっすぐな線路は、超難所の北上山地へ続いています。これで列車の本数が多かったら、山岸に住んでも良いかなと思います。加賀野と違ってスーパーがありますし。
ホームにいたら、犬を散歩させている人が通りました。何とも言えない光景です。駅だけど駅ではないのどかさがあります。
さて中津川に出てきました。
またウロウロします。駅まで5分の廃屋なんてありましたが、まあどうでも良いか。お年寄りが夕方の散歩をしているのを見かけますが、ちょっとドキドキします。
中津川から水が引かれて、親水公園になっています。昔は農業用水だったのでしょうが、こうして整備すると土地の格が上がって見えます。ちょっと住んでみたくなりました。
唐突に結婚式場に出てしまいました。式があったようです。花びらが散っています。
ネコ発見。この辺りの家もなかなかの古さで、個性的なのですが、いっぱいありすぎます。ただちょっと写真を撮らない方が良いような気もします。なんででしょうか。
これも農業用水でしょうか。コンクリートの堰にしていないのに好感が持てます。
川沿いに戻ります。この山岸町は盛岡なんだけど盛岡ではない、街なんだけど田舎のような不思議な空気があります。道路も広くはないが狭くないのもいいです。都市計画がありそうで無さそうな感じもいいです。バスの便もいいですし町中にとても近いのもいいです。バイパスにすぐ出れるので車でも便利です。ちょっと気に入りました。
さてそんな山岸町の最大の欠点は、秋から冬にかけて愛宕山にからすが集結する事。半端な数ではないのです。盛岡中のからすが集まっているとも言われています。電線にズラっとからすが並ぶ姿は壮観です。夕方4時から5時、日の暮れる頃愛宕山に集結してギャーギャー鳴いています。一旦集結して夜の9時までは更に山奥へ移動しますが、その間鳴き声や糞の被害があるのです。そして今までも対策してきたのですが、ほとんど失敗に終わってます。
ただ昔はそんなに問題ではなかったのですが、やはりからすが増えているのでしょう。住宅が増えたからという問題では無さそうです。
さてからすが帰るから、私も帰ります。ちょっといろいろありすぎた山岸町でした。
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