<8月8日の練習曲>
みかんの花咲く丘、ペルシャの市場にて、荒城の月、花は咲く、慕情、Waltzing Matilda、マイアミビーチ・ルンバ
* 8月から9月にかけての、訪問演奏、シニアアンサンブル全国大会に向けて、練習を行いました。
バイオリンは難しい
◆50歳を過ぎて、バイオリンを手にした。家の近くの音楽教室で習い始めて、すぐ、その難しいことに気付いた。初めて教えてくれた先生は、「バイオリンは、”音出し3年”と言われている」と、しきりに言っていた。それぐらい難しいのだと、暗に言っていたわけだ。時々、「音出し5年」と言い替えることもあった。既に、習い始めて15年以上経つが、まともな音が出ているとは、到底思えない。バイオリンが難しいのには、幾つかの理由がある。(誤解しないで頂きたいのだが、私は、他の楽器が易しいなどとは思っていないし、他の楽器については、殆ど知識がない。)
◆バイオリンの起源については、未だにはっきりしたことは分かっていないらしいが、始めに今のような形でバイオリンを弾くことを考えた人は、なにゆえ、かくも奇妙な体勢で弾くことにしたのだろうか。重力の法則から逸脱し、肩と顎の間に楽器を乗せ、手首を捻り、指を捩らなければ音の出ないような弾き方を考え付いたバイオリンの先駆者は、さぞ臍曲がりな人間だったのではないかと、私は、いつも思っている。
◆他にも、フレットがなく、正確な音を取りづらい、弓の操作が難しい、等々、幾つかの理由が思い付くが、それらは、他の楽器にも当てはまるものがある。私は、この奇妙な体勢こそが、バイオリンを難しくしている主犯であると思う。この体勢で、やれ第3ポジションだ、ビブラートだ、スタッカートだと、要求されるのである。私は、未だに、演奏の途中で譜めくりをする際に、危うくバイオリンがずれ落ちそうになることがある。1回など、本当にバイオリンが顎から外れてしまい、危うく両手でキャッチした。その時は、赤面しながら、「なんでこんな姿勢で弾かなければならないんだ」と心の中で怒鳴っていた。
◆未だに、きれいな「音出し」ができないが、偶に、我ながら「いい音だ」と思うことがある。それは、一瞬に近い時間で、続かないのだが、その「いい音」の快感が少しでも多くなるように、努力はしている。ただ、中々努力は実らず、「いい音」は長続きしない。
◆ある人の話によると、大人になってバイオリンを習い始めた人には、子供の頃から始めた人と違って、「停滞期」が訪れるのだという。しかも、その期間が長いのだそうだ。その停滞期を脱すると、かなりの進化をするという。しかし、「今、自分は、長い停滞期にあるのだから、この時期が過ぎるまでおとなしくしていよう」と納得していてはだめで、何とかその停滞期を脱すべく練習しなければならないのは、言うまでもない。
◆私の持っているDVDの中で、偉大なバイオリニストであるイツァーク・パールマンは、バイオリンの難しさを、独特な言葉で言い表している。「バイオリニスト達は、楽譜に書かれている音を外さずに弾くこと、美しい音を出して弾くこと、の追求に一生を費やす。それ以上に、自らのスタイルで、自らの音楽性を醸し出せるプレーヤーは、ごく一部だ」…何か、ほっとするような言葉ではないか。だからと言って、「自分たちが下手なのは当たり前だ」という免罪符に使っては、だめですよ!!
(2013.8.13 菅野)