iijiのブログ(JOPベテランテニス、山行、浅草などの写真録)      

★定年後の余暇を、テニス・山行・囲碁・浅草周辺の行事・美博鑑賞・日常の出来事などを紹介します。

根古屋台遺跡(関東ベ・テニス) 2024.5

2024-05-24 18:17:52 | 史跡

2024.5.25(土)

関東オープンテニスの試合を終え、コート近くの根古屋台遺跡を散策する

昭和57~63年に発掘調査、縄文時代前期の大規模な集落跡であり、300基以上の土壙(墓壙)を囲む竪穴建物や方形建物、掘立柱建物の遺構が出土した。


縄文前期に集落が営まれた建物群と集団墓地

三内丸山(10x32m)に匹敵するほどの大型竪穴建物 幅9.8x長23x高8.8m

竪穴住居  高さ8.4mx長さ13.7mx幅4.7m  

竪穴住居  住居跡は27軒        住居跡の多くからは、クルミ、クリなど竪果類が出土

320基の配石墓   盛り土などはなく、埋葬地を示す小さな石だけ  

◇・・・資料館・・・◇

縄文土器    大量の煮炊きが出来る大きな土器

縄文期集落(紀元前3000~4000年)のジオラマ         奈良時代(710~794年)のジオラマ 左側に円形30mの将軍塚古墳

竪穴住居跡27軒 大型竪穴住居跡6軒              黄色の遺構と円形古墳は奈良時代

墓壙群(ボコウグン)  

埋葬副葬品が土壙から出土石器 首飾、耳飾、匙、皿、鋤、斧など        縄文のかわいい土偶             

遺跡周辺の木立に多い栃ノ木と花


☆縄文海進で、関東平野の奥まで海に覆われるが、宇都宮は海から遠く離れ、三内丸山遺跡のような交易の跡や貝塚が見られない

☆縄文前期に住居跡27軒と墓石320基、かなり大きな集団が栃木県姿川沿いの丘に営んでいたものと思える。

 

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下野国散策(関東ベテランテニス) 2023.5

2023-05-23 14:09:38 | 史跡

2023.5.20(土)

関東オーブンテニスの試合終え、東北を結ぶ東山道の要衝「下野国(しもつけのくに)」の、「古墳資料館」と「風土記の丘資料館」を見てまわる。 


白い建物が「古墳資料館」

「琵琶塚古墳」 6世紀前半 前方後円墳 長さ123mx高さ11m

古墳から、筑波山方面    白い建物が「古墳資料館」

晃石山・大平神社方面  水田と麦畑

古墳出土品    埴輪群像

  円筒埴輪                                壺を頭にのせた埴輪

 鈴杏葉・耳環・刀子・ 鏃・坏                                                 勾玉(メノウ)・耳環・帯飾金具・馬具                                                                                

◇・・・しもつけ風土記の丘資料館・・・◇

「風土記の丘資料館」  近くに防人街道が通っている

3世紀後半  地方とヤマト政権とつながる古墳

土器群と葬送儀礼

古代下野国は、思川から鬼怒川にかけて多くの古墳を残した

盾持埴輪       男性埴輪              女性埴輪   

古墳時代後期の「機織形埴輪」

下野国分寺 南北251m 東西232m   復元模型 

下野国府跡 発掘出土品  鉄くぎ、文字瓦               鬼瓦

下毛野朝臣古麻呂 ?~709年  日本書紀に登場 兵部卿、式部卿など省庁の長官を歴任  701年大宝律令の編纂に関わる  

九州沿岸の防人(任期3年間) 兵士が詠んだ詩          38年戦争 (774~811)  蝦夷との戦さの拠点 騎兵1千人派兵


☆思川と姿川に挟まれた肥沃な地に、下野国府が置かれた。東山道(防人街道)の要衝で、防人や蝦夷戦に派兵や物資が運んだ。

☆天平・奈良・平安と東国の拠点として中央政府と頻繁な往来があり、文化や人を受け継いできた。

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山梨考古博物館 2021.5

2021-05-25 15:45:15 | 史跡

2021.5.21(金)

関東オープンベテランテニスの期間中、雨天で大会中止になり、近くの「考古博物館」と「古墳」を巡る


甲府南インターの笛吹川近く古墳群広がる曽根丘陵にある「山梨考古博物館」

考古博物館、 銚子塚古墳(4世紀後半の前方後円墳)   甲府盆地の政治・文化の中心地

銚子塚古墳 全長169mx後円部径92mx高さ15m  副葬品(鏡5面、石剣、鉄剣、鉄斧、勾玉、管玉など) 出土品(埴輪、土器、木製品など)

縄文中期の竪穴住居を復元  4.5mx3.6m長円形 地面を50cm掘り込む 4~5人家族 8本の柱穴

縄文集落 5~10軒

縄文の生活様子                動物・魚介・鳥・木の実・山菜など豊かな食生活をしていた

縄文土器  祭祀や呪術の願いが込められている

縄文中期 生命を生み出す女神が装飾された器から食する願いを込める

縄文土偶(土人形) 左側は首飾り   全国で15000体出土  弥生時代からは造られなくなる

縄文中期 土偶 女性が多い

縄文 埋甕(うめがめ)  乳幼児を葬るお棺               出土の写真

弥生時代  渡来人の焼き物技術で薄く丈夫、しかし、縄文のような飾りやシンボルなどが無く実用的になる

古墳時代からは、祭祀具・副葬品などの土師器に変わり始める

古墳時代、水晶産出の大半は山梨県(甲斐市御岳田遺跡)  水晶製勾玉や管玉


☆日本の縄文遺跡が、世界遺産として登録され、採取・漁労・狩猟で食料を得て定住を確立した文化。

☆縄文の遺跡を見ると、平和で豊かな文化・生活を偲ばせてくれる

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戸定邸(徳川昭武別邸) 2021.3

2021-03-19 20:28:24 | 史跡

2021.3.18(木)

彼岸の墓参りの帰りに、松戸市の千葉大園芸学部に隣接する戸定邸(旧地名とじょう)を訪ねる


茅葺の門

戸定邸  徳川慶喜の弟昭武の別邸 明治17年(1884)建設 9棟部屋数23

庭園に面した表座敷

表座敷からは、江戸川や富士山が望める

表座敷

奥座敷

ガラス廊下

内蔵

湯殿 当初は木製風呂桶                           大正期に増設した洗面所

トイレ

染井吉野が咲き始める                                   しだれ桜

ミツバツツジ                                     アセビ


☆水戸徳川家に縁深く、天皇皇后両陛下が平成21年に行幸される。

☆戸定歴史館(撮影禁止)があり、水戸徳川家、慶喜や渋沢栄一とのパリ万博などの資料が展示されていた。

 

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石見銀山・天橋立散策 2019.10

2019-10-29 16:15:06 | 史跡

2019.10.23(水)~25(金)

松江市のJOPテニス試合を終え、三瓶山を下山し石見銀山に15時に着く、時間が制約され町並みと資料館を訪ね三瓶に宿泊。倉吉から丹後に抜けて帰路に就く


 

江戸時代の銀山町は、鉱山経営者や労働者のほかに、武士や商人、職人ら20万人の人達が暮らす。

町並みは「重要伝統的建物群」として、世界遺産に選定されている。

「石見銀山資料館」  大森代官所跡 58名の奉行・代官が赴任した。

銀山街道の裏を流れる銀山川

勝源寺  銀山の奉行・代官18名が眠る

 城上神社 永享6年(1434)馬路村に遷座、天正5年(1577)現在地に遷座。  文化9年(1812)再建

 ◇・・石見銀山資料館・・◇

坑道のジオラマ                   14世紀に発見、 16世紀前半から大正12年(1923)まで約400年間採掘された

   探鉱→普請→採鉱→選鉱→製錬→精錬                採鉱される鉱石 右下が銀鉱石(福石) 

間歩まぶ(坑道)  仙山(538m)周辺に900ヶ所以上開口            1895年に製錬工場を建設 

 鉱石から金属を取り出す製錬工場                      金属から不純物を取り除き純度を高める精錬工場

 

◇・・帰路の散策・・◇

倉吉の白壁土蔵群  江戸・明治期の、造り酒屋や醤油屋が栄えた頃の建物                    

三朝温泉  ウラン鉱石の人形峠に近く、ラジウム温泉は世界有数のラドンの含有量

鳥取砂丘海岸   中国山地の岩石が風化し、千代川により日本海に流され潮流と風により海岸線に打ち上げられて形成。

天橋立  飛龍観の景色   雪舟の筆絵にも描かれる

 砂州の松並木 全長約3.6kmの砂嘴(さし)でできた砂浜で約5000本の松         ハマナスが咲く砂浜


☆ 松江市のテニス遠征は初戦敗退、山や海岸線を巡り山陰地方を車で走り、東京から往復2012kmになった。

☆黒光りする瓦屋根と白壁の重厚感のある農家が沢山見られ、落ち着いた山村が印象に深いが、人が少なく過疎化が見られる

☆どこの宿泊先でも、新鮮で豊富な魚貝料理がおいしかった。 

 

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