iijiのブログ(JOPベテランテニス、山行、浅草などの写真録)      

★定年後の余暇を、テニス・山行・囲碁・浅草周辺の行事・美博鑑賞・日常の出来事などを紹介します。

戸定邸(徳川昭武別邸) 2021.3

2021-03-19 20:28:24 | 史跡

2021.3.18(木)

彼岸の墓参りの帰りに、松戸市の千葉大園芸学部に隣接する戸定邸(旧地名とじょう)を訪ねる


茅葺の門

戸定邸  徳川慶喜の弟昭武の別邸 明治17年(1884)建設 9棟部屋数23

庭園に面した表座敷

表座敷からは、江戸川や富士山が望める

表座敷

奥座敷

ガラス廊下

内蔵

湯殿 当初は木製風呂桶                           大正期に増設した洗面所

トイレ

染井吉野が咲き始める                                   しだれ桜

ミツバツツジ                                     アセビ


☆水戸徳川家に縁深く、天皇皇后両陛下が平成21年に行幸される。

☆戸定歴史館(撮影禁止)があり、水戸徳川家、慶喜や渋沢栄一とのパリ万博などの資料が展示されていた。

 

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石見銀山・天橋立散策 2019.10

2019-10-29 16:15:06 | 史跡

2019.10.23(水)~25(金)

松江市のJOPテニス試合を終え、三瓶山を下山し石見銀山に15時に着く、時間が制約され町並みと資料館を訪ね三瓶に宿泊。倉吉から丹後に抜けて帰路に就く


 

江戸時代の銀山町は、鉱山経営者や労働者のほかに、武士や商人、職人ら20万人の人達が暮らす。

町並みは「重要伝統的建物群」として、世界遺産に選定されている。

「石見銀山資料館」  大森代官所跡 58名の奉行・代官が赴任した。

銀山街道の裏を流れる銀山川

勝源寺  銀山の奉行・代官18名が眠る

 城上神社 永享6年(1434)馬路村に遷座、天正5年(1577)現在地に遷座。  文化9年(1812)再建

 ◇・・石見銀山資料館・・◇

坑道のジオラマ                   14世紀に発見、 16世紀前半から大正12年(1923)まで約400年間採掘された

   探鉱→普請→採鉱→選鉱→製錬→精錬                採鉱される鉱石 右下が銀鉱石(福石) 

間歩まぶ(坑道)  仙山(538m)周辺に900ヶ所以上開口            1895年に製錬工場を建設 

 鉱石から金属を取り出す製錬工場                      金属から不純物を取り除き純度を高める精錬工場

 

◇・・帰路の散策・・◇

倉吉の白壁土蔵群  江戸・明治期の、造り酒屋や醤油屋が栄えた頃の建物                    

三朝温泉  ウラン鉱石の人形峠に近く、ラジウム温泉は世界有数のラドンの含有量

鳥取砂丘海岸   中国山地の岩石が風化し、千代川により日本海に流され潮流と風により海岸線に打ち上げられて形成。

天橋立  飛龍観の景色   雪舟の筆絵にも描かれる

 砂州の松並木 全長約3.6kmの砂嘴(さし)でできた砂浜で約5000本の松         ハマナスが咲く砂浜


☆ 松江市のテニス遠征は初戦敗退、山や海岸線を巡り山陰地方を車で走り、東京から往復2012kmになった。

☆黒光りする瓦屋根と白壁の重厚感のある農家が沢山見られ、落ち着いた山村が印象に深いが、人が少なく過疎化が見られる

☆どこの宿泊先でも、新鮮で豊富な魚貝料理がおいしかった。 

 

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平戸史跡散策(全日本ベテランテニス後) 2019.10

2019-10-06 16:28:50 | 史跡

2019.10.3(木)~4(金)

全日本ベテランテニスの試合に負け、博多→有田→伊万里→たびら平戸口と列車の旅、ローカル鉄道で海岸線を進み、久しぶりに車窓の景色を楽しむ。

 平戸は、日本の最西端の穏やかな入り江で、遣隋使、遣唐使の頃から寄港地として使われ、空海や栄西が渡航で立ち寄る。異国文化や交易を日本に取り入れた歴史深い港街。

 博多から有田経由、松浦鉄道で「伊万里」乗換え、日本の最西端の海岸線を走り「平戸口駅」に向かい平戸島に渡る。


列車待ちの時間に散策、「伊万里」のメインストーリー シャッターを閉ざした店が多い   伊万里川の辺にある「伊萬里神社」

松浦鉄道は、1車両のディーゼル車(有田駅)  乗客は数人             車窓から松浦付近 壱岐水道に面した入り組んだ入り江

 

◇平戸島・・◇

 平戸の中心平戸港

 平戸の街並み  吉田松陰や三浦按針(家康の顧問ウイリアム・アダムス)の宿が通りに面している。         木田弥治右衛門宅 「按針の館」イギリス国旗を掲げていた

 平戸城(亀岡城)享保3年(1706)築城  3層5階建ての天守閣(改装中で見学できず)

 平戸城から、田平港、平戸大橋

松浦史料博物館から、平戸桟橋、平戸城                                                                                    1702年築橋のオランダ橋(幸橋)

◆松浦史料博物館・・◆

 

 徳川家300年に比べ、800年間も続いた松浦家の旧居

 

茶室「閑雲亭」藩主鎮信(茶道系譜で利休に繋がる)が茶道を創始、作法は、器は回さず、呈茶(カスドール)は後から召しあがる。 茶室からの平戸城

 天保11年(1840) 徳川斉昭が招き描かせた「三勇像」 右端「平戸藩主、松浦静山」・「下野黒羽藩主、大関増業」・「信州松代藩主、真田幸貫」

関船(松浦船) 大きな音を立てる(櫂かい)     火縄銃や弓矢の銃眼がある軍用船

「蒙古襲来絵詞」 9代藩主松浦静山が模写させた。文永の役(1274)で松浦党は数百人が討たれた。

 

 松浦静山の収集品 1700年頃の世界地図 平戸、壱岐、五島、種子島、大阪、江戸など地名を記載、 日本語は長崎のオランダ通詞が追記

秀吉のキリスト教弾圧で、平戸の殉教者は400人を越える 

◆平戸教会・・◆

 平戸教会 日本で最初の教会(1551)  現教会は1931年建設 左に小さくザビエル像がある            フランシスコ・ザビエル:1549年来日1550年平戸入り 

◆オランダ商館・・◆ 

「オランダ商館」1609年設置 オランダの東インド会社 初代館長ジャック・スペックス   キリスト教迫害で長崎に出島が出来るまで38年間使われる  

オランダの「平戸図」(1621) 港町らしく多くの民家やオランダ商館、イギリス商館が描かれている。 亀岡城はまだ無かった   

オランダ「日本誌」(1669) 平戸の様子が描かれている

 

徳川家康の朱印状(1609)   日本のどこの港に停泊してよいと記されている

 1600年豊後臼杵に漂着したオランダ船「リーフデ号」  英国人ウイリアム・アダムス(三浦按針)が乗船

◆帰路の航空機・・◆ 

 駿河湾 沼津付近   航空機(高度12000m)の室内内圧は729hPa(2080m)を示す。

 オレンジ色に染まる東京港 17時頃の羽田付近 富士山、丹沢山塊


☆平戸は、松浦党(まつら)や異国情緒が漂う街程度の知識しか無かつたが、対外交易の発祥の地で、長崎に出島が出来るまではかなり栄えていた。

現在は、世界遺産に登録され観光を推し進めている。

☆平戸の市街地の一部だけ見て回った。市内周回のバスがあると自然景色など見られるのだが、車が無かったので限られた。

☆松浦党は、海の武士団として、白江村の戦いで渡海して大敗、壇之浦の戦、弘安の役、高句麗沿岸を侵す、秀吉の島津征討、秀吉の朝鮮の役(3000人派遣)、鳥羽伏見の戦、奥州戦争などに参戦している。

☆2013年NHKテレビドラマ「妻はくノ一」では松浦静山がシーボルトやカピタンと面会しドラマを支える藩主、平戸藩江戸上屋敷の蓬莱園は浅草橋に、下屋敷も本所にあり平戸藩には親近感が湧く。

 

  

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お茶の水・神田史跡散策 2018.10

2018-10-22 20:35:51 | 史跡

2018.10.21(日)

蓬莱中学の同期会が担任先生に依頼し、お茶の水・神田周辺の史跡を案内を催す 


 

JR御茶ノ水駅                       神田山の高林寺の泉を将軍に献上した「お茶の水」石碑 駅前交番横にある 

順天堂病院裏にある「水道歴史館」を見学                      相関式漏水発見装置 漏水音の伝搬時間の信号解析(JRC製) 

1715年頃、江戸上水の配水道筋 神田上水(神田、日本橋)、玉川上水(江戸城、山王、三田)、千川上水(上野、浅草地区)が江戸の町を潤す 

 

長屋の共同井戸(使用料大家が払う) 万治2年1659の上水使用料 小間1間につき16文/年       上水の遺構

 

上水を溜める井戸 木樋、継手 千代田区内幸町で発掘                  気密性のある木樋(もくひ)            

 

神田神社 創建天平2年(730)  平将門を鎮守の明神として祀る    元和2年(1616)江戸城増築大手町から現在の地に遷座

湯島聖堂 元禄3年1690創建  寛政9年1797幕府の「昌平坂学問所」を開設

ニコライ堂 明治24年1891創建 堂内にイコン画を掲げる

 

上野の山 西郷隆盛銅像                 上野広小路で懇談会食を終えたH先生と参加メンバー


 ☆快晴に恵まれ、86才の先生は史跡資料を作成配布し、元気に先頭を歩き要所での説明など、2時間の史跡巡りを楽しんだ

 

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日光英国大使館別荘と湯ノ湖散策 2017.7

2017-07-27 17:32:35 | 史跡

017.7.25(火)~26(水)

 中禅寺湖湖畔には、明治から昭和初期にかけて、外国外交官の別荘が建てられ、最初に英国のアーネスト・サトウが、他にフランス、イタリア、ベルギーなどの別荘がある。英国大使館別荘が昨年から一般公開され、見学してから湯元温泉に行く。(イタリア別荘は数年前に見学)

 


2016.7月から、一般公開された英国大使館別荘 

庭先の湖面の先に丸山、高山、紅葉の名所「八丁出島」が見える

    

アーネスト・サトウ 英国の外交官で明治維新に大きな影響を与え23年間滞在  アーネスト・サトーの別荘として明治29年に建てられた(明治33年撮影)

 

 人脈には、徳川慶喜、西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬、岩倉具視、後藤象二郎、桂小五郎、明治天皇などと、明治維新を体験してきた。

 

「早朝の湯ノ湖周辺散策」

 

小雨降る早朝の湯元温泉 休暇村付近からの湯の湖(1475m)                                                     温泉が流れ込む付近には大きなマスが群れている

 

 湯滝 落ち口付近からの金精峠

     

湯ノ湖から滝口に流れ初めた付近                          湯滝に流れ落ちる口

  

激しい 湯滝から、滝壺に治まり湯川として戦場ヶ原を流れる          落差50mの「湯滝」 温泉が混じった臭いが漂う

  

  

 


★明治維新で活躍し、富士山、南アルプス、奥日光の山々と日本各地を巡り日本人を愛したアーネスト・サトウの展示物に触れられた。

★湯元温泉に浸かり、小雨の早朝5時から、湯ノ湖湖畔の散策が気持ち良く3時間を過した。

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