幻影日記

仕事と猫の世話をしながら、新旧織り交ぜて造りたい物を感じるままに造っています。

友人…お付き合い…

2024-10-30 01:07:07 | 日記・エッセイ・コラム

皆さん、長い付き合いの友人で、すぐに連絡が取れて、ちょっと会える程度の間柄の人って、何人位いらっしゃいます

ちなみに私は、連絡は取れるのですが、遠方の人ばかりなので、直接会うのが厳しい友人が多く、ちょっと会える友人は2~3人しかいません

先月、嫁さんがブドウ狩りに行ったのですが、その時に現状の友人の話になりました

嫁さんは、社会人1年目から退職まで、同じ会社だったおかげか、かなり長い付き合いの友人が大人数います。

年齢を重ねても、何やかんやと集会があるようで、皆さん元気に出かけて行っています。


 

私の方は、現在の自分の会社までで、6社ほど入退社をしていますので、現在の友人は一つ前の会社の時と、現在の会社になってからの友人になっています

若い頃は、一人暮らしだったので、時間や都合など考えずに、週末の夜中なんかに訪ねてくる友人もいましたね。

最初の頃は、物があまり無い家なのに、食物持参で用も無いのに来ていました。

 

昭和50年代に最初の賃貸アパートを契約したのですが、台所と部屋は分けたかったので、見取り図だけ見て物件を決めました

これが良くなかったのか、台所スペースがかなり広かったので、大人数で集まって勝手に女子会をやっている連中もいました。

かなり長く住んでいましたが、引っ越しと同時にそのアパートでの友人達とは、現在は誰一人としてお付き合いがありません。

 

何社目かの会社勤めの時に、勤務先の移転があり、かなり実家に近い場所への通勤になった時に、ちょくちょく実家にも顔を出すようになりました

実家近辺には、幼少期の友人が多々住んでいて、皆まだ独身だったので、かなり自由気ままに暮らしていました。

一番親しい友人の部屋には、全自動雀卓まであったので、何時行ってもメンバーが揃う環境になっており、年中時間も気にせずに囲んでいましたね。


 

結局、会社が変わって仕事環境に変化があったり、結婚や出産で生活環境が変わると、自然と遠ざかっていく友人は出てしまいます

女友達は大抵名字が変わった辺りで、新生活や子育てもあるので会えないかなと思っていましたが、信じられない事に半数の連中は、かなり早い時期から日本を脱出して、最後の連絡はエアメールというのが多かったです

男連中は、こちらが結婚した時から、流石に夜中の突入とかは無くなって、両親の葬儀の時に合った頃から、電話連絡も無くなって行きました

人望が薄いのか、共通の話題が無いせいなのか、家族以外で年間で会話もしくはメールをする友人が、仕事の関係を外すと3人程度と言うのは寂しいですね

ま~時間さえあれば、作業部屋に籠って模型造っている人種なので、今更日の光の中に出るのも無理があります。

とりあえず、引き籠りになって、自律神経や副交感神経をやられない様に、ある程度の社交性を忘れずに生活して行こうかと思います。

長い記事になりましたが、最後までお読み下さった方々へ、ある程度の年齢になった時に、合わなくなって数年たった友人や、学生時代に親しかった友人で、名前と当時の会話を少しでも思い出せる間柄だったりしたら、何となく思い出した振りをして連絡を取ってみると、忘れ物が見つかるかも知れません

損得勘定抜きで、意味の無い会話の出来る友人がいる方を羨ましく思えます

何もしなくても、時は重なって行き、少しずつ歳を取って行きます

気が付いた時に、躊躇わずに会話を求めるのも、自分の歴史に影響を与えるような気がするので、たまには記憶を辿るのも良いかも知れませんね

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振り返ると…

2024-10-26 01:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

早いもので、自分の会社を立ち上げてから30年以上経過しました

関係者とのお付き合いも、長い方では40年に手が届く方が何人かいらっしゃいます

多分現時点で一番付き合いが長いと思う方と、一昨日久しぶりに顔を合わせる機会がありました

会社勤めの頃は、外回りの営業的な役回りも多かったのですが、現在の体制になってからは、昭和の時代は電話やFAXから始まり、次に形態電話とポケベルの時代になり、現在ではメールとスマホで用が済んでしまう時代になったので、段々と顔を合わせて、紙レベルで資料を見ながら打ち合わせをする様な機会すら減って来ています

年齢的にも一番近い方なので、お互いに勤め人としての時代の内容も似たような経験をしています

現代の10代の方達には信じられない事だと思いますが、私達の10代の頃は、文字を伝えたり残したりする場合は、全て手書きで行う方法しかありませんでした

コピー機が世の出るまでは、カーボン紙で複写でもしないと、同じものを何度も書く事になっていました。

今よりも文字も上手かったですし、漢字も今より書けましたね。


今回会話を交わした方は、欧文系の仕事が多かった方なので、かなり早い時期からタイプライターを使っていたようです

ちなみに私はと言うと、電動になる前の和文写植機は数年使っていましたが、流石に電動写植は、印刷屋との付き合いで全て外注に頼んでいました。

英文タイプライターは、見ていると綺麗なので、使ってみたかったのですが、欧文で文章を作る機会が無かったので、残念ながらあまり使う機会には恵まれませんでした。

今回の知人も、第一線を離れたとはいえ、パソコンとスマホを使いながら、仕事は続けているようです

考えてみると、使っている機器の小型化とコストの軽減があるおかげで、事務所形態を取らなくても、仕事は出来る時代になっています。

巨大な複合コピー機や、大型のプリンター等を処分出来たので、個人的にもかなり作業場をコンパクトに出来ています。

 

今回話をしながら、お互いにかなり真剣に考えている事は、この先の仕事量と一緒にやっている関係者の高齢化に伴い、何処まで無理が効くのかといった内容になりました

これまでの事を振り返ると、私達を含めて関係者全員が、現時点でも仕事優先でかなり無理をしてでも仕事をしてしまうので、最近では全員の体の事が気になっています

年齢的にも、何処かのタイミングで作業量を減らしながら、時間形態を考え直さないと、何時か不味い事になるという結論になりました

何か久しぶりに会った知人と、嫌に暗い会話をする事になりましたが、一人で考えるよりは他人の意見を聞く事も大事だなと思いました

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夏の終わりの今昔…

2024-08-25 01:01:01 | 日記・エッセイ・コラム

まだまだ暑い日が続いていますが、ここ数年では35~36度辺りの外気温は当たり前の様になって来ています

今年のお盆休みの際に、少し時間的な余裕があったので、数年ぶりに普段はほったらかしにしている、プライベートの資料関係を、数日かけて整理しながら色々と考えていました

季節柄、お盆休みが終わって、夏休みも後一週間(東京の場合)といった時期なので、夏の終わりって別に何があった訳でも無いですけど、少し寂しい気持ちになっていた様な思い出があります

若い世代に方は信じられないと思いますが、昭和生まれの我々の幼少期は、都会を離れて少し郊外へ行けば、画像の様な縁側で真夏の昼間でも、エアコンも扇風機も無しで過ごせました

この時代に風鈴の音色は、実に涼しかったですが、今は五月蠅いだけですね。

近年、同じ場所で何分耐えられるかは、我慢比べを通り越して干からびてしまうと思います。


日が落ちて灯りが灯る時間帯では、日によっては肌寒く感じる事もありました

田舎の家では、今とは違って治安も安定していたせいなのか、一日中部屋の仕切りが全開だったので、夜は虫対策で蚊帳を吊ったりしていましたね。

考えてみると、昼間は日光で夜は蝋燭なんて家も、普通にあった様に記憶しています。(そういえばテレビとか無かったような…)

 

今はあまり無いと思いますが、8月の最終週辺りからの夏祭りで、毎年意味の無いものを買っていました

金魚すくいの金魚やヒヨコの様な生き物系は、何故か家に帰る前には誰かに貰われて行っていましたが、ヨーヨーやお面は暫く家にありました。

昨今では、出店は飲食がメインなので、こういったものは見かけなくなりましたね。

 

打ち上げ花火は、今も変わらず各所で盛大に行われています

個人的な感情ですが、学生時代から何度か打ち上げ花火には、当時の友人・知人と出かけていますが、毎回帰り道に「夏も終わりか…」と感じてしまい、何故か寂しい気持ちになっていました。

今も打ち上げ花火の時期になると、たまに感傷的な気持ちになります。

 

何だかんだと忙しなく日々が過ぎていくので、現在のように一時の干渉に耽っていると、あっという間に今年が終わってしまいそうです

もう暫く、暑いよな~と文句を言いながら、たまには空を見上げて光合成でもしながら、頑張って夏を乗り切ろうかと思います

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暮らし方…

2024-07-27 01:30:30 | 日記・エッセイ・コラム

7月も終わりに近づき、日中の気温もこの辺りがピークといった感じになって来ています

昭和生まれの自分の記憶では、学生時代の夏休みが始まって、残りの休み期間をどう過ごすかな~なんて事を考えていた時期です

サラリーマン時代は、お盆休みを心の支えに、汗をかきながら仕事に精を出していましたね

当時の生活を思い出してみると、社会に出た後のかなり早い時期から独立して暮らしていたので、自分の中では良かったような悪かったような、何とも言えない微妙な気持ちになります

帰宅時間や休みの日の惰眠等は、一人暮らしでは自由なので、その点は気を遣わずに生活できました

ただ高度成長期だったので、あまり家にいる事が多くなかった時期も長いですね。

固定電話も置かずに、一人でいる時間の時を満喫していたので、今よりも人との付き合い方が、薄くなっていた時期のような気もしてなりません。

 

丁度画像の様な感じの、こじんまりとした1DKで、部屋自体も大家さんの庭の中にある建物だったので、誰も訪ねて来ない時は、マジで静かな日々を過ごせました

昨今のメンタルの弱さ等は、この頃は微塵も感じなかったのですが、この環境で心因性の問題があったら、確実に引き籠りそうですね

ここ数年は異様な高温なので、公園の陽だまりでさえ、日中に佇むような真似をすれば、確実に熱中症になります

本来ならば、日光浴や森林浴等は、心のリラックス効果等もあるのですが、昨今では体のバランスを崩しそうですね。

実際の所、日中に自転車で外出して帰宅すると、体から熱が逃げるまでに、かなり時間がかかるのが、ここ数年の夏の現状です。

 

このまま温暖化は進行するでしょうし、都心の近代化は進み続けて、高温多湿の環境が改善される事は無いので、如何に室内の環境を良くするかを考えるしか無いのでしょうね

幸いな事に、十数年前に自宅も完成していますし、設備は毎年手を入れて改善して行っているので、環境問題的にエコも考えてはいます

自宅の画像は住宅密集地なので、掲載するとお隣の家が入ってしまうので、大きさと形状が似ている海外の家を載せています

実際の家は駐車スペースも無く、2・3階にベランダを付けると、同じ様な見た目になります。

この画像の家、室外機が一台も見当たりませんが、どんな環境の土地に建っているのか、文明の利器が全く無くても、生活出来ているのかが、非常に気になっています。

 

実際の自宅は、嫁さんの希望で日の光がやたらと入るように設計したので、リビングの窓が非常に大きく、近年の夏の西日対策が大変です

逆に冬の陽射しは暖かいのですが、台風や大雨の際は防火シャッターを下ろさないと、何か飛んできた時にやばい事になります

こんな感じの優しい日差しが入る事は先ずありませんが、天気がよければ部屋は明るいので、電気代は節約できます

日々嫁さんとも話し合っていますが、年相応に体力が落ちて行っている事と、体調不良になる事もあるので、どう折り合いを付けていくかが問題です。

かなり助かっているのは、私よりも嫁さんの方がメンタルが強いので、会話が暗くなる事が無いのが救いです。

1人暮らしを始めた頃から大病を患うまでは、ちょっと胃の調子が悪かったり、肩や背中が張っている程度は、普通の疲れ程度にしか考えず、多分心の片隅にさえストレスは感じていなかったと思います

嫁さんや友人、主治医からもよく言われていますし、自分自身でも昔からよく言っていた、「病は気から」と言うのは、歳を取ってからはかなり身に染みて感じます

ただこれは、最近はなかなか難しく、気にしない様にすると逆に気になるので、どこまで流して考えられるかに専念するようにしています

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命日と誕生日と母の日…

2024-05-19 01:10:10 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は嫁さんの誕生日で、その3日前が母親の命日で、先週が母の日だったので、毎年このタイミングがせわしなく感じています

嫁さんの誕生日は、母の日を兼ねて本日食事に連れて行くのですが、生みの親の命日と育て親の位牌があるので、いつも行っている花屋さんで、カーネーションを揃えて購入して来ました

この時期の生花は、ほんの数日しか持たないので、なるべく控えているのですが、今回は嫁さんがカーネーションを買って来そうなので、先に手を出しておきました。

今更ですが、私自身バレンタインデーに誕生祝いを貰った後は、父の日とかに何か頂いた経験が無いので、何か損をしている様な気がしてなりません。

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