大学進学予備校では、本当にいろんな仕事をやらせてもらった。生徒募集、カウンセリング(これがやりたくて転職したから生徒との真剣勝負はやりがいがあり本当に楽しかった!)、広報担当としてラジオ番組のパーソナリティ(つぼいのりおさんというパーソナリティと金曜日深夜15分程度の番組。マイナーなだけどクラスの子は毎回聴いていて、プライベートなことを話した次の日は、「中村先生、あんなことは公共の電波を通じて話すことじゃない」と説教されたりしてました・・・)、講座企画(アイデアだけは豊富で「こんなんやったら面白いんとちゃいますか?」といろんな企画を提案!いっつ放しで終わった企画も数多くありますが・・・)などなど・・・。
でも一生懸命働けば働くほど、会社の方針や待遇に対する矛盾が見えてくる。今考えるといろんな意味で「若かった」。生徒のことより「利益ありき」の企業姿勢が(今思えばあたりまえのことも多いのだけれど・・・)どうしても理解できなかった。納得いかないことがあると「納得いきません、説明してください」と正面から体当たり。会社に言っても無駄だと悟ると今度は自分達だけでなんとかしようと、早朝や仕事後(だいたい、21:00ぐらい以降)に同僚達で集まって、生徒用のプリントを刷ったり企画を考えたり・・・。それなりに楽しかった。でも本筋じゃないことは長く続かない。
結局、体調不良を理由、いや言い訳に退職し。その後、安易に知人の紹介で社長秘書の職についたけど、それも約半年後にリタイア・・・。今思えば「秘書」という仕事は自分に最も向いていない仕事の一つ・・・。でも当時はそんなこと考えもせず、秘書という仕事が自分に向いていると思い込むための材料を必死に集めていたように思う。でも、半年足らずで逃げるようにその会社をやめることになったことが全て。
何をやっても中途半端、何をやっても続かない自分に本当に嫌気がさした。離れて生活している母親にどこに勤めているかも言えない情けない自分。「あんた、何してんのさ!」と自分に問いかけても、どこに勤めても長続きする気がせず、もともといい加減な人間やったんとちゃうのん???と自己不信に陥りかけていた自分にはそれにこたえる気力もなかった。
当時26歳。自分が大嫌いになりかけていました。
3回の転職を通じてようやく気づいた。仕事が続かないのは、就職した職場に問題があるのではなく、自分自身の中に問題がある。
自分の中途半端なプライドと、困難に立ち向かう勇気のなさが引き起こしているのだと・・・。
私には大学進学のため三重の実家を出る時、心の中に決めたことがある。「もう2度とここには戻らない」と。仕事がないからと言って実家に引き返すわけにはいかない。何よりも、父親亡き後、私を無事に大学を卒業させて、娘を信用して自由にやらせてくれている母親に心配をかけるわけにはいかない。「私ってなんでこんなんなんやろう・・・」といつまでも落ち込んでいる時間はなかった。
よし!もう一回やり直しや!! 次の就職先を真剣に考えはじめまた。考えるにあたって決めたことがある。
「もう、やめない!!」
やめないために、
①納得できる就職先を見つけるまで活動する。安易に決めるのではなく、長引くようであれば、バイトをして生計をたてる(実際、通販の電話受付、この仕事を通じて知り合いになった派遣会社から子供服メーカーの総務事務の仕事を体験)
②次の就職先は、大手企業の正社員か、手に職をつけられる仕事に絞る
という方針を決めて就職活動を始めた。そこで見つけたのが、ある大手企業が100周年の記念事業として打ち出した人材開発事業のスタッフだった。心理学を活用した適性診断とその適性診断を組み入れた教育システムの企画と営業の仕事。
とらば~ゆでこの企業の募集記事を見つけたとき、「ここで働くことになる!」とピンときた。かくして大阪採用2名に選ばれ、人材業界に入ることになったのでした。
(続く)