チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「シベリア動物誌」 

2014-07-18 09:05:31 | 独学

 59. シベリア動物誌  (福田俊司著 1998年10月)

 本書は、岩波新書のカラー版で、180ページの半分程が美しい風景と躍動する動物たちの写真です。著者は本来動物写真家です。沿海州、千島列島、サハリン、アムール川は、北海道の札幌からの直線距離にして、数百キロであるが、実際には非常に遠い地域である。

 内容は、1 タイガにシベリアトラを追う 2 海獣王国――千島列島とサハリン 3 ヒグマ王国――カムチャッカ 4 冬鳥の故郷――ヤクート(サハ共和国) 5 ホッキョクグマのハンティング――ヴランゲリ島 の5章です。

 今回は、この中からシベリアトラ(アムールトラと同じ)の生け捕りの話です。前回のイリオモテヤマネコと親戚筋にあたり生態は非常に類似しているように感じました。


 『 トラの全亜種中、寒冷地に適応したシベリアトラはもっとも大きく、ヴィクトル・ユージンが記録した最大のトラは、6才の雄で全長3メートル10センチ(体長2メートル15センチ、尾95センチ)、体重225キロもあった。シベリアトラは、南方の亜種に較べ体毛の黄地が明るく長い。

 一般に、動物の生息数は冬期の獲物の量で制限される。だから、マイナス50度前後の厳しい冬をすごさねばならないシベリアトラのテレトリーは、ベンガルトラよりも6倍から11倍も広いものになるようだ。

 シベリアトラは、地域ごとに朝鮮トラ、満州トラとも呼ばれており、ロシア国内でも沿海地方のものをウスリートラ、ハバロフスク地方のものをアムールトラと呼んでいる。

 シベリアトラの推定生息数は430~470頭だ。現在、受難の時代を迎えているとはいえ、この大型肉食獣がシベリアに生き延びてこられたのは、先住民族ナナイやウゲデの人々が抱いてきた、「タイガの神」としてのトラに対する信仰、そして、何よりも、ロシア人が持っているシベリアトラとの共存していこうとするつよい意志のために他ならない。

 この類の話は沿海地方ビギン川流域に先住民族の最大の村クラスヌイ・ヤールでも聞いたし、猟師小屋や僻地の村々でもしばしば耳にした。トラはシベリアで自然のシンボルとして崇められてきたのだ。

 猟は自然保護の対極に存在するものではない。これから僕は、いきたまま伝説になっている猟師、ヴラジミル・クルグロフの”トラの生け捕り”の話をしたい。かれのようにシベリアトラの生態を熟知している猟師がいるからこそ、もしシベリアに危険なトラが発生した時でも、そのトラが人喰いトラにならずにすむのだ、と思うからだ。

 クログロフがトラを生捕る方法はシベリアの伝統的な狩猟法で、ロシアの動物作家、ニコライ・A・バイコフが60年以上前に書いた「偉大なる王」にも登場する。

 クルグロフの知遇を得て、この伝統的なトラ生け捕りに、僕は1994年と1997年の二度同行した。冬期に限って可能なこの生け捕り法は、シベリアトラの生態を知り抜いた上で、たいへん合理的に考案されている。僕はその芸術的とも言うべき完成度に感動した。
 
 クルグロフは、ハバロフスク近郊のタイガに囲まれたヴチェヴァヤ村に住んでいる。彼は、研究者、動物園、サーカスなどからトラ捕獲の要請をうけると、周辺の村々や猟師たちを通して、子トラを連れた雌トラの情報を収集する。生け捕りの対象は、母親に養われている三歳までの子トラに限られる。

その情報はただちに入手できることもあれば、1ヵ月以上をまたねばならない場合もある。子連れの雌トラは、ヴチェヴァヤ村周辺で見つかる場合もあるが、時には沿海地方まで足を運ばねばならないこともある。

 情報が入ると、まず婿養子のアンドレイを現地に派遣して確認させる。その結果、子トラに間違いないと判断すれば、仲間4人で捕獲隊を編成する。出発にあたって、イヌ4頭、指股になっているY字型の棒4本、裏に滑り止めの毛皮を貼ったスキー板4組、脚を縛る縄、スノーモービル、食料をワゴン車に積み込む。

 食料は多くても1週間分。これは荷物を軽くする必要があることに加えて、彼らの技術をもってすれば1週間以内で事足りることにもよる。また、長期にわたってイヌたちが狩りから遠ざかっている場合、現場に直行せず、寄り道をしてイノシシやアカシカの狩りをおこなう。イヌたちをトラに向かっていかせるために、”血の祭典”で、彼らの野生を呼び覚ますのだ。

 いよいよ、トラの生け捕り作戦がはじまる。まず、最新情報によって、最寄りの猟師小屋や避難小屋を基地に決める。トラ親子の行方を探索するのは翌朝からだ。情報が届いてから何日も過ぎているから、足跡は明瞭な形を留めていないことがおおい。

 雪の上に印された足跡は、太陽に照らされて丸みを帯び、空気に触れて固くなっているが、それらは時間経過を知る重要な手掛かりとなる。驚くべきことに、クルグロフは1ヶ月前に通ったトラを追跡できる。この追跡法にはどんな秘訣があるのたろうか?

 クルグロフに尋ねると、「目印が雪の上に残っている。それは1メートル近い尻尾の跡だ」と明かしてくれた。まさに”コロンブスの卵”であった。
そのような方法で、親子の足跡を繋ぐと、子トラたちの”食べ跡”にたどり着く。たいていの場合、トラ親子は立ち去っており、獲物は骨と皮のみになっている。

 そこに何日間滞在するかは、獲物の大きさによる。アカシカなら約一週間未満、イノシシなら数日、ノロジカだとわずか一日かもしれない。子トラたちが獲物を食い尽くすと、母トラは子トラを残してふたたび狩りに出かける。つぎの獲物を倒せるのは500メートル先か、5キロ先になるかは状況次第だが、自分のテレトリーから逸脱することはない。

 クルグロフたちは山小屋を移動しながら、つぎつぎに”食べ跡”を繋いでいく。やがて足跡が真新しいものになってくると、野宿も辞さない。過酷な追跡の果てに、捕獲隊はトラ親子の棲み処に迫ることができる。

 探しだした”食べ跡”に獲物の肉が残り、足跡が真新しいことを確認すると、クルグロフたちは意外な行動をとる。空に向けてライフルを撃ちだすのだ。つぎつぎに銃弾を補填して、タイガに数十発を轟かせる。

 トラ親子への接近は密やかにと思い込んでいたから、僕はとても驚いた。しかし、この行動は母トラを殺さずに、子トラを迅速に生捕るために、実に合理的な処置であった。銃声は母トラを逃走させ、子トラたちから引き離す役目をはたす。一方、母親を見失った子トラたちは、それぞれ岩や倒木のしたに身を隠してしまう。ここからは、僕の日記を引用して、子トラ生け捕りまでを再現してみよう。

 「クルグロフは追跡する子トラを決めた。母トラの注意が子トラに向かわないように、ふたたびライフルを三発撃つ。切り立った尾根で、小さな足跡を繋ぐ。子トラの足跡は、その気持ちを表すように、右に左に落ち着かない。四人の追っ手は、互いに一定の間隔をはかりながら、子トラが逃げ込みそうな倒木や木の根に注意を払いながら進む。

 とうとう、子トラの足跡は尾根筋から外れて、右手斜面を下りはじめた。クルグロフはイヌの首輪を外すように指示した。勇むイヌたちは子トラの足跡を追って、一直線に山の斜面を駆け下りた。イヌのスピードはトラに勝る。200メートルほど下手で、イヌたちの甲高い鳴き声が……。

 ついに、イヌたちは子トラに追いつき、包囲したようだ。クルグロフ以下全員がスキー板を脱ぎ捨てて、現場に向かって駆ける。イヌたちに囲まれて、子トラは牙を剥きだして唸っている。一斉に、男たちがY字棒を伸ばして、子トラの首と脚を押さえこむと、クルグロフは、両耳をむんずと掴んだ。

 このとき、子トラの抵抗力は完全に失われた。午後0時三十分、クルグロフは40頭目のとらを生捕った。新しい”食べ跡”を見つけてから、わずか一時間であった。」

 肉食獣の場合、子供たちがすべて無事に育つわけではない。三、四頭うまれる子トラのうちから一頭を間引き、餌になる草食獣への負担も軽くしながら、”シベリアトラ生け捕り”の狩猟法は、タイガの生態系を破壊することなく伝えられてきた。 』


 『 沿海地方やハバロフスク地方の自然にとって、チョウセンゴヨウは特別な存在だ。「シラカバ林では陽気に楽しみ、チョウセンゴヨウの森では祈る」と語られているように、三五メートルにもまっすぐ伸びる大木は、人々を敬虔な気持ちにさせる何かを具えている。

 そして、チョウセンゴヨウと広葉樹が混合したタイガは、沿海地方やハバロフスク地方のすべての森林の中でも、環境に対して最も大きな影響力を持っている。チョウセンゴヨウが健在なタイガでは、「タイガはすべてを養い、すべてが満ち足りる」と言われる。

 長さ15センチ以上もあるチョウセンゴヨウの松ぼっくりには、暗紫褐色の大きな種子がビッシリと詰まっており、実りの多い年には、一本のチョウセンゴヨウから100キロもの種子が収穫できる。

 栄養とカロリーに富むその種子は、タイガにすむツキノワグマ、ヒグマ、アカシカ、ニホンジカ、ノロジカ、イノシシ、クロテン、モモンガ、リス、シマリス、ノネズミ、野鳥などの生き物に欠かせない食物である。それが”タイガのパン”と称される由縁だ。 

 ところで、チョウセンゴヨウの木材は、別称ベニマツと呼ばれ、国際市場で高い値がつく、そのために、チョウセンゴヨウは各地で伐採が盛んに進められ、沿海地方の森林に占めるチョウセンゴヨウの混合林は僅か数パーセントになってしまった。 』

 
 アムールトラとチョウセンゴヨウと広葉樹の混合林が、こんなにも密接な関係にあり、チョウセンゴヨウの松ぼっくりの種子が、イノシシやアカシカを支え、彼らがアムールトラを支えている。チョウセンゴヨウと広葉樹の混合林が消えるとき、アムールトラも絶滅する。先住民族のナナイやウデゲの人々が抱いてきた「タイガの神」としてのトラに対する信仰を生かしたいものです。(第58回)