146. リチウムイオン電池 (立花隆記 文芸春秋2017年8月号 日本再生・七十五)
リチウムイオン電池(バッテリー)とは、負極に炭素材料、正極にコバルト酸リチウム(LiCoO2)、電解液には、エチレンカーボネットなどのなどの有機溶媒にリチウム塩を溶解した非水溶液とセパレータで構成される。
セパレータは、正極と負極を分離するものですが、リチウムイオンだけを通す必要があります、リチウムイオン電池のセパレータには、リチウムイオンが通るぐらいの小さな孔がいくつも空いています。
孔の径は1マイクロメートル(千分の1ミリ)以下。この孔を通ってリチウムイオンは正極材と負極材のあいだを行き来するのです。リチウムイオン電池は、軽量かつ高電圧を特徴とした蓄電池です。
車やジェット機は、居住性の向上、電子機器化によって、メインの駆動力以外は、すべて蓄電池から供給されます。
車やジェット機は、コンピュター化が進んでおり、最初に、電子機器が稼働して、それらの制御下で、ガソリンエンジンやジェットエンジンが始動します。
すなわち、電力が必要な時間帯とメインエンジンの最大トルクのタイミングは、一致していません。従って、メインエンジンによって発電された電力は、一度バッテリーに充電されてから、車やジェット機の各部分へ供給されます。
車やジェット機は、大きな電力を必要としますが、蓄電池の重量はなるべく軽量であることが必要です。しかしながら、高密度にエネルギーを蓄積することは、発火の危険性が高くなり、耐久性(何千回も蓄電、放電に耐える)と安全性が要求されます。
大変、前置きが長くなりましたが、これらを踏まえて、立花隆の論文を読んでいきましょう。
『 神田神保町の旭化成本社におもむいて、顧問の吉野彰氏にお会いしてきた。吉野氏は、しばらく前から次の日本人ノーベル賞最有力候補者として、名前があちこちであげられている。
何をした人なのかというと、リチウムイオン電池を開発した人である。電池といえば、ちょっと前まで一般の人が知る電池は、昔ながらの乾電池と鉛蓄電池(自動車用)、それに時計用の水銀電池ぐらいだった。
最近急に多くの人が使いはじめたのが、リチウムイオン電池(携帯電話もスマホもカメラもノートパソコンもその他もろもの携帯電子機器のたぐいがすべてそうだ)。
二十世紀末から二十一世紀にかけて登場した世界の新しい文明の機器のほとんどが、リチウムイオン電池によって動かされている。
リチウムイオン電池は現在世界で年間十億個以上が生産・使用されている現代社会の基本的エネルギー源だ。それはすでに自動車、航空機にまで入り込んでいる。その基本特許を持っているのは旭化成である。
といって、ノーベル賞のほうは、まだ決まったわけではないし、リチウムイオン電池が生まれる過程には多くの人がかかわってきたから、ノーベル賞委員会の見立てによって、具体的な受賞者の名前に多少のちがいが出てくるかもしれない。
しかし吉野氏の名前がリストから抜けることがあろうとは思えない。グローバル・エネルギー賞(ロシア)、チャールズ・スターク・ドレバー賞(アメリカ)など、ノーベル賞に並ぶ賞を吉野氏はすでに次々受賞している。
現在使われている形のリチウムイオン電池の原型を開発したのが、吉野彰氏であり、その基本的仕組みも、基本的製造上のノウハウも、すべて特許にしてしまったので、旭化成は、かっては東芝と共同出資の会社を作って製造販売していたが、いまは電池に関してはもっぱらライセンス商売と基幹製品の製造販売で儲けている。 』
『 先日、日本経済新聞社が、毎年恒例の「主要商品・サービスシェア調査」を発表した。リチウムイオン電池の項を見ると、一位がパナソニック、二位がサムソンSDIと世界的電機メーカーである。
しかし、基幹部品のリチウムイオン電池向けセパレーターでは旭化成が圧倒的トップシェアを保持している。
セパレーターというのは、電池の中で電解液という化学反応の中心的担い手の陰極側と陽極側がまじり合うのを防ぐためにさし込まれているプラスチック製境界板のこと。
このセパレーターには、ナノメートル単位の微細な穴が無数に空いており、その穴を通して特定のイオンが通過したり、通過しなかったりする。それがうまくいかないとリチウムイオンが結晶となって析出し、ついには過熱して発火する。
デル社のノートパソコン発火事故、サムスンのスマホ発火事故、ボーイング787の発火事故など、リチウムイオン電池関連の発火事故のほとんどはこのセパレーターの不具合に起因している。
つまりリチウムイオン電池の生命線はこのセパレーターにある。ここが技術的に最も難しく、利益率も高い。旭化成はそこをしっかり今も自分の手で握っている。 』
『 吉野氏の話を歴史をさかのぼって聞いていくと、このリチウムイオン電池の根っ子は、日本の技術の粋、化学研究の伝統がドンとあることがわかってきた。
吉野氏は、福井謙一(一九八一年ノーベル化学賞受賞者)の孫弟子を自称している。大学は福井が教授として教鞭を執っていた京都大学工学部石油化学科。
福井研に入って直接教えを受けたわけではないが、福井のフロンティア電子論の強い影響を受けて、あらゆる物質の結合や反応などをすべて分子の電子軌道の変化から考えていく、一種の考え方革命を起こした世代の中心人物。
吉野氏に大きな影響を与えたもう一人が、二〇〇〇年のノーベル化学賞受賞者の白川英樹氏(ポリアセチレンという導電性高分子の発見者)。
アセチレンという有機化学の代表的分子に触媒を入れたら(実は研究員が白川に指示をまちがえて千倍高い濃度の触媒を入れてしまった)、それがたちまち光り輝く金属光沢を持つフイルムになり、電気も通すようになったという驚異的現象の発見者である。
実は吉野氏は、このポリアセチレンに驚きこれを電池の陰極に使おうと考えるところから出発した。しかし、電池にするには陰極だけでは足りない。陽極が必要だ。
陽極には何がいいだろうと考えているときに、ある日アメリカの論文誌に発表されていた、オックスフォード大学のジョン・グッドイナフと、そこに留学していた水島公一氏の論文(コバルト酸リチウムが陽極になりうる)に出遭った。
これはいけそうだと直感して、実験をしてみると、なるほどピタリだった。長い話を短くしてしまうと、リチウムイオン電池は、このようにして、フィールドの違う学者たちが偶然に導かれて、出遭うとのろからはじまった。
実は現実の話はこんなにトントン拍子に進んだわけではなく、あちらこちらから無理難題をふっかけられた。 』
『 現代社会は、あらゆるものが電気で動いているから、社会が円滑に動きつづけるためには、電気が長期に安定して安価に提供される必要がある。
そのためには自動車に乗せたエネルギー密度の高いリチウムイオン電池を社会全体で共用するクラウド充放電システムを作ればよいなどと、吉野氏の未来アイデアは湧くが如しだった。 』(第145回)