147. 俳句のルール (井上泰至編 2017年3月)
『 「俳句に季語が必要です」と説明した後、モンゴルから来た留学生に、「秋刀魚」のように、その名だけで季節を感じさせる言葉があるかたずねたら、自信満々に「あります!春の肉、夏の肉、秋の肉……」と返ってきて、教室が笑いに包まれたことがありました。
同じ島国でも、イギリスで食卓にのぼる魚は、タラ・サケ・ニシンくらいでしょうか。それに比べて、日本の魚は豊富です。また「旬」があるということは、世界が注目するスシの文化を思い起してみればわかるころです。
季語の働きには大きく分けて三つあります。「季節感」「連想力」「安定感」。日本の四季は多様で豊かでドラマに満ちていますから、そこで磨かれてきた季節の言葉を使うだけで詩情が湧くようになっています。
いざ行かん 雪見にころぶ 所まで 松尾芭蕉
雪が降ってときめくのは詩人と子供、それに南国からきた外国人くらいかもしれません。生活にとって、雪は障害でしかないでしょう。花や月なら、障害とはなりません。だから逆に、詩人は雪とそれによって化粧されていく景に狂喜する心を試されます。
いくたびも 雪の深さを 尋ねけり 正岡子規
もともと「病中雪」と前書きしての句です。詩人、それも見歩くのが何より好きな詩人である子規は、しかし雪を見ることがかないません。「いくたびも」看病する家族にこれを訊ねるやりとりから、「雪」は悲しく切ないものとして心に響いてきます。
その悲しさ・切なさは、この句の詩の核心です。「日常」の景色を一変させ、美しくする「雪」。それは誰もが思い浮かべる「季節感」です。
そこにとどまらず、見たくてもそれがかなわない作者の思いも、「雪」は受け止め、そのことで詩の驚きや飛躍が生まれてきます。
しかし、逆に考えれば、雪の明るさ・神聖さを誰もが思い浮かべる「安定感」が、この季語にあるからこそ、詩への飛躍という「連想」が働くことが可能になっているとも言えるのでしょう。 』
『 作者の心情をストレートに説明するのは、俳句ではあまり似つかわしくないようです。事柄を述懐してしまうと、多くは失敗してしまいます。俳句は「もの」で語ることが大事だといわれています。
つきぬけて 天上の紺 曼殊沙華 山口誓子
「天井の紺」とは、高く澄み渡った空の青。その空に向かって曼殊沙華(まんじゅしゃげ)が真っ直ぐ突き抜けていくイメージです。深い青空と真っ赤な曼殊沙華とのコントラストが見事な句です。
しかしながらこの句は、「紺碧の空へ曼殊沙華の赤し」と、「赤」をことさら述べてはいません。曼殊沙華が真っ赤であることは自明の理、言わずもがなのことなのです。
一輪の 花となりたる 揚げ花火 山口誓子
打ち上げた花火がはるかかなたの空で開き、大きな「一輪の花」として頭上で華やかに彩(いろど)っているのです。まるでストップモーションの画像を見るかのようです。
音にやや遅れて次々に開く花火は、どんなにか美しかったことでしょう。しかしここでも綺麗な花火を「美し」と説明はせず、「一輪の花」と象徴的に表現し、煌(きら)びやかな花火の美しさを表しているのです。 』
『 俳句は五感をはたらかせて作りますが、短い詩型のなかに要素を二つ以上を盛り込むより、視覚なら視覚、聴覚なら聴覚と焦点を絞り、あとは省略したほうが、イメージが鮮明になります。
万緑の中や吾子の歯 生え初むる 中村草田男
中村草田男の代表句の一つ。「万緑」は王安石の詩句「万緑叢中紅一点」に由来する言葉で、この句をもって「万緑」は季語として定着しました。
はじめて生えたわが子に白い歯の輝き。生命(いのち)あふれる樹々を背景にわが子の笑みはこぼれんばかりです。緑と白との対比が鮮やかな躍動感ある一句です。あえて「白」と述べずとも、「白」は読者の心の中で、生き生きと立ち現れています。
菜の花や 月は東に 日は西に 与謝蕪村
画家でもあった蕪村らしい絵画的な句。一面の菜の花畑のなかで、太陽は西へ落ちかかり、反対側の東には月が出ています。太陽が真西に沈み、月が真東から上がってくるのは満月のとき。
太陽と月を同時に詠んでおり、天体的な宇宙感覚をもつ一句です。この句には、月・太陽・菜の花以外のものは一切省略されています。これから上る月、沈む太陽、今ここにいる自分——。過去・現在・未来を表しているようでもあります。
五月雨や 大河を前に 家二軒 与謝蕪村
同じく蕪村の句。梅雨によって増水した川岸にある二軒の家。ごうごうと音を立てて流れる大河に、家はもう巻き込まれてしまいそうです。
危ない! 思わず「危うし」という言葉がよぎります。しかしその言葉は出さず、情景のみを提示しているのです。増水する大河と家二軒だけに焦点を絞り、他の一切を省略しています。その結果、映像が時間を超えて、現在の私たちにまで押し寄せてくるのです。
閑(しづか)さや 岩にしみ入る 蝉の声 松尾芭蕉
芭蕉の代表句の一つですが、この句の初案は上五が「山寺や」であったといわれています。
山寺や 岩にしみつく 蝉の声 いかがでしょうか。「山寺や」とした場合、まず、「山寺」という映像が読み手の心に現れてきます。その結果、つぎのフレーズの「岩」へとなかなか気持ちが移れません。
この句は「蝉の声」がポイントです。そこで、芭蕉は「山寺」という視覚的要素を外し、聴覚に焦点を絞ったのです。 』
『 この道や 行く人なしに 秋の暮れ 松尾芭蕉
この句が詠まれた元禄七年(1694年)の九月二六日。芭蕉は翌十月一二日に亡くなりますから最晩年の句といえます。この句には「所懐」という前書が付されていて、芭蕉の心情が述べられていることがわかります。
「この道や」とまず一本の道を示し、「行く人なしに」と芭蕉一人が歩いている、孤独な景を描いてます。季語は「秋の暮れ」ですから、たちまち日が落ちると長い夜が待っています。
「この道」は芭蕉が生涯を賭けた俳諧の道です。作品としては晩秋の風景を描きながら、芭蕉は人生への感懐を込めているのです。寂寥感に満ちた一句といえます。
このような複雑なことが表現できるのは、切字「や」をもちいているからです。「や」は詠嘆の思いを込めて一句を切断しているのです。
この句の場合、「や」と切断していますが、以下に続く「行く人なしに秋の暮れ」は明らかに「この道」のことを言ってますから、内容的には切断されていません。「この道や」と提示しつつ切断したことで、果てしなく続く一本の道がイメージされるのです。
蛸壺や はかなき夢を 夏の月 松尾芭蕉
海中に沈められた「蛸壺」を、詠嘆の気持ちを込めて強く提示しつつ、句を切断しています。その「蛸壺」の中で、蛸はいずれは人間に食べられる運命にあることも知らず、「夏の月」に照らされつつ「はかなき夢」を見ながら眠っています。
「夏の月」は夏の夜が短いことをも語っています。切字「や」が絶妙に働いて「蛸壺」を強くイメージさせていることがわかります。
荒海や 佐渡に横たふ 天の川 松尾芭蕉
「荒海や」で一句を強く切断しています。「荒海」と「佐渡に横たふ天の川」は別のものです。このように無関係な二つのものを組み合わせる方法を「取り合わせ」と言います。
この句は「や」と切断することで、天と地が大きく拡がり、真っ暗な夜の海に隔てられた佐渡に横たわっている「天の川」が幻想的です。 』
『 山々の 森明暗に 俳句満つ ヘルマン・ファン・ロンバイ (ベルギー)
On the green mountains the woods in light and shadow. Fertile haiku ground. Herman Van Rompuy
この俳句は、初代EU大統領ヘルマン・ファン・ロンバイ氏の作品です。大統領は多言語による個人句集を二冊出版しているほど俳句に熱心で、今日の海外俳人の代表者のひとりと考えられています。
髪に霜 未来は 記憶からなれば ディートマー・タフナー (オーストリア)
frost touched hair future consists of memories Dietmar Tauchner
オーストリアはドイツ俳句協会とも交流があり、こうした観念的な俳句も見られます。
雪片の 一瞬とどまり 地は遥か ジェレミー・ダズ (イギリス)
a snowflake's momentary pause the ground so far below Jeremy Das
イギリス俳句協会は1990年創設、筆者もロンドン大会に参加したことがあります。
瀑布にて ときには答 ときに…風 パトリシア・J・マクミラー (アメリカ)
at the waterfall sometimes I feel an answer sometimes . . . the wind Patricia J.MacMiller
アメリカ俳句協会創立は1968年、日本以外では最古で、俳人数、作品・評論数で海外の中心です。
国際俳句とは、我々日本人にとって一体どのような意味を持つのでしょうか。俳句が世界で愛され、読まれていることは喜ばしいことです。
ときには不思議な外国語俳句に出会うこともあるかもしれませんがそれさえも愉快なことではないでしょうか。ところがわが国に目を向けると、非日本語で書かれた俳句やその和訳を、「俳句」ではなく「ハイク/HAIKU」と表記することがすくなくありません。
これはなぜでしょうか。前スウェーデン大使のヴァリエ氏は、「現在の日本の俳句は、伝統的な形式や法則に捉われすぎている」と語っていました。
俳句には伝統性が強く残っているので、日本の俳句関係者の中には、海外の俳句と自分たちが理解している俳句との間に距離感を覚える人がいるかもしれません。
結局、世界の俳句を読むということは、異なる視点から我々自身の俳句を見つめ直すことであるように思われます。「俳句とは何か」という根源的な問いに対して、伝統性のみならず「普遍的、世界的視点」から考えるということです。
これまで論じてきたように、俳句はすでに世界詩として成立していると言っても過言ではないでしょう。海外の俳句を読んで気づくことは、「三行自由詩」型がすでに世界を覆い尽くしているということです。
いずれにせよ二十一世紀には、我々日本人も地球規模で「俳句」を考える必要に迫られていることは確かのようです。 』(第146回)