チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「マッケンナに学ぶ未来を知るすべ」

2018-01-14 16:36:49 | 独学

 154. マッケンナに学ぶ未来を知るすべ (校條 浩著 週刊ダイヤモンド2018年1月)

 校條浩(めんじょう ひろし)は、シリコンバレーに本拠本拠を置くネットサービス・ベンチャーズ・グループ代表。日本企業への事業イノベーションのアドバイスとシリコンバレー・日本でのベンチャー投資を行なう。

 彼は、シリコンバレーの本質を知る稀な日本人です。(本稿は、シリコンバレーの流儀の第12回です)


 『 シリコンバレーの成長を支え「シリコンバレーを作った25人」の一人といわれる、レジス・マッケンナとの出会いは1990年代中ごろだった。

 彼の誘いで、彼のコンサルティング会社に入ったことがきっかけで、私は日本企業にへ新事業創造にかかわるコンサルティングを始めることとなった。

 何度も一緒に日本に出張し、その時間を独り占めできたのはとても幸運なことだと思う。レジスは70年代、シリコンバレーの黎明期に、米インテルや米アップルコンピュータ―にマーケティングを指南したことで知られる。

アップル初の本格パソコン「Apple Ⅱ」が開発された当時、共同創業者のスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックはそれぞれ、21歳、25歳の血気盛んな若者だった。

 開発したウォズが技術的なスペックばかりを説明するので、レジスは「ユーザーにとってどのような価値があるかを説明してくれ」と言うと、ウォズは怒って部屋を出ていってしまった。

 だが、そのときにジョブスは「待てよ、こういうユーザーとのコミュニケーションは大事かもしれない」と考え直し、マーケティング戦略をレジスと進めることになった

 コンピューターがまだ”オタク”の趣味でしかなかった時代に、利用者への提供価値という観点でマーケティングの重要性を説き、ジョブスのマーケティング能力を開花させたのがレジスであったのだ。

 レジスは、アップルの立ち上げに必要な資金の調達も支援した。当時はまだ「ベンチャーキャピタル(VC)」が確立していない時代である。

 最初の資金調達のために、彼の知り合いのドン・バレンタイン(後の米セコイア・キャピタル創業者)に頼み、投資家を紹介してもらった。「エンジェル投資」の元祖といえよう。

 また、メディアはシリコンバレーのスタートアップなどごこも相手にしていなかった。だが、レジスは、メディア対応はPRの要だとしてメディアとの交流に努力を惜しまなっかった。

 パソコンを販売するチャンネルもなかったので、流通も開拓した。77年の時点で、レジスのプランの中に「アップルストア」が入っていたのは驚くべきことだ。

 日本では、マーケティングを「広告宣伝」「販売」「営業」ぐらいに捉えている人が多い。

 だが、レジスは、「製品のユーザー価値」「製品戦略」「マーケットイン」「資金調達」「メディアの啓蒙」「チャンネル戦略」など製品以外の「全て」を包含するものだと説いた。

 ジョブズ亡き後にアップルの経営を引き継いだティム・クックは流通経験が長い。「地味なクックではアップルを引っ張れない」とやゆする人も多かったが、レジスはこう語っていた。

 「必要なときに顧客の前に製品があること。流通も重要なマーケティングなのだ。私はクックはいい仕事をしてくれると思う」と。

 時価総額が100兆円を超えたアップルを見れば、この見立てに間違いはなかったことが分かるだろう。

 それだけではない。レジスは、90年代から、ソーシャルネットワークとスマートフォンが市場を完全に変えてしまうことを見抜いていた。

 インターネットの商用化により、企業と顧客との関係が劇的に変わった。レジスはそれを「リアルタイム」と「双方向」というキーワードで説明し、ネット社会でのソーシャルマーケティングの重要性を説いた。

 革新的な製品は、市場の「インフルエンサー」(影響力のある人)から口コミで広がることを示し、それを系統的に進める戦略である「マーケットインフラストラクチャー」の考えを提唱したのもまた、レジスである。

 「アーリーアダプター」と呼ばれる先進的な利用者と「マジョリティー」と呼ばれる市場の中心的な利用者の間には、「死の谷」が存在する。

 そう説いたベストセラー、「キャズム」の著者ジェフリー・ムーアは、実はレジスの門下生であった。なぜレジスには「未来」が見えていたのだろうか。 』


 『 もちろん、生まれつきの感性や揺るぎない価値観によるところが大きいとは思うがレジスと接してきた私には他にも感じる点がいくつかある。

 まず、レジスが高学歴ではないよそ者であったことだ。フィラデルフィアで地元の大学を卒業し、シリコンバレーに流れ着いた彼に失うものはなかった。

 学歴を利用して有名企業に入社する発想がなかったから、目の前にある面白い企業に就職し、シリコンバレーが産声を上げる時期の企業と関わった。

 その企業がたまたまインテルやアップルだったというわけだ。レジスと周りの友人たちは「建前」「会社の事情」「大人の賢さ」からは遠い価値観の人たちだった。従って、物事を真っさらな気持ちで見ることができたのだろう。

 また、物事を実行するときに必要な「大人の態度」を備えていた。例えば、批判的なジャーナリストにも丁寧に対応していた。

 多くの先進的なスタートアップにコンサルティングや投資をすることで、独り善がりの理論に流されることなく、実践的なアイデアを磨いていた。そのため、数多くの「世界初」を演出してきた。

 常にスタートアップの内側に入り、フロンティアに立つことによって、いち早く未来を「知る」ことができたのだと思う。彼にはならずとも、その足跡から未来を知るすべは学べるはずだ。

 レジスでも唯一読めなかったのが「アップル株をもらわずに後悔する自分の姿」だった。ジョブスに紹介した投資家が資産1000億円超の「ビリオネア」になったのは言うまでもない。 』 (第153回)